|
1945年(昭和20年)8月10日、国境線を越えて侵攻してきたソ連軍と戦った日本軍の兵力と装備は、
3個中隊弱の兵と砲四門。対するソ連軍は、第16軍の1師団と1混成旅団、1機関銃連隊、飛行機、戦 車各100、砲280門だった。
このように兵力、物量では圧倒的な優位にたつソ連軍だったが、作戦的に思うような戦果をあげれなか ったのは、樺太師団参謀長の著書「樺太防衛の思い出」から一部引用すると、こうなる。
1)地形、敵情が分らず、日本軍の決死の勇戦で兵力を過大視し、兵力の優勢発揮や果敢な行動に出ら れなかった。
2)(中略)地上、空中共に絶対優位ににありながら従来の観念の侭に、古屯の旧陣地のみを考え、万 事の基礎とした。
そして「感想」として
3)ソ軍の基本的兵力配当は大体至当で、兵も勇敢だった。
と述べられている。
たしかにソ連側戦史を調べると、日本軍を過大視し、実際には小規模な部隊しかいないにもかかわら ず、それを2,3の中隊と戦ったような戦闘報告がしばしば見受けられる。
樺太、千島列島で日本軍と戦ったソ連軍が、停戦協定成立後の日本軍を絶賛したのは、その軍規の厳正 さで、武器を見事なまでに手入れして目録をつけてソ連軍に引き渡した日本軍指揮官の毅然とした態度
だったという。指揮官曰く「日本軍はソ連軍に降伏したのではなく、天皇のご命令で引き渡すのだ」 と。
|