近代戦史と国際情勢の研究、考察

旧北方領土(樺太、千島列島)の史実伝承

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 *写真は、樺太北西部・塔路町のマンモス小学校(3百米の直線廊下)

 家に戻っても、泥靴の跡や足の踏み場もないくらいに部屋中に物が散乱しているので、なにはともあれ
 全員で就寝できる場所を確保してから、そこを箒や雑巾で掃除をして寝たのは朝方だった。

 そして翌日午前、人の気配がして突然、村人が姿を現わしたのだ。
 我々が漁村網元の誘いで船で脱出を図った2,3日前に、村人全員は山越えして東海岸に避難しているは ずで、退院直後の父の体力から、山越えの同行は無理だとして、村の代表が2人、校長宅に別れの挨拶 にきて、4斗缶一杯の米を玄関に置いていったのを私ははっきり覚えている。

 日毎に来宅する村人の数は増え、言い訳をしながら家から持ち出した物品を返しに来た。村人は全員避 難などしてはいなかったのだ。

 村の代表が別れの挨拶にきてから2,3日して、私たちの避難を知った村人は、伝染病の厄病神が消え たので山越えを中止し、そのまま村で情勢をみていたのだと思う。

 南下する避難民が口々に「ロスケ(ソ連兵)は避難民に攻撃を加え、老若男女の区別無く殺戮している ので、はやく避難しないと殺されるぞ」と叫んでいたことは、村の誰もが知っていた事なので、村の
 代表が「病床者をソ連兵は殺さないから、充分に療養してください」と父に話したとき、果たしてそれ が彼らの本心だったかどうかはきわめて疑わしい。
 非常時で人間は予想できない行動を起すことは、すでに8月16日、級友の親(牧場主)の言動で体験 ずみだった。
 「ロスケが現れたら、この俺が真っ先に猟銃と拳銃で射ち殺してやる」とさかんに云っていた牧場主だ ったが、私たち(級友たちと)がこの牧場に行ったとき(16日)、すでに逃避していたことが分る。 そしてこの牧場主一家は無事北海道に帰国し、札幌郊外に代替地を支給され、現在も子孫が牧場を営ん でいるそうだ。何事でも大言壮語することは人の反感を買い、嘲笑の元になるので慎みたい。

 さて私たちが漁村でソ連軍広報車に投降した日を8月24日かそれ以降と推察する理由は、8月22日成立し た日ソ両軍の停戦協定を、8月24日に全樺太に向けて電話、電報、新聞(樺太新聞24日掲載)等で伝達 したという記録が残されているからだ。

 8月10日、日ソ国境から侵攻したソ連軍の主な行動を列挙してみるとこうなる。
 
〇日本の8月15日(終戦の詔勅)を知りながら、

 16日・・・イ)日ソ国境「古屯」陣地を総攻撃
      ロ)北西部「塔路」を攻撃し、上陸
      ハ)塔路町長他6人の軍使を射殺
      ニ)攻撃により、住民の混乱、看護婦の集団自決
      ホ)恵須取港攻撃、上陸
      ヘ)鵜城、幌千地区への爆撃と銃撃

 20日〜23日・・・ト)真岡港への攻撃、上陸 

 25日・・・・南端の港「大泊」へ上陸のソ連軍、日本軍使を射殺
                               以上    
 
 〇8月15日(終戦日)以降の日本軍の意図、方針
 
「まず停戦、次いで細部交渉、敵の無理、難題には、自衛戦争で阻止」で、
 これに対してソ連軍は
「まず大泊港占領までは武力による南進をやめない。その後は北海道北半の占領を目指す」だった。

*参考文献:「樺太防衛の思い出」鈴木康生著

 

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