近代戦史と国際情勢の研究、考察

旧北方領土(樺太、千島列島)の史実伝承

近代戦史、国際情勢

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日本軍雑記2

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 樺太北西部の炭鉱町で暮らしていた幼少時、通りかかったカフェ(飲食店)前で、陸軍と海軍の制服を
 着た2人の軍人が掴み合い寸前の喧嘩をしていて、怖いので急いでその場を離れたことがあった。
 この港町には軍人は常駐していなかったので、(実際には学校裏山に秘密の高射砲陣地があったが、彼 らの外出時は多分私服)軍艦が入港中で、その水兵(セーラ服)とどこからか来た同じ階級くらいの陸 軍兵だったと思うが、同じ日本軍人でありながら、なぜ喧嘩などするのだろう、と不思議に思ったもの だ。
 階級を取り上げたのは、例えば米軍は外出中、直属上官以外には敬礼しなくてもよいが、日本軍は如何 なる場合でも兵科を問わず、階級の上位者には敬礼が義務づけられていた。
 だから喧嘩するにも相手が階級の上位者がどうか確認してからでないと、上官に対する反逆となり、処 罰されるのだ。
 この喧嘩を目にしてしばらく後に、だれか大人に「陸軍と海軍は仲がわるいのだよ」と教えられたこと があった。陸軍と海軍の違いは、制服以外にも将校の頭にあった。陸軍が短髪に対して海軍は長髪だっ た。その理由を問うたとき、やはり大人がこう教えてくれた。「海軍は船が沈没したときに髪をつか  んで救助しやすいようにしているのだ」と。ところが実際には、遠洋航海し、寄港した外地で現地人と
 レストランなどで交流するために、配慮したのが伝統になったという説が納得しやすい。
 西洋では坊主頭は、囚人とみなされることが多かったので。

 当時、日本は徴兵制だったので、20歳を迎えれば、必ず一定期間、兵役につかねばならなかった。
 港町で暮らしていたので適齢期の青年たちは、海軍を志願する事が多く、学校の先生も「海軍を志願す るなら、絶対に目をわるくするなよ」と注意していたものだ。

 当時の日本軍は陸軍と海軍のみで空軍はなく、それぞれに飛行隊があり、「陸軍航空隊」「海軍航空  隊」などと呼称された。

 1944年頃、暗雲ただよう日本では、志願兵の年齢が14歳に引き下げられ、大々的にポスターで宣伝され
 少年たちの間で噂されるようになる。いまでも私の記憶に残っているのは、こんな会話である。
 「(少年)飛行兵の待遇は(少年)戦車兵よりいいそうだぞ。戦車の中は夏は蒸し暑くて、冬は寒くて
  大変だそうだ。やっぱりいくなら飛行機だべ」

 そして軍国少年にとってあこがれのもとは将校で、頂点は「陸軍士官学校」であり「海軍兵学校」だっ た。めったには目にしなかったが、腰に長剣を吊った陸軍将校や横長の肩章をつけ、短剣を腰に吊った
 海軍将校にはえらく興奮し、感動したものだ。

 父の昔の知人が海軍少佐で家に訪ねてきたとき、私は大興奮し、父に「短剣を見せてほしい」と少佐に 頼んでもらったところ、「抜いてもいいよ」と手渡され、感激した。そしてその短剣の刃が中央部分で
 少し歪んだ形になっていたことを鮮明に覚えている。
 父は将来、私を職業軍人にするため「陸士」か「海兵」を受験させようとしていた。
 だからその教育方法はスパルタ式で、子供の私にはずいぶんと堪えることが多かった。
 父が国民学校(昭和16年から小学校の名称が変更された)長だった時期には、級長(成績1番の生徒)
 だったので、「級友の連帯責任だ」として、帰宅してからも拳固で顔面を幾度も強打され、歯が浮いて
 夕食が痛くて食べられなかったこともある。
 それでもそのときは、(連帯責任の罰とはこういうものなのだ)と考えるようにしていたのだから
 時代とは恐ろしいものだ。

