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「満州事変や日華事変は大戦などという代物ではなかった。だから臨機の処置でやっていた」と著者 |
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1941年(昭和16年)12月8日、日本は、ついに米英と戦争状態に入るが、キメ手を考えずに戦いに突入 したわけではないと著者は語る。物資豊富な米英に対して長期戦覚悟の戦いだったが、当時の指導者の |
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昭和16年7月2日の御前会議の決定事項は、要約すると次の4つの項目だった。 |
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著者は、日本の満州事変の成功が、ロシアの極東軍備の不備やアメリカ太平洋艦隊の未整備が原因であ ったにもかかわらず、「日本が優秀民族で、神国だった」がゆえに成功したかのような思い込みに走っ たことから、誤まった道を驀進していった実態を記述している。 |
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日本の明治以来の国防方針は、「対同時2国作戦」をいましめるものだったが、昭和16年12月8日の |


