近代戦史と国際情勢の研究、考察

旧北方領土(樺太、千島列島)の史実伝承

近代戦史、国際情勢

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日本軍雑記7

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 戦場での戦闘行為は、日常生活とは異なる異常行動だ。米軍では、戦場で配られるタバコには沈静剤が
 入っているものもある。軍隊生活は、女性のいない特殊社会生活なので、自然と殺伐な気持になり、性 的な欲求不満がつのり勝ち。このことは世界の軍隊共通で、猥褻な替え歌がはやり、戦地住民への暴  行、レイプ事件に発展する恐れが高い。
 欧米の軍隊では、目標地点を占領するたびに、そこの敵国住民に対し、略奪、暴行、レイプが黙認され る場合が多いという。敗戦国・日本は、駐屯米軍はじめソ連軍によって海外の邦人も含めて、どれほ  ど大きな被害を受けたかわからない。

 今、話題が再発している韓国「慰安婦問題」も、日本軍が戦場に慰安婦集団を同行させていたことは
 事実だが、それは将兵の性の欲求を満足させるため、業者の同行手配を「必要悪」として黙認していた ということで、真意は現地人との性に関するトラブルを避けることにあった。
 日本国内にあっても遊郭は長年存在し、戦後も国が公認する赤線や非公認の青線が、昭和33年まで存在 していたことを知らぬ人はいない。
 だが、韓国がいう「日本軍が20万人の朝鮮女性を強制連行し、慰安婦として利用した」という抗議は
 捏造された大嘘で、ここでは詳細を省くが、日本人マスコミによる記事が発端なのだ。

 反日国・韓国は、中国同様に国民の不満をカムフラージュするために、日本を巧みに利用しているのが
 真相なのだ。
 遊郭経営者は、日本国内と同様、外地でも慰安婦を高給で募集しており、それに応募してきたのが、
 日本人を含め、朝鮮女性なのであり、まったく軍の関与もない任意の応募だったことは、その後の調査 で明らかになっている。

 海軍にくらべ、国際的視野のせまい田舎っぺ陸軍は、外地で独善的な思考を現地人に押し付け、反感を 買い、トラブルに発展したケースが多いのが目につくが、戦後これらトラブルが国際問題に発展したケ ースもある。

 戦場では、国民に報道されなかった秘密事項も少なくなく、そんなところから軍隊に対する多くの疑念 も発生しているが、例をあげれば将校たちの戦場での自決問題である。
 指揮官として戦術を誤り、処刑 される状況であっても、武士道精神から用意された特定場所へ連れて いき、拳銃を渡し名誉ある自決をうながす、あるいは特攻隊員が何らかの事情(機の故障、敵発見でき ずなど)で帰還した場合、外出をさせず、再度折をみて出撃させたなど、本人の意思に反しての強制が あった疑問が浮かぶが、立証できないケースが多数存在しているのも事実なのだ。
 ただしこれは日本軍のみならず、世界の軍隊に共通の疑問、問題なのだ。

 特攻隊は、出撃する勇姿を飛行場外で住民たちに見送らせている。この時点で隊員は2階級特進とな  り、軍神なのだ。それが何らかのトラブルにより帰還した場合、例え本人の意思で再度出撃するにせよ
 祖国のために戦死した軍神のイメージが低下する。そんなことから多分本人から外出を辞退したのが
 慣習となったのだと推察したい。
 なぜなら特攻隊員は、最初から、「機に爆弾を抱き、敵艦に体当たりして自爆する」のが自分の役割と 知った上で、応募しているのだから。
 米軍の多数の目撃証言でも、日本軍人は投降して捕虜となることをかたくなに拒み、「万歳突撃」で
 敵弾で戦死する道を選んだ、とある。
 それには戦陣訓「生きて虜囚の辱めを受けず」の影響が大きかったことはたしかである。
 米英軍は、敵と戦闘行為をした後、明らかに戦況不利と判断した場合には、迷わず投降した。
 捕虜になるということは、日本軍のように「恥の観念」どころか、堂々と敵と戦った証であり、むしろ
 名誉とさえ考えるのである。
 
