近代戦史と国際情勢の研究、考察

旧北方領土(樺太、千島列島)の史実伝承

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大本営発表3

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 著者は、日本の満州事変の成功が、ロシアの極東軍備の不備やアメリカ太平洋艦隊の未整備が原因であ ったにもかかわらず、「日本が優秀民族で、神国だった」がゆえに成功したかのような思い込みに走っ たことから、誤まった道を驀進していった実態を記述している。

 欧州ではイタリアがエチオピア戦争をはじめ、ドイツはルールを占領し、日本は満州事変をおこし、
 いずれも現状打破を標榜する3国が、3国同盟を結ぶ経過をたどることは必至だった。

 親独派だった陸軍の発言力は、この頃から増大し、予算も増額され、軍部大臣現役武官制が取り入れら れてからは、軍部と政党の軋轢も生じるようになる。

 昭和16年4月、松岡外相は、ロシアと「中立条約」を締結したが、その直後、ドイツが電撃作戦でロシ アに侵攻し、その急変は日本の予想外の出来事だった。ベルギー、オランダ、フランスはすでにドイツ の統治下にあった。
 しかし陸軍は、「関特演」の名の下に在満兵力40万を一気に70万に増やし、ドイツ軍の戦況を見守った が、意に反しその進展は挫折し、陸軍もノモンハンその他の痛手体験から、ドイツ参戦にはいたらなか った。

 一方、蒋介石は、米英の援助を受け、重慶で徹底抗戦を叫び、戦線は膠着状態に陥り、日米外交交渉で は、満州からの撤兵の要求に対して、陸軍は20億の国財と10万の犠牲を払った大陸からの撤退は断じて
 受け入れられないと強硬姿勢を主張し、日本国内の議論は沸騰点に達し、内閣改造にまで発展する。

 米国の日本に対する要求はやがて「ハル・ノート」として明示されるが、その時点で日本は戦争を決意 し、陸海軍の構想を検討することになるが、対米戦争の主力となる海軍の意見が重視される。
 
 *この写真は、豊原(現ユージノ・サハリンスク)にあった樺太庁舎。
 

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