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鮭、鱒の遡上時期は違いますが、鱒の遡上は物凄く河口から何重にも折り重なって遡上するので、水か さが増えて水流が逆流するほどです。
そんな頃、道路から藪や林を掻き分けてかなり奥地に入ったところに水面に低くかかった秘密の橋があ り、隠されてていた大きな針のついた器具で、遡上してくる鱒の群れを引っ掛けて機械のようにすばや く叢にたくし上げる現場に連れていってもらったことがありました。
勿論誰にも絶対に口外しない約束で・・・。
それは密漁の現場だったのです。
鮭の価格と価値は鱒の幾倍もあり、ただ遡上するのが夕方以降が多く 鱒ほどにすさまじい群れで遡上 することはないので、青年たちは長い釣りざおの針先に金色の小判状の金属片をつけて水面を下流か ら上流に流すと、夕日に映えてそれが黄色の虫のように水面を乱舞します。
すると川のあちこちから無数の背びれが姿をあらわし、その虫を追うのです。
思い出すとそれはあまりにも美しい村の夕景でした。
今は異国の地となり、それからもう半世紀以上も経つ時効時期なのであえてお話しします。
村では鮭や鱒のことを隠語で「丸太」と呼んでいました。
村人は農業と林業を兼ねていましたから話をよそ者に聞かれてもきわめて自然でした。
川での「丸太取り」は、山村の人たちの大きな内職のようでした。
密漁を取り締まる役人はいたのですが、絶対数が少なくわたしなどは1度も見たことはありません。
でもソ連統治のサハリンになってからは、ソ連人の密猟取締官が猟銃を手に川辺に姿を現わすようにな り、はじめは撃たれるのではないかと恐怖を感じましたが、彼らの狙いが食卓用の魚獲得であることが
わかってからは、あらわれるとすぐに捕獲した大柄の鮭を、水面のマルタ(これは本物)上から向こう 岸の監視員に向けて2,3匹放り投げてやると、満面笑みを浮かべて手を振りながら去っていくのでし た。ときには「ダスビダーニア(さいなら)」と愛想を振りまきながら・・・。
戦後は、伐採し、川に流されていたマルタ類はそのまま放置されていたので、わたしたちはそれらを鮭 が獲りやすいように移動し、一箇所をイカダのように固定し、そこから水鏡でヤスを使い、水中の鮭を
捕獲していましたが、その場所以外は、乗るとマルタが回転するので熟練を要し、その点、私たち村の 大人は勿論、子供たち全員もマルタ乗りのベテランでしたから問題はありませんでした。
ところがソ連人密漁取締官は、マルタ乗りなどできず、はじめのころは試しかけたのですが、危うく
川に転落しかけてからは、もうたくさんの鮭をいかだ上に並べている私たちに近づこうとはしなくなっ たのでした。
閑話休題。
上流で産卵を終えた鮭、鱒は体力を使い果たして川辺で死亡することが多く、野鳥や動物の餌や土壌の 栄養になります。それでもまだ体力の残っている鮭、鱒は海に戻ろうとして仲間と隊列を組んで下って いきますが、途中、紐のついたヤスを持ち、待ち構えた子供たちの遊びの標的として狙われるのです。
「ほっちゃれ」と呼ばれるこれら疲労困憊の鮭、鱒は、背びれ付近から次第に腐食し、白斑状になり、
もう臭くて食用にもなりません。
〇前回に次いで再び樺太の詩をまとめてご紹介します。
*下記5詩は引用
密漁の網 干されあり警察署 片桐 まさる
密漁の鮭としりつつ買いにけり 伊藤 凍魚
密漁のくったくもなき昼寝かな 田村 硯一
密漁の取り締まり避け 畠いじり 外崎 喜石
淀にいて泳ぐともなし ほちゃれ鮭 岡部 己峡
(参考引用文献)
樺太歳時記(国書刊行会)
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