 歴史的に日清戦争や日露戦争を体験した日本は、独自の努力、創意工夫もあり、急速に軍事大国として 発展した。そしてその戦勝体験により(ノモンハン事件のように壊滅的打撃を受けた戦闘もあったが、 真相は秘密にされ、国民は知らされることはなかった)徐々に自信をもった日本軍は、結果的に暴走  し、道を踏み外し、白人連合軍の手ひどい報復を受けることになる。
 ここで特記しておきたいことは、昭和天皇についてである。
 歴史的に皇帝が統治する帝国は、その絶対的な権力で思うままの独裁政治を行なう皇帝が大半だった  が、日本は、およそ他国とはちがい、質実剛健を旨とし、民衆とともに栄える天皇政治だった。
 平和を愛する民衆のための天皇制で、前大戦では軍の暴走で天皇の意思は反映されず、陸軍は原爆投下
 後にも徹底抗戦を叫んで、日本滅亡の道を歩もうとしたが、天皇の決断で終戦に導き、戦後、進駐した 占領軍には、天皇自らの意思で交渉に赴き、「自分の命と引換えに日本国民の安全を保障してほしい」 と訴え、命乞いにきたと思った占領軍最高司令官・マッカーサー元帥をいたく感動させ、尊敬の念を
 抱かせた昭和天皇は、私たち日本民族の救いの親でもあるのだ。
 
 突然思い出したのだが、前大戦時、ヨーロッパ戦線でドイツ軍に包囲され、全滅寸前だった米軍を
 激戦の結果、部隊半数の戦死者を出してまで奇跡的に救出に成功した勇猛部隊は、自分たちの親兄弟が
 強制収容所に隔離された日系人の志願部隊で、親の祖国・日本との戦闘は拒否し、欧州戦線を志願した
 若者たちだった。この戦功で日系人部隊の強豪さが世界にとどろき、日系人の評価も向上した。
 この事実を考えるとき、我々日本民族の血を引く日系米人も、なにか伝統的な軍人(武士)としての優 れた遺伝子が流れていたのかな、がほんの瞬間私の頭をよぎったのだ。

 *写真は、樺太・国境の町・敷香。樺太北部防衛担当の連隊が駐屯していた。

日本軍雑記6

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 国防を目的とする軍隊には、徴兵制と志願制があるが、日本帝国では徴兵が原則だった。
 (*帝国とは、皇帝が統治する国家をいう)そして「兵役法」により、「帝国臣民たる男子」に限ら  れ、(ただし昭和43年の「改正兵役法」では、朝鮮人青年にも適用され、翌年44年から徴兵された)
 そして敗戦直前の1945年8月現在の陸海軍将兵は、700万人を数えることになる。

 兵役義務期間は、陸軍2年、海軍3年で、兵役をまっとうした者は、退役後、「陸軍は5年4月、海軍は
 4年間、予備役に服す」と規定され、非常時には召集されることになる。

 「兵役法」32条の身体検査では、次の4つに区分されていた。
 1)現役に適する者
 2)国民兵役に適するも現兵に適さざる者
 3)兵役に適さざる者
 4)兵役の適否を判定し難き者

 祖国の国防を担う軍隊に誇りをもって応募した者がいた反面、兵役逃れのため、大量の醤油を飲み干し たり(発熱目的)、不合格になるよう小細工をして身体検査会場に向かう青年もいたことはたしか。

 当時、永世中立国として有名だったスイスにも、祖国防衛の精鋭な軍隊があり、日本軍よりは短期だっ たが、6ヶ月間の兵役義務があり、実際に交戦国家(米英連合国軍対日独伊枢軸軍)の軍用機が領空を
 侵犯した際には、相当数の両軍機を撃墜しているのだ。
 そして日本敗戦の後には、損害金として莫大な金額をスイスに取られている。

 兵役に服すということは、いざ他国と戦争が始まったときには、祖国を守るため、武器をもって相手と 戦わなければならない。言い方はよくないが、「プロの殺し屋」としての殺し方の訓練を受けるのが
 兵営なのだ。戦闘はお互いの殺し合いだから、自分もいつ殺されるかわからない。
 そんな戦場に喜んで赴く人間などどこにもいない。
 よく耳にしたことは、「映画では米兵は世界一強い英雄だが、実態は、精神的に世界一弱い軍隊だ」  と。戦火をくぐってきた元日本軍将校の言葉だから、説得力があり、おそらく実態だと思う。