 *この写真は、樺太国境警備の警察隊

日本軍雑記

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 世界最強だった日本軍
 
 先に「日本軍は世界最強の軍隊だった」と書いたが、それは決してわたしの独善的な思い込みなどでは なく、日本軍と戦った米英軍将兵が口をそろえてその勇敢さを絶賛評価していて、数多くの戦闘報告や 史実に記録されているのだから、その戦争の善悪は別として、日本人は誇ってよい事実なのだ。
 前述したように戦争は国際法で認められた双方の国益紛争解決法で、だからその詳細も陸戦法規とか海 戦法規などと「戦いのルール」が分類されていて、最終的には賠償金支払いなどで解決しており、敗戦 国の指導者が処罰されることなどなく、それだからこそ第2次大戦は戦勝国による敗戦国(日本)に対 する復讐裁判だといい続けられているのだ。
 
 極東軍事裁判とニュールンベルク裁判の違い
 
 日本(極東軍事裁判)とドイツ(ニュールンベルク裁判)の裁かれ方が異なるのは、日本の指導者層が
 平和、人道の罪として有罪(絞首刑)にされたのに対し、ドイツでは国の指導者層は一切、裁かれず、 ユダヤ人大量虐殺に関わった首謀者のみが「人道の罪」として裁かれているのだ。

 日本憲法は米軍(GHQ)の押し付け  ドイツ憲法はドイツ議会が自主的に

 そして憲法に関しても、日本は米軍の押し付け草案から成立したのに対し、ドイツはドイツ国民が選出 した議会で成立したが、日本憲法はそのまま維持され、憲法改正に必要な「国民投票法」案がやっと今 月に成立寸前。それに対してドイツは自国民の意思で作った憲法を、すでに50数回も時代に合わせて 改正しているのである。

 日本軍とドイツ軍のちがい

 色々な評価があり、世界最強だった軍隊はドイツだという説もある。だが私はドイツ軍の上をいくのは
 日本軍と考える。その理由は、お互いの戦史を振り返ると、どの戦場でも緒戦はお互いに勝ち進んでい る。武器の水準を考えると、日本軍よりハイレベルだったのはドイツ軍だったが、海軍については、
 戦艦大和や武蔵その他の戦闘艦の造船技術や魚雷(酸素)など一部の武器の技術は、ドイツ軍に比肩
 できた(潜水艦はドイツが上)。航空技術は同レベルで、ロケット、小火器などはドイツが上。
 
 ドイツ軍は、常に用意万端で破竹の勢いで各国に進撃したが、武器弾薬等の補給能力が低下すると
 急速に弱体化し、戦闘意欲が低下し、ためらいもなく敵軍に投降した。
 それに対し日本軍は、敵軍とほぼ対等の武器弾薬なら、どの戦場でも必ず勝った。そして戦況劣勢な
 敗戦2年前頃でも、「武器弾薬が米英軍の四分の一あれば対等に戦える」と善戦し、それ以下になって も得意の夜戦斬りこみなどで敵の肝を冷やし、しまいには特攻隊や回天などで敵軍を仰天させ、さむか らしめた。ほぼ全滅したガダルカナル、サイパン、アッツ、硫黄、グアム、その他の島々でも、日本軍 守備隊は困窮した食糧事情の中でも奮戦敢闘し、全滅した。米軍はこれら守備隊を世界一不屈勇猛な  日本軍と絶賛し、「日本本土に接近するほど日本軍には新式兵器が出現する」と驚愕した。
 たしかに「戦陣訓」の影響があったことは否定はしないが、稀に見る日本軍の強さは、根底には日本伝 承文化の武士道の名誉や大和魂、祖国愛が将兵の心に宿っていたからだ、と確信する。
 中国・大連では、日露戦争戦場跡に足を運んだが、あの巧妙に作られたロシア軍の塹壕内で、日本軍が
 いかに突破口を切り開き、進撃したかの屈強な大和魂が実感され、涙ながらに感動した。
 
 今回は日本軍の強さについて私の考えを述べたものだが、決して日本軍に弱点や悪がなかったというこ とではない。これから順次折に触れて所見を披露させていただこうと考えている。
 どこの国、軍隊でも、その戦況発表には戦略上、カムフラージュする部分があるのが普通だが、日本戦 史上あまりにも悪名高く、国民を欺いたとされるのが、「大本営」陸軍部、海軍部の発表だった。
 国民はあまりにも過度なこの戦況発表を信じ、実情から遠のき、判断を誤まってしまったのである。

 *この写真は、樺太師団(第88師団)125連隊  彼ら将兵の奮戦があったればこそ、北海道の
  北半分をソ連に占領されずに済んだのである。


 
 

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 〇はたして日本軍は極悪非道な軍隊だったのか?
 
