冷たい秋風が吹く9月下旬、隣町に駐屯していた本隊がソ連に帰国することになり、2人のソ連兵も
村を離れ、本隊に戻ることになる。
父はその前夜、村長幹部たちを自宅に呼び、2人のために送別パーテイを開いた。
村人はこの2人のソ連兵に深く感謝していて、村長などは涙を流さんばかりに別れの挨拶をし、父が
通訳をしてソ連兵は村長の感謝の言葉に嬉しそうだった。
彼ら2人がいなかったなら、ソ連兵たちの悪行で、この村はどうなっていたかわからない。
彼らは憲兵としての役割を完璧なまでに果たし、村の日本人の生命、財産、安全を守り通してくれた。
2人のソ連兵は村人の感謝の握手攻めにあいながら、飲みなれない日本酒に酔っていたようだ。
やがて夜中まで続いたお別れパーテイもようやく終わり、人々は帰路に着いた。
ワーシャ曹長は、コーリャ伍長に小声でなにかささやくと、コーリャはすぐに宿舎にもどっていった。
そして父母やわたしに「少し話したいが」と了解を求め、父は別室にワーシャ曹長を案内した。
ワーシャ曹長はあらたまったように静かに話しだした。
話の内容を要約すると、こうだった。
「じつはわたしはポーランド人のソ連兵だ。そのことはコーリャ伍長はじめ誰も知らない。
明日お別れなので尊敬する日本人校長ご家族に本心を話すことを決心した。
あなたがた日本人はいずれ日本に帰国することになるはずだ。日本に帰ったなら、そのときは
わたしのようなソ連兵がいたことをぜひ伝えてほしい。
ソ連は日本領樺太を占領したが、むかしから領土をこのような方法で拡張してきた。
わたしの国・ポーランドも1939年にドイツとソ連に分割された。色々な生き方はあるが、
ポーランド人はみな、ソ連人を憎んでいる。このことを忘れないでほしい。
敗戦国日本も大変だが、復興に頑張ってほしい。健康に気を付けて」
翌朝、校庭にはたくさんの村人がソ連兵を見送るために集まっていた。
やがて軍用トラックが姿をあらわし、ソ連兵の仲間が宿舎に入っていった。
しばらくしてワーシャ曹長とコーリャ伍長が自動小銃を肩に姿を現わし、日本人の群集から拍手が起こ る。見送る父母わたしと握手をした2人は、笑顔でみなにも手をふる。
農家の婦人には涙を流している人もいて、思わずわたしも目が曇り、必死にこらえた。
荷台に載った2人は大きく手を振り、「ダスビダーニア(さようなら)」と繰り返し、クルマは
動き出し、次第にスピードをあげていく。
「ダスビダーニア、ワーシャ、コーリャ」
わたしは心の中で何度も何度も叫びながら、消えていくクルマに手を振りつづけていた。
9月下旬から10月は初雪の季節で、農作物の収獲はその前に行なわれるので、農家は忙しい。
樺太各地に駐屯していたソ連軍部隊も前後して本国に帰国し、駐屯ソ連軍(赤軍・戦闘部隊)は
沿岸警備隊と任務を交代する事になる。(終わり)
*写真2枚は日ソ国境の境界標識等
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