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塩を小皿一杯持ち帰ったソ連兵は、翌朝また来訪した。皿を返しにきたのだ。そして小皿には缶詰3 個が載っていて、ゼスチャーにロシア語をまぜて母に渡そうとするので、母は小皿のみを受け取ろうと するが、ソ連兵は缶詰ごと皿を母に押し付けて受け取らせ、逃げるようにして宿舎に戻って行った。
樺太を侵攻したソ連軍は大部分が囚人部隊で、戦功により刑務所より釈放されたり、刑期が短縮される 特典があるらしい。それ故に兵隊としての質はきわめて悪く、凶暴なので充分に警戒しなければならな いという噂は日本人の間にすばやく広がっていた。おそらく島内すべてそうだったと思う。
来宅したソ連兵はじつに礼儀正しく、マナーも心得ていて凶悪な囚人兵にはとうてい見えなかった。
大型の肩章には太い赤帯が入っていたが、日本軍の肩章とはあまりにも違うのでどれぐらいの地位なの かさっぱりわからない。
でも塩のお礼に缶詰を持参したことだけはたしかだったので、わたしたち一家はそれをその日の夕食で 食べることにした。
手にとってよく見ると、驚くなかれそれは「made in USA」だった。
なぜそんなものがソ連軍にあるのだろう?
「おそらくソ連軍への米国の援助物資だろう」父が言った。
後年帰国後に調べた結果、それはやはり米国の援助物資だった。
恐るおそる食べた私たちはその美味しさに仰天した。米兵やソ連兵はこんな美味な缶詰を戦場で食べて いたのか・・・。
わたしはあまりに豊かだった敵軍の戦時携行食糧を知って唖然とした。
ちなみに当時の米国の対ソ援助物資の金額、内容をご披露する。
援助物資金額・・・91億ドル
(内訳)
1)飛行機1万4千機・・・ソ連軍侵攻当時の樺太の日本軍には0機。
2)トラック38万台
3)ジープ5万台・・・なぜか樺太では1台も見かけなかった。
4)食糧447万トン
5)その他 電話用資材(アルミ線)・・・このアルミ線は使用されていた。
以上
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