近代戦史と国際情勢の研究、考察

旧北方領土(樺太、千島列島)の史実伝承

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大本営発表19

 太平洋戦争で勝敗を決定したのは、「南北分離」と「生産破壊」であった。というのは、原料は南方  に、工場は本土にあったし、石油は南方でとれたが、武器は内地で出来たからである。
 この2つの連絡が、断ち切られてしまっては、日本の軍備は不具(差別用語ご容赦、原文のまま)に
 ならざるを得なかった。

 そうして「南北分離」に大きな役割を演じたのは、米潜水艦だった。これは昭和18年末あたりから急 上昇してきた。フイリピンがとられ、南シナ海は米航空基地の支配下におかれることになり、南北の 分離は完全なものとなってしまった。

 「生産破壊」はB−29が担当した。(中略)もしサイパンー東京1200マイルのほぼ中間にある
 硫黄島が敵の手に落ちたら、サイパン殴り込みが出来なくなる。こんな意味で硫黄島の攻防戦は起こ ったのである。

 硫黄島の地上戦が始まったのは、2月19日。米軍は、期待ほどになかったB−29の攻撃を、期待以上 のものにしたいと考えていたようだ。3月9日夜は東京大空襲の日である。B−29が低空からナパー ム弾(油脂焼夷弾)を巻きだした始めであった。

 B−29が威力を発揮してきたのは、この夜からだった。その数日後に大阪も夜間の大空襲を受け  た。かくして生産破壊の王者はいよいよ猛威を逞しうしてきたのである。(中略)
 こんなわけで、日本の補給は次第に心細くなっていった。(中略)

 一方中部太平洋の米軍基地の補給は、クエゼリン、エニウエトク、ウルシーと進められてきた。
 この大基地ウルシーは、有史以来かってなかった世界一の艦隊と大輸送団を呑吐していたのである。


 このウルシーこそ、太平洋戦争の影の支配者と言っても過言ではなかった。このウルシーを日本は
 決して見過ごしたわけではなかった。「ウルシーを叩け」というのが実は日本海軍の念願であった。

 3月11日、「丹作戦」が決行された。大型飛行艇に誘導されて、新爆撃戦闘機「銀河」24機が、南九州 から飛び立った。これは、1400マイルを翔破してウルシーに「次期作戦遅延」の注文をつけるた めに飛んだのである。(中略)

 途中で故障を起した13機は不時着し、11機がウルシーに殴りこんだ。ここは、日本の飛行機が容易に 手のとどかないところにあり、海、空厳戒の大基地に時ならぬ日本機の空襲である。レーダーで日本 機接近の模様は、逐一報告されながらも、心寒からしめるものがあったに違いない。
 相当の戦果をあげたものと思われたが、この海中の巨人はビクともしなかった。

 敵の艦隊はすぐ出動してきた。そうして、4月1日の沖縄上陸も、遅延させることが出来なかったの である。そして硫黄島の死闘が近づくのである。

 *この写真は、真岡郵便局。昭和20年8月20日、ソ連軍が強行上陸し、真岡郵便局の交換嬢9人  が日本軍司令部に状況報告をしながら、服毒自決した。靖国神社に祀られている。

 

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