近代戦史と国際情勢の研究、考察

旧北方領土(樺太、千島列島)の史実伝承

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 あけましておめでとうございます。
 昨年は色々と有難うございました。本年も宜しくお願いいたします。
 いまは平和な祖国日本で生命、財産の危機や不安を感じることなく、新しい年を迎える幸せを感謝し、 満喫しています。
 
 1945年(昭和20年)8月10日、樺太でソ連軍の侵攻をうけ、世界の戦場から戦火が消えた8月15日以降か ら死境をさまよう修羅場を十数回以上も体験してきた私(当時10歳)は、いかなる場面でも私を見放  さずに絶体的な力で命を長らえさせてくれた守護霊(主に母方の先祖霊)の存在を固く信じ、日々感謝 の念を絶やさない者です。

 樺太、千島は世界に先駆けて日本が探検し、先住民のアイヌその他とも交易し、朝貢も受けていた地域 で、すでに1697年(元禄10年)には日本の漂流民伝兵衛がカムチャッカ半島西岸でコザックに救助さ  れ、ロシアは伝兵衛から千島、樺太等の情報を収集し、日本語学校を設立しています。
 そして 1721年にはピヨートル大帝が千島14島に探検隊を派遣し、地図には「オ−ストロワ、ヤポン スキヤ(日本の諸島)となずけているのです。ちなみに1712年(元禄15年)は赤穂浪士討ち入り の年。
 
 この頃からロシアの積極的な南下政策が始まり、反面日本は鎖国政策の真っ只中で、世界の認知度も浅 く、残念ながらせっかくの日本領土の木標も国際的には効果なく、樺太同様あいまいなままで19世紀
 に入ってしまいました。
 
 このようにロシアは千島列島はカムチャッカ半島から南下、樺太も南下する形で進出し、次第にアイヌ 族や日本(松前藩、津軽藩、南部藩等)と衝突しながら実効支配の場を確保していきました。
 日本側の苦情に対してはあくまで「我らは交易が目的で日本領土を侵略する意図はない」などと巧みに 弁明しながら。
 
 スターリンは戦後プラウダ紙に「日本の侵略行為から樺太、千島がソ連邦に戻った」と発表しました  が、これには多分の嘘が含まれています。
 前述したように樺太、千島は日本が、ロシアが発見する1世紀も前から原住民アイヌ他と交易があり、
 木標を立て自国領と明示もしてきた地域であり、のちに侵略に近い形でロシアが入り込んできたので  す。

 それと国際法からいうなら、明治8年「千島樺太交換条約」はロシアの要望で日本領が定められたも  ので、樺太は、明治38年に米国の仲介で「ポーツマス条約」でロシアから正当に日本に永久に譲渡さ れたもので、カイロ条約のはるか前で、まったく不法なものではないのです。
 むしろヤルタ条約(宣言)こそが密約であり、国際法としては無効なのです。
 太平洋憲章やカイロ宣言で「対日戦争で領土拡張はしない」という主旨は、ソ連の露骨な要求と米英の
 承認で破られ、現在に至っています。
 日本は樺太、千島の領土権を1951年9月の「対日平和条約(49カ国)」で放棄しましたが、ソ連 は調印を放棄しています。だから同条約を根拠としてこの地域を自国と主張することはできないので  す。(この条約はソ連に与えるとは規定されていないのです)
 
 日露戦争も日本がロシア領土に侵略したのではなく、清国領土の満州にロシアが侵略したもので、
 日本は日本領土保全のための防衛戦争でした。これは史実をたどれば明らかなことです。
 当時欧米諸国はアジアに対して露骨な植民地政策を推し進めていました。
 日本も自国防衛のためにはとらざるを得なかった戦争なのです。

 日露戦争で乃木将軍は、敗将ステッセル及び配下の将校に対して名誉と誇りの帯刀を許しました。
 そして後刻、敗戦の責任から処刑されそうになったステッセル将軍を、(立派な勇将だった)と
 助命嘆願書をロシア皇帝に送っています。
 世界の戦史上、敵将にこのような配慮を示したのは乃木将軍だけだそうです。
 
 2人の息子が戦死した乃木大将に、ステッセル将軍が会見時、真っ先にお悔やみを述べたところ、
 「お国のために見事戦死した息子を心から誇りに思い、喜んでいる」という言葉をもらい、「日本軍の 強さがこれでわかった」と感銘したといいます。

 第2次大戦でも世界各地の戦場での日本軍の強さには定評があります。
 いま映画で話題の硫黄島は勿論の事、テニアン、サイパン、アッツ、レイテなどで玉砕した守備隊の将 兵の強豪さ。心ない輩からは色々と歪曲された事柄が流布されるが、多くの日本兵は祖国や家族、子孫 のことを思いながら奮戦し、戦死されたことと確信します。合掌。
 
 私もよく耳にしたのは「せめて米英の四分の一くらいの武器、弾薬があったなら対等に戦って勝てる」
 と。演習にきていた樺太師団、部隊将校の目は自信にあふれ、清く澄んでいました。
 樺太でも中国大陸同様、侵攻してきたソ連軍は総司令部の指示で停戦後の日本軍将校には帯刀を許可し たといいますがそれもほんの短時間だけ。
 行き先を偽り、シベリアや北樺太に捕虜として過酷な労役に従事させるために送り、一割以上の死亡者 を出したソ連の仕打ちを日本人は終生忘れてはなりません。

 欧米諸国の歴史をご覧ください。ほとんどむかしと変ってはおりません。そしてご想像ください。
 白人の植民地世界を破壊したのは日本という有色人種の国で、しかも恐ろしく強い軍隊を創立すること ができる人種です。こんな危険な人種は白人社会の目の上の瘤です。
 米国は日本の過去の歴史をすべて「侵略国」としてゆがめ、永久に自立できる軍隊を作らせまいとして
 現在も色々と工作しています。
 愛国心をもち、世界の中で独立して飛躍できる日本を真剣に考える日本人がいないと、今のままでは
 間違いなく消滅してしまいます。
 私は少年時代の4年間を敗戦国民として日本国の保護もなく、幾度となく生命の危機にさらされ、自転 車やメンデルの遺伝の法則さえも自国民の発明だとする民度の低いロスケ社会で暮らしてきました。
 鉄のカーテンの中での明日の知れぬ生活。それは精神的にもきわめて悲惨な状況でした。
 子孫をそのような目にあわせたくない。自覚をうながすためにも終生樺太の体験や千島の史実を同胞に 伝えていきます。
 
 (参考文献)
  「1945年夏 最後の日ソ戦」 中山隆志
  「樺太防衛の思い出」 鈴木康生

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