 たしかに世界各地の戦場で、日本軍はあまりにも米軍との差のある物量戦で、外観的にはもろい負け方 をしている場合が多いが、精神面(闘志、団結力、忍耐面)では、彼ら米軍には存在しない強さが
 あったことは確信できる。その証拠に日本軍と戦った敵軍は、日本軍の勇敢さを激賞するのだ。

 「軍人に臆病者はいても、英雄などはいない」という諺があるが、それが人間の真の姿ではないかと
 思う。だからこそ「敵前逃亡」の罪は、重罪の死刑か終身刑なのだ。軽ければ軍人の誰もが銃を捨てて
 戦場を逃げ出し、国は争いに負けて滅びてしまう。
 
 国を失った民族の実態はあまりにも悲惨だ。ジプシーがその代表。
 戦争、争いが嫌だから、その基になる軍隊の存在には反対だ。そんな政党や思想をもつ日本人は多い。
 戦後の日本体制がそうだった。近隣反日国が我が物顔で我が国領土を侵害し、国民を拉致したり、
 同じ民主主義国家である反日国が、我が国の主権を踏みにじり、自国の政治家を拉致して、自国に
 連れ戻す。戦争、紛争さえなければ、そんな国家?でも満足だ、という国民ならそれでも仕方はない  が、ソ連で4年間も抑留され、敗戦国民の悲哀さをいやというほど体験した私には、国防軍がない祖国 なんて独立国ではないと考える。今の世界で真から信頼できる国なんてどこに存在するというのか。

 *写真は、樺太で殉職した真岡郵便局の9人の交換嬢の慰霊碑。
 

日本軍雑記5

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 軍隊の兵営内の生活は、一般人には分らないのが普通だが、数々の軍隊用語が一般社会で抵抗なく使わ れたり、内情が知られたりしていたのは、除隊者の体験談がふるさとから全国に広まったせいだと思  う。軍隊用語を列記すると、「員数合わせ」「奉公袋」「官給品」「上靴ビンタ」「整列ビンタ」など がある。昭和一桁生まれの人なら、これらの意味を知らない人はいない。

 軍律厳しい大日本帝国陸海軍では、「上官の命令は天皇陛下の命令だ」として、絶対の命令服従を
 義務付けられ、とくに陸軍では「言い訳」「弁解」は卑怯で最悪の手段とされ、もっとも厳しい私的制 裁(リンチ)を受ける事が多かった。「命令は絶対」として部下は完全に発言を封じられていた。
 でも救いの道は僅かだけれど残っていた。それは日本軍の伝統といえる内務班のしきたりだった。
 
 「同年兵同士の強いきずなと団結」がそれだった。
 階級が絶対といわれる軍隊ではあったが、例外が生きていた。
 「古兵」「古年次兵」「3年兵」などの呼び方が公然と使用され、その組織の長・部隊長や将校たちも
 内情を知って黙認していたのだ。

 分り易く解説するとこういうことになる。
 同期で入営しても、その後の実績や功労で階級に差がつく場合が多い。横並びだった二等兵から
 2,3年後には上等兵や兵長に昇進する者がいるのに対し、まったく昇進せず二等兵のままである
 者。内務班のしきたりでは、二等兵は敬称なしの苗字で呼ばれるのだが、1,2年後に入隊した
 後輩の兵隊たちは、この万年先輩を「古兵(3年兵)殿」と敬称の呼び方をするように、先輩から
 教わるのだ。
 もうお分かりのように、原則はあくまで階級制でありながら、それ以降に入営して階級が上位に
 なった後輩も、先輩の二等兵には絶対に頭があがらず、呼び捨てにされ、下級者扱いされるのだ。
 仮にもしこの後輩上位者が、この先輩に反抗したとすると、内務班は大変な騒動になる。
 古兵の同期の者たちは、こぞってその後輩上位者より年次の古い同階級者を探し出し、その者から
 この後輩同位者を弾劾させることになる。
 「いざ鎌倉」の非常時には、「同期兵の結束の強さ」を示すことになり、戦場での団結心にも繋がる
 効果として、部隊全体がこのしきたりを密かに奨励し、黙認していたのだ。
 