 戦勝国米英はじめ反日諸国からは、残忍で極悪非道な日本軍とされているが、わたしはそうではなかっ たことを、体験も交えて反論したい。

 戦史に興味、関心のお有りの方ならご存知と思うが、日本軍には世界的に有名になっている美談が多  く、しかもそれらの大半は当時の敵国将兵から語られ、賞賛、感謝されたものであることだ。
 日露戦争の乃木大将、中国大陸・青島で日本軍捕虜になり、日本の捕虜収容所で生活したドイツ兵、
 そして今夜フジテレビ系「アンビリバボー」で放映される英国海軍将兵など枚挙にいとまがない。
 そしてこれらに共通していることは、日本軍人に見受けられた武士道精神である。

 武士社会の士農工商の身分制度から伝承された近代日本だったが、軍人はみなが士族ではなかった。
 「強きをくじき、弱きを助ける」そして「名誉、責任を重んじる」そんな武士道の精神が日本軍の組織 に浸透して全員がそんな精神で行動していたのか、といわれれば、明確な返答は困難になるが、あえて 「そうだ」と答えても大きな誤りはないと考える。

 *写真は、樺太師団(第88師団)司令部 島都「豊原」

 わたしたち戦前の日本人は、神話も交えた歴史教育で、日本民族に誇りをもちながら育てられてきた。
 その教育の中には、優秀民族だから劣等民族は討つべきだなどという侵略的な教えは一切なく、歴史的 に朝廷を中心に長年栄えてきた国と教えられてきた。

 そんな教育環境で育った日本軍将兵だから、海外出兵時には、上官から「日本軍の名誉を汚さないよう に行動するように」との命令、通達を受け、厳守していたと考える。ただどんな場合でも例外はつきも のだから、逸脱したものが皆無だったとはいえないが、きわめてわずかだったと推察する。
 そのなによりの証拠として、海外に派兵した日本軍(シベリア出兵、義和団事件その他)の評判は、
 いつの時代でも現地住民や出兵した諸国軍からも、「軍規厳正で略奪、暴行、強姦をしない、まれにみ る絵に描いたような理想的な軍隊」と絶賛されているのだ。そしていつも最悪の軍隊と噂されるのが
 ロシア軍。
 
 そのように「世界の模範」とされた軍隊が、前大戦で急転して、「南京虐殺」で30万の市民を殺戮した り、宙に中国人の子供を放り上げて銃剣で刺し殺すなど残酷な行為をすると考えられるかということ。
 人を空中に放り上げ刺し殺すなどという習慣は、古来中国の私兵の伝承で、日本人には縁のない手法。
 抗日国際宣伝で中国が日本軍の残虐さを訴えるために捏造した多くの虚偽事件のひとつであることは
 明確なのだ。
 
 そして戦後、日本政府がこれら虚偽事件を黙認し反論しなかったために、時代の推移とともに国際的に
 既成事実として定着しつつあることは、きわめて残念なことである。

 特攻隊で戦死した幾多の将兵も、例外なく国、親兄弟を思い、自ら志願して戦陣に赴いた勇士たちだ。
 にもかかわらず、国内の左系メデイアが米国に、「国家・軍によって家族を担保に強制的に駆り出され た軍人たちだ」と嘘っぱちを注進している。
 特攻隊の産みの親、大西小将は、敗戦直後、自らの責任をとって、戦死した部下たちの後を追い、自爆 した。

 米英と諸戦勝国及び中国、朝鮮は、露骨な報復を現地(戦場)で行い、多数の日本軍将兵を罪状認否な しに銃殺、絞首刑に処した。
 米英は東京その他で無差別爆撃を幾度となく行い、多数の住民を殺害し、広島、長崎では原爆を投下し
 市民に30万の死傷者を出した。
 この事実は重大な国際法(ジュネーブ条約)違反で、当然罰せられるべき犯罪だが、いまだに罰せられ る事もなく、日本は世界ではじめて報復裁判(東京裁判)で、多くの指導者たちを絞首刑で失った。
 
 戦争は、国家間の国益をめぐって争われるもので、国際法でも認められているもの。
 通常はせいぜい賠償金で解決させていて、にわか作りの法規で裁くなど、「不遡及の原則」違反。

