近代戦史と国際情勢の研究、考察

旧北方領土(樺太、千島列島)の史実伝承

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日本軍雑記5

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 軍隊の兵営内の生活は、一般人には分らないのが普通だが、数々の軍隊用語が一般社会で抵抗なく使わ れたり、内情が知られたりしていたのは、除隊者の体験談がふるさとから全国に広まったせいだと思  う。軍隊用語を列記すると、「員数合わせ」「奉公袋」「官給品」「上靴ビンタ」「整列ビンタ」など がある。昭和一桁生まれの人なら、これらの意味を知らない人はいない。

 軍律厳しい大日本帝国陸海軍では、「上官の命令は天皇陛下の命令だ」として、絶対の命令服従を
 義務付けられ、とくに陸軍では「言い訳」「弁解」は卑怯で最悪の手段とされ、もっとも厳しい私的制 裁(リンチ)を受ける事が多かった。「命令は絶対」として部下は完全に発言を封じられていた。
 でも救いの道は僅かだけれど残っていた。それは日本軍の伝統といえる内務班のしきたりだった。
 
 「同年兵同士の強いきずなと団結」がそれだった。
 階級が絶対といわれる軍隊ではあったが、例外が生きていた。
 「古兵」「古年次兵」「3年兵」などの呼び方が公然と使用され、その組織の長・部隊長や将校たちも
 内情を知って黙認していたのだ。

 分り易く解説するとこういうことになる。
 同期で入営しても、その後の実績や功労で階級に差がつく場合が多い。横並びだった二等兵から
 2,3年後には上等兵や兵長に昇進する者がいるのに対し、まったく昇進せず二等兵のままである
 者。内務班のしきたりでは、二等兵は敬称なしの苗字で呼ばれるのだが、1,2年後に入隊した
 後輩の兵隊たちは、この万年先輩を「古兵(3年兵)殿」と敬称の呼び方をするように、先輩から
 教わるのだ。
 もうお分かりのように、原則はあくまで階級制でありながら、それ以降に入営して階級が上位に
 なった後輩も、先輩の二等兵には絶対に頭があがらず、呼び捨てにされ、下級者扱いされるのだ。
 仮にもしこの後輩上位者が、この先輩に反抗したとすると、内務班は大変な騒動になる。
 古兵の同期の者たちは、こぞってその後輩上位者より年次の古い同階級者を探し出し、その者から
 この後輩同位者を弾劾させることになる。
 「いざ鎌倉」の非常時には、「同期兵の結束の強さ」を示すことになり、戦場での団結心にも繋がる
 効果として、部隊全体がこのしきたりを密かに奨励し、黙認していたのだ。
 
 日本軍に限らず軍隊は国防を目的とするプロの特殊組織である以上、縦の構造と団結、規律が維持され なければこの組織は成り立たない。命令を厳守させる法規がなければ、戦争は成り立たない。
 いざ戦闘というとき、(怖い、いやだ)などの理由で銃を捨てて戦場から逃避すれば、それは「敵前逃 亡」の重罪で処罰されるのはどこの軍隊でも同じで、状況によって多少の差異はあるが、大体が「死  刑」または「終身刑」である。
 
 そして国防の任につく自衛隊には、まだ具体的な戦時法規が整備されておらず、軍事法廷の規定もな  い。国家秘密保持に関する規定もまだ完備されてはおらず、日本国には現在、数百人といわれるスパイ が日夜、日本の機密を盗みだそうとうごめいている。
 
 *この写真は、樺太の綿羊牧場

日本軍雑記4

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 戦場以外での外出時の服装は、諸外国軍隊が武器類を身につけない制服姿であったのに対し、日本軍は
 兵隊であれば銃剣を腰に付け、さらには公用腕章をつけ、将校ならば、指揮官としての象徴である軍刀 を必ず腰につけていた。そして尉官なら朱、佐官ならば黄の飾り房を軍刀につけており、公用車に乗る ときにも軍刀と同様の朱や黄の三角旗をなびかせていた。
 この習慣は、武士の伝統である大小の刀を身につけていたところからくるのではないかと思う。
 帯刀を許されるのは、陸軍では軍曹以上で、戦場では拳銃(南部14年式)も支給される。
 ただ例外は憲兵で、全員が帯刀していたが、下士官(軍曹)以下はサーベルだった。

 入営すると、その経歴(学歴)に応じて、幹候(幹部候補生)や下士候(下士官候補生)受験を
 勧められるが、それを断る者はほとんどいなかった。戦後は、よく体験談などで(思想的に軍隊に反  発、抵抗していたので、断った)とか拒否したという手記がでまわったが、私は眉唾ものと思いたい。
 その証拠に今のマスコミ、朝日はじめ大半の左傾メデイアも、みな積極的な戦争協力者であったのは
 事実だからだ。

 話を戻すと「幹候」は、合格して所定の要件を満たすと少尉に任官し、「下士候」は伍長に進級する。 だから軍隊ドラマで、下士官に散々いじめられた初年兵が、「幹候」を志願し、合格し、その下士官を 飛び越して進級し、見返すことができた、などということは、現実に数多くあったのである。

 下士官が内務班(兵営内の日常生活)で新兵いじめをしたという伝説は、あまりにも有名だが、事実
 そのたぐいのことはあったようだ。でもそれは左翼が事実以上に実態を歪曲し、反戦気風を盛り上げる
 ことが目的で、実際には社会人気風からいつまでも抜けきれない新人を意識的に鍛える目的で、班長で ある下士官が実践した精神教育で、上官である将校や部隊長もその主旨は理解して黙認していたのだ。
 だから部下思いの部隊長は、その精神教育が度を越さないように、週番士官などに命じて絶えず目配り をしていたようだ。それでもたしかに自殺などの事件は起きていたようだ。
 実際の戦闘では、分隊長である下士官(主に軍曹)が指揮官だから、日頃から部下の掌握が必要で、
 日本軍に限らず米軍などでも、班長(軍曹)の日頃の厳しい部下教育は、若干度を越す事があっても
 大目に見られていた事はまちがいない。

 ただどこの軍隊でも、戦争のベテランである、兵隊から叩き上げてきた下級将校や下士官のそれ以上の
 昇進率は少なく、だから消耗品などの噂が絶えない下級指揮官なのである。
 時代とともに戦争のやり方も変り、これら現場指揮官の殺害に的を絞った狙撃部隊が編成されるように なり、精密な望遠レンズ付の狙撃銃も開発されている。
 そういう点では日本軍歩兵が手にした村田銃は、5連装ながら射程距離も長く、命中率も良い狙撃銃
 として及第点の銃だった。
 最後に日本軍の名誉のために言及するなら、日本軍でも連発発射できる自動小銃の研究は進んでいて、 落下傘部隊など一部兵科では専用自動小銃が開発され、装備されていた。しかし自動小銃は命中率が劣 り、弾薬の消耗も激しく、村田銃の手動操作に慣れた兵士の発射時間、命中率等を総合すると、全兵科 に自動小銃を採用するにはあたらない、と技術将校が結論付け、採用を見送ったいきさつがあり、
 決して日本軍武器の技術開発が遅れていたわけではないのである。

 *写真は、樺太師団(第88師団)主要幹部の英姿

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