樺太千島の史実
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村に常駐したソ連兵2人が私たち日本人にタブーの1つが日ソ戦の模様を語ることであることは前述した が、2つ目は自分たちの任務に関する質問と宿舎内部の状況を知られることだった。 |
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わたしたち一家が漁船で樺太西海岸から決死の樺太脱出をはかり、途中で不慮の事故からエンジンが故 障し、最寄の漁村からソ連軍トラックで元の村に送還されたときやその後校長官舎と校舎を接収すると ソ連軍将校が乗り込んできたときを回顧すると、もし父やわたしたち母子がロシア語を話せたならど れほど有利な交渉ができて危険な場面を回避できたかわからないと無意識に考えるようになっていた。 |
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ある朝、校長宅に隣接したソ連兵宿舎前にソ連兵が2人そろって立っているのを確認した父は |
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この頃、樺太各地に展開し駐屯するソ連軍の悪行に関する噂が続々と入ってきた。 |