 日本軍に限らず軍隊は国防を目的とするプロの特殊組織である以上、縦の構造と団結、規律が維持され なければこの組織は成り立たない。命令を厳守させる法規がなければ、戦争は成り立たない。
 いざ戦闘というとき、(怖い、いやだ)などの理由で銃を捨てて戦場から逃避すれば、それは「敵前逃 亡」の重罪で処罰されるのはどこの軍隊でも同じで、状況によって多少の差異はあるが、大体が「死  刑」または「終身刑」である。
 
 そして国防の任につく自衛隊には、まだ具体的な戦時法規が整備されておらず、軍事法廷の規定もな  い。国家秘密保持に関する規定もまだ完備されてはおらず、日本国には現在、数百人といわれるスパイ が日夜、日本の機密を盗みだそうとうごめいている。
 
 *この写真は、樺太の綿羊牧場

日本軍雑記4

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 戦場以外での外出時の服装は、諸外国軍隊が武器類を身につけない制服姿であったのに対し、日本軍は
 兵隊であれば銃剣を腰に付け、さらには公用腕章をつけ、将校ならば、指揮官としての象徴である軍刀 を必ず腰につけていた。そして尉官なら朱、佐官ならば黄の飾り房を軍刀につけており、公用車に乗る ときにも軍刀と同様の朱や黄の三角旗をなびかせていた。
 この習慣は、武士の伝統である大小の刀を身につけていたところからくるのではないかと思う。
 帯刀を許されるのは、陸軍では軍曹以上で、戦場では拳銃(南部14年式)も支給される。
 ただ例外は憲兵で、全員が帯刀していたが、下士官(軍曹)以下はサーベルだった。

 入営すると、その経歴(学歴)に応じて、幹候(幹部候補生)や下士候(下士官候補生)受験を
 勧められるが、それを断る者はほとんどいなかった。戦後は、よく体験談などで(思想的に軍隊に反  発、抵抗していたので、断った)とか拒否したという手記がでまわったが、私は眉唾ものと思いたい。
 その証拠に今のマスコミ、朝日はじめ大半の左傾メデイアも、みな積極的な戦争協力者であったのは
 事実だからだ。

 話を戻すと「幹候」は、合格して所定の要件を満たすと少尉に任官し、「下士候」は伍長に進級する。 だから軍隊ドラマで、下士官に散々いじめられた初年兵が、「幹候」を志願し、合格し、その下士官を 飛び越して進級し、見返すことができた、などということは、現実に数多くあったのである。

 下士官が内務班(兵営内の日常生活)で新兵いじめをしたという伝説は、あまりにも有名だが、事実
 そのたぐいのことはあったようだ。でもそれは左翼が事実以上に実態を歪曲し、反戦気風を盛り上げる
 ことが目的で、実際には社会人気風からいつまでも抜けきれない新人を意識的に鍛える目的で、班長で ある下士官が実践した精神教育で、上官である将校や部隊長もその主旨は理解して黙認していたのだ。
 だから部下思いの部隊長は、その精神教育が度を越さないように、週番士官などに命じて絶えず目配り をしていたようだ。それでもたしかに自殺などの事件は起きていたようだ。
 実際の戦闘では、分隊長である下士官(主に軍曹)が指揮官だから、日頃から部下の掌握が必要で、
 日本軍に限らず米軍などでも、班長(軍曹)の日頃の厳しい部下教育は、若干度を越す事があっても
 大目に見られていた事はまちがいない。

 ただどこの軍隊でも、戦争のベテランである、兵隊から叩き上げてきた下級将校や下士官のそれ以上の
 昇進率は少なく、だから消耗品などの噂が絶えない下級指揮官なのである。
 時代とともに戦争のやり方も変り、これら現場指揮官の殺害に的を絞った狙撃部隊が編成されるように なり、精密な望遠レンズ付の狙撃銃も開発されている。
 そういう点では日本軍歩兵が手にした村田銃は、5連装ながら射程距離も長く、命中率も良い狙撃銃
 として及第点の銃だった。
 最後に日本軍の名誉のために言及するなら、日本軍でも連発発射できる自動小銃の研究は進んでいて、 落下傘部隊など一部兵科では専用自動小銃が開発され、装備されていた。しかし自動小銃は命中率が劣 り、弾薬の消耗も激しく、村田銃の手動操作に慣れた兵士の発射時間、命中率等を総合すると、全兵科 に自動小銃を採用するにはあたらない、と技術将校が結論付け、採用を見送ったいきさつがあり、
 決して日本軍武器の技術開発が遅れていたわけではないのである。

