近代戦史と国際情勢の研究、考察

旧北方領土(樺太、千島列島)の史実伝承

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大本営発表4

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 昭和16年7月2日の御前会議の決定事項は、要約すると次の4つの項目だった。
 1.日華事変の処理に邁進し
   自存自衛のため南方進出の姿勢を強化(対米英戦を辞せず)
 2.独ソ戦には介入せず。但し戦況により武力行使して北方問題を解決する
 3.各種の施策は対米英戦の基本態勢の維持保持に支障なからしむよう・・
 4.対米交渉を続行し、参戦防止
                                   以上

 これは当時の陸軍、海軍、外務省の意見を総花的に羅列したも同様で、これらを一本にまとめる偉大な 人物がいなかったということだ、と著者はいう。

 そして同年9月6日の御前会議で、次のことが決定された。
 1.自存自衛を全うするため、対米英蘭戦争を辞せざる決意の下に、戦争準備を完成すること
 2.並行して外交手段を尽くして要求貫徹に勤めること
 3.10月上旬頃に至るも要求貫徹の目途なき時は開戦を決意すること
                                    以上
 南方作戦の主力、海軍は、「2年間の成算はあり。ただしその先はわからぬ」と言明。


 このときの状況を、著者は「ドイツは優勢だが、ロシアは頽勢、イギリスは不調だから、いずれ
 日本に有利に解決するだろう」と楽観的な判断をしたものだと解説し、それにしても米軍潜水艦や電探 の威力そしてB29の猛威、まして原爆の出現などは夢想だもしなかったと告白する。

 東条陸相(陸軍中将)は、この会議(9月6日)の海軍大臣発言をとらえて、「海軍側は戦争を欲しない ようだから、この決定事項はご破算にしてやりなおさねばならない。責任上、総辞職の外なかろう   が、後任は東久爾宮が最適ではなかろうか」と意見を述べたという。
 後任の首相が宮家では責任問題その他発生時点で畏れ多いとして実現しなかったが、戦争回避に適当と して実力者の東条陸相が急遽、選出された。首相の地位に合わせて階級も陸軍大将に昇任したが、東条 の性格は、生一本、勇断果決が本領で、後に戦争街道を驀進することになる。

 米国への最終提案は、野村大使から「覚書」として提出されたが、その内容は次のとおりである。
 1.第3国は日華事変の完遂を妨害せざること
 2.日本への軍事的脅威や経済封鎖を解除し、経済上の正常関係を回復すること
 3.欧州戦争の拡大が東亜に波及することを極力防止すること
                                        以上
 そしてこの覚書への回答がハル・ノート(日本の提案への拒絶)なのだ。
 昭和16年12月1日、御前会議は苦慮8ヶ月の決算として対米英蘭戦争を決定し、著者は翌2日に、宣戦布 告が12月8日と聞かされたとある。

 *写真は、角巻き婦人と樺太犬

 

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