近代戦史と国際情勢の研究、考察

旧北方領土(樺太、千島列島)の史実伝承

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 ソ連軍が魚雷艇その他を使って恵須取港を詳細に偵察した13日以降だったと思うが、級友数人と
 漁村の見下ろせる山頂から、国道の流れを眺めていた。
 この日は樺太特有の濃霧も消え、沖合いの水平線まではっきりと見渡す事が出来た。
 南下する避難民の姿はなく、爆撃されている恵須取港を避け、その手前から東海岸に通じる唯一の内路 道を選び、東海岸に避難した公算が大きかった。

 級友の一人が沖合いを指差してなにか叫んだ。
 水平線に見慣れない軍艦が1隻姿を現わし、次第に近づいてくる。色々な軍艦の形は学校に掲示されて いたので、この平べったい形の船がソ連軍の砲艦らしいことが分る。
 
 家に跳んで帰り、このことを早く大人たちに知らせたい気持が強かったが、わたしたちの足はその場に 釘付けになり、砲艦の動向を見守っていた。
 しばらくして船に閃光が走り、2,3秒後に砲声が聞こえてきた。
 閃光が続き、砲声が聞こえるが、攻撃されているらしい漁村にはまったく爆発音が聞こえなかった。

 ところが少ししてから漁村から爆発音がしてきた。でもそれは閃光の数に比べて散発的だった。
 時間にすると20分ぐらいで、砲艦はそのまま北方向に姿を消した。

 私たち子供はそのまま帰宅して、漁村が砲撃を受けたことを村に知らせたが、後日漁村に行って見ると
 家の壁は砲弾の穴だらけで、砲撃は意外に正確だったのだが、どういうわけか大部分が不発弾だった。

 これが鵜城港がソ連海軍の砲撃を受けた最初の日で、飛行機による爆撃や機銃掃射は一切なく、16日
 詔勅の翌日に2機のソ連戦闘機による機銃掃射の洗礼が、村はじめてのソ連機の攻撃になる。

 この2機の戦闘機(ソ連)は、日本が前日(15日)に戦争をやめたことを知りながら、一方的に戦争を 継続し、明らかに児童とわたしたちを認識しながら、パイロットは赤ら顔に薄笑いを浮かべながら、
 ゲーム感覚でわたしたち日本児童を撃ち殺そうとしたのである。
 
 
 


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