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「満州事変や日華事変は大戦などという代物ではなかった。だから臨機の処置でやっていた」と著者
松村(大本営)報道部長はいう。長年、日本はロシアを仮想敵国として対策を練り、ロシアの5ヵ年計 画が日本の刺激となり、またロシアは日本の満州進出に刺激され、お互いに極東の軍備拡張に躍起にな っていた。だから南方作戦の準備と研究は、とくに陸軍は不十分だった。
1941年(昭和16年)12月8日の開戦は、南洋の自給圏確立で、蘭印をとるために米英の拠点シンガポー ルとマニラに進撃する必要から、マレー及びフィリッピン作戦が敢行された。
それには東条首相が推挙した山下奉文中将が軍司令官として任命され、奇襲作戦が行なわれた。
ここで著者は東条首相と山下中将が犬猿の仲だったという噂を否定する。
日本軍の兵力は、3個師団(約6万人)が基幹で、陸海軍航空機が600機、それに対して英印濠軍は
12万人、航空機は280機だった。兵力は日本軍の2倍だったが、飛行機は大体半分。
12月8日、日本軍第5師団は、タイ領シンゴラとバタニーに進撃し、第18師団は、英領マレー北端コタ バルに上陸、進撃した。日本軍は、1,100キロを55日間の快速進撃だった。
日本軍作戦の成功は、神速果敢、突進につぐ突進だが、それは航空機優勢の影響が大だった。
そして12月1日にシンガポールに入港した英の最新鋭戦艦プリンスオブウェルス(3万5千トン)と
巡洋戦艦レパルス(3万2千トン)は、マレー沖海戦で日本軍に撃沈され、世界を仰天させた。
この攻撃に参加した日本軍海軍航空隊の陣容は、偵察機12、電撃機51、爆撃機34で、受けた被害 は驚くなかれ3機のみだった。これは世界の海戦史上はじめての快挙で、「戦艦は航空機には勝ち目が ない」という革命的意義を日本海軍が実証したことになる。
撃沈されたこの2隻の世界的新鋭戦艦の装備、性能内容は次のとおり。
最高速度30ノット、搭載機4機、25連装高射機関砲3、20連装高射機関砲1、8連装40ミリ
高射砲4、4,7インチ高射砲4、1分間6万発発射の銃砲火で隙間なく武装された浮沈艦だった。
陸軍部隊も実戦で鍛えられた精鋭で、夜戦と奇襲は得意であり、真珠湾攻撃の大戦果とマレー沖海戦の 大勝利で、第25軍の華南からの海上輸送、上陸も順調。当分の間は日本軍の快進撃、勝ち戦が続く。
敵と互角の装備なら日本軍は必勝の連続で、後半不利な戦いになっても、その差が4分の1程度であれ ば対等の戦いができると言われていた。それほどに日本軍は戦闘にたけ、敵軍に恐れられていた。
*この写真は、鵜城港。日本に帰国時は、ソ連船でここから真岡港に輸送された。
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