*写真は、樺太南端の大泊港と鵜城の養狐場
どれほど経ってからか突然、大きな物音が飛び込んできて、私は意識を取り戻した。
私が失神している間に、集団自決の意向が決まり、その前に再度、陸地の偵察を行い、状況によっては
そのまま浜辺に布陣しているソ連軍に切り込み、それを合図に船上でも自決する。そんな打ち合わせが
すみ、ハシケは陸地に向かったという。
陸地に接近するハシケは船上から目視できたが、銃声もせず、切り込みが行なわれた様子もなく、みな が動向を凝視する中で、ハシケが母船に戻ってきたのだ。
「助かったぞー、ロスケはいない!誰もいない!」
ハシケの青年が大声で喜びの声をあげていたときに、私は意識を取り戻したのだった。
本当は喜んでいられる状況ではなかった。いつソ連軍が現れるかわからなかった。30名余の人たちを陸 地に運び終えるにはどれくらいの時間を要するか、さっそく大人たちの打ち合わせがあり、まず婦女が
先陣だった。空海からソ連軍の来襲がないことに望みを託しての時間を争う上陸行動だった。
最後の船員が船の栓を抜いて船を海中に沈め、全員が上陸したのは薄闇が訪れた時刻で、それが何時頃 だったのかはまったく記憶がない。私たちは上陸するとすぐにこの漁村の偵察を行なった。
無人魚村で、馬の群れだけが三々五々浜辺を歩き回っていた。ソ連兵に見えたのはこの馬の群れだった のだ。ここの牧場主が避難するとき、牧場の柵を開放していったのだ。そして馬だけが浜辺で日向ぼっ こをしていたというわけ。
家の中はよほど急いで避難したらしく、食卓には食べかけのご飯やおかずが散乱していた。
そして鶏小屋に入ってみて驚いた。幾百もの鶏が驚いて跳びはねる中に、山積した鶏卵があちこちに
点在していた。これを見るとこの村は、もう数日も前に避難した様子だった。
私たちは隣接した民家を選び、見張りを立てて、休息、仮眠することにした。この日はソ連軍は現れる こともなく夜になり、布団、毛布で横になったが、連日の船旅で寝ていても床が大揺れしているようで
なかなか寝付かれなかった。(続く)
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