近代戦史と国際情勢の研究、考察

旧北方領土(樺太、千島列島)の史実伝承

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 2月7日は「北方領土の日」だ。この日を政府が閣議決定した1981年(昭和56年)から27回目の「北方領 土返還要求全国大会」が、安倍首相、麻生外相、高市沖縄北方担当相ほか旧島民が参加して行なわれ、
 安倍首相は父君・故安倍外相の意思を引き継ぎ、決意を新たにした。
 この日は、日本がロシアとお互いの領土を確定した「日魯通好条約(1855年)」の日をとったもので、 樺太は「両国民の混住の地」と決められた。

 以前、他の項目で記述したように、樺太、千島ともに世界ではじめて徳川幕府の間宮林蔵、近藤重蔵、
 伊能忠敬等が探検、発見した島嶼であり、日本領土の標識を建ててきた場所で、ロシアより半世紀、1 世紀も前の出来事である。
 
 ソ連のスターリンがヤルタ密約で表記したり、1945年9月に声明した「侵略国日本がロシアから奪取し たロシア領の返還うんぬん」の表現は歪曲されたもので、しかも米英がこのソ連の表現をそのまま取り 入れた結果で、実質は30分に満たない会合だったという噂どおりのお粗末さが覗えるものだ。

 日本はロシア領土を侵略したことはなく、日露戦争はロシアが清国の満州に侵攻し、日本は本土防衛の
 ための防衛戦争だった。

 史実の詳細を調べると、樺太千島交換条約(1875年)もウルップ島以北の18島と樺太を交換する内容で
 むしろロシア側の意向が強く、なぜならピョートル大帝の探検隊が千島14島を探検した報告書(17 21年)には、日本の島々と明記されているのだ。それがロシア領土となり、さらには力関係から、日 本は樺太で頻繁に武力衝突を起すロシア軍に対処できず泣くなく手放したもので、ロシアの思うつぼに はまったわけで、日露戦争後には米国の仲介で樺太半分をやっと取り戻したのである。

 そして第2次世界大戦で敗北した日本は、米英ソのヤルタ密約により、旧北方領土(樺太、千島)を
 失い、さらには北方四島さえ力づくで奪われ現在に至る。
 ソ連が第2次大戦後に拡張した領土は、北方四島を含めて68万2千平方キロメートル(日本、韓国、
 ブルガリアを合わせた面積)といわれる。
 
 領土返還交渉に意欲ある安倍政権は、北方領土返還交渉の仲介を米国に依頼中であるが、米国からは
 「交渉前からの仲介」は迷惑扱いされているのが実情だ。
 その上、現在のロシア経済の勢いとナショナリズムは高揚中で、北方四島返還交渉にはきわめて難航が
 予想される時期と思われる。(完)

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