 *写真は、樺太師団(第88師団)主要幹部の英姿

日本軍雑記3

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 日本軍将校のエリート学校「陸士」と「海兵」については既述したが、今の自衛隊でいうなら、
 神奈川県横須賀の丘上にある防衛大学校がそれに当たる。調べたわけではなく、ゆかりのある人から
 聞いたのだが、3年制で、有る時期から陸、海、空のいずれを志望するかによって、専門課程に移行す るのだという。昔の陸士、海兵が統合されたものと考えればいいのだ。
 優秀な青年が多いそうだが、(レベルは一流大学かそれ以上)卒業しても毎年自衛隊には入らず、
 民間企業に応募する者も少なくなく、ただ最近は急速に減少しているという。在学中は特別公務員とし て、月給、ボーナスを支給されており、自衛隊に入隊しない場合は、国に返還義務が生じるはずだが、 その返済責任をまっとうしない卒業生が大多数だった、という話は、随分昔に耳にしたことがある。当 然、国民の税金から払われているのだから、規則は厳守されなければならない。

 現代の指揮官エリート学校に違いはないのだから、自衛隊で任官すれば当然エリートで出世コースを驀 進することになり、大多数の将官クラスは防大出身者だという。

 軍隊の指揮官といえば、たいていは将校クラスをいうが、実際に戦闘中の現場指揮は、下級将校や
 下士官の場合が多かった。そしてその状況は、陸戦であるかぎり当分は変らないはずだ。
 日本軍や米軍でも、小隊長の少尉や分隊長の軍曹クラスが戦闘現場の指揮官である場合が多いので、
 死傷の危険はもっとも高い。だからこのクラスはどこの軍隊でも消耗品扱いされ、補充可能なように即 製で大量生産?されたというのも真実に近い。日本軍では見習い士官という制度があり、陸軍では「ザ ガネ曹長」と呼ばれた。それは曹長の襟章の上に「ザガネ」の記章がついていたからである。

 軍曹(サージェント)の呼び方は国によって異なり、米軍は「ファースト」「セカンド」などをつけて ランクを決めているが、日本陸軍は下士官を、伍長、軍曹、曹長と分けている。その上が准尉で
 准士官と呼ばれ、兵隊達の人事係的な職務をしていたが、下士官も含めてこのクラスは、兵隊から昇進 した苦労人が多く、階級もせいぜい士官の少尉どまりだった。でも兵隊のことは知り尽くしたベテラン だった。ちなみに大部屋と呼ばれる兵隊の階級を列記すると、入隊するとまず二等兵にはじまり、年数 と実績により、一等兵、上等兵、兵長と進級する。
 その上位が下士官、准士官、士官、将官と上がるが、士官は、尉官の上に佐官が位置し、階級は下から
 少尉、中尉、大尉、少佐、中佐、大佐と上がり、その上は、将官(閣下の敬称)となり、少将、中将、
 大将、元帥となる。海軍の階級は、兵隊、下士官クラスが陸軍と異なるが、その他はほぼ同じ。

 日本陸軍の場合、少尉は小隊長クラスで、中尉は中隊長、大尉は大隊長、少佐は連隊長クラス、中佐、 大佐は旅団長クラス、少将、中将は師団長クラスでした。そして陸士出身者は、参謀肩章を肩から吊っ た作戦参謀というエリート職を経て、将官か師団長に出世する軍人が多かったのです。

 現在の自衛隊の階級は、小、中、大を3,2,1と置き換えればすむが、将官クラスは、将補、将と
 米軍に似た階級になっている。(本日はこれで終らせていただきます)

 *この写真は、樺太西海岸・鵜城町の漁村風景です。日ソ国境から125キロ南下した場所。
 

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