 明らかになったことは、今次大戦は戦勝国米英の敗戦国・日本に対する完全な報復だったこと。それゆ えに日本国の戦争がすべて悪であったことにしないと自分らの極悪が公になる。
 同胞日本人よ!この事実を決して忘れてはならない。

 最後に断言する。日本軍は世界最強で、軍規厳正な模範的軍隊で、米英及び白人諸国は、このように
 強力な軍隊を有色人種の日本に再現することを極度に恐れ、絶対に阻止しようとしている現実を忘れな い事だ。わたしが言いたかったのは、軍隊としての日本軍は、心身ともに世界最強の模範的評価をさ  れていた軍隊組織だったということ。乱文ご容赦を・・・。

 〇いささか遅きに失した感がありますが、興味、関心がおありの方にお知らせします。

 かねてから日本軍には美談が多かったことはお話したことがありましたが、下記の日時に日本海軍の
 美談が放映されますので、ぜひご覧ください。
       記
 フジテレビ系「アンビリバボー」
 午後7時57分開始

 *大東亜戦争中、戦闘中にありながら、決死の敵兵救助を敢行した我が帝国海軍軍人の美談について
 書かれた記録。http://tinyurl.com/3d3bgu

情報源:mag2 ID 0000049253
 2007.4.18 17:06

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 〇私が暮らした塔路(とうろ)町と鵜城(うしろ)町幌千(ほろち)村

 塔路町、幌千村とも、日ソ国境(北緯50度線)から75キロ、125キロ南下した西海岸(間宮海峡側)の
 港と山村だったが、対照的なのは塔路町が樺太北西部最大の炭鉱町で、人口急増中の大都会だったのに 比べ、幌千村は電気、水道や街燈もない大自然の山に囲まれた殖民山村で、年間を通して村人が必ずク マに襲われるという油断のならない野獣天国でもあった。
 
 〇深夜、山野から聞こえる不気味な鳴き声におびえる

 街燈のない村は月が出ないとあたりは真っ暗闇だった。文字通り「一寸先は闇」で、よほどの急用が
 ないかぎり、村人たちは外出しなかったので、夕方であっても村は不気味なほどに静まりかえる。
 夜は悪魔の世界という言葉があるが、幌千では、夜は野獣天国だった。山犬や狼の遠吠えやまるで子供 のような鳴き声のミミズク?か野鳥の声。
 移転して慣れない頃は布団を頭からかぶり、汗びっしょりで朝まで眠れない日々がしばらく続いた。
 おかげで体重はめっきりと減り、母親には「街燈の明るい塔路へ帰ろう」とだだをこねたものだ。
 でも運命的にはここへ移転したおかげで、ソ連軍の塔路空爆や艦砲射撃、上陸攻撃にも合わず、生命の 危機から逃れることができたのである。幾多の級友や知人たちが死傷したり、自決した。

 〇病院は隣町
 
 病院は隣町にしかなかったので、村人は日頃から自分の健康に留意し、大自然の植物や魚介類からスタ ミナを取りいれた。
 アイヌネギ(ニラの一種)、赤フレップ(コケモモ)の塩漬け、川の岩に取り付くヤツメウナギ、大粒 のシジミ、ミガキニシン、干ダラ、魚の塩辛、野イチゴ、コクワ、山ウド、ゼンマイ、ワラビ、クマの 胃、焼ミミズの煎じ湯など思い出せないくらいに加工食料は存在した。

 〇真冬、厳寒時の病気

 吹雪は一夜にして家屋を雪で埋め尽くすほどに猛烈だ。そして気温は平均マイナス10〜15度。
 こんなときの急病は悲劇だ。村で馬車の手配ができず、医者とも連絡が取れないときは、死を待つしか
 ないのだ。
 私は病弱だったらしく、両親が交代で私をおんぶして遠距離の病院に幾度も連れ歩いたらしい。
 樺太生活10年間を振り返ってみて、糖尿病患者は私たちの周辺にはただの一人もいなかった。

 〇糖尿病について

 私は残念ながら糖尿病患者だ。糖尿病と宣告されたらもう完治しないので、一生付き合うほかはない。
 私の場合、自業自得といわざるを得ない。仕事がら不規則な生活が続き、暴飲暴食の機会が多かった。
 そんなとき診察前検査で必ずお世話になるのが採血、採尿だ。血管が細いと採血では苦しい思いをする 事が多い。私の体験から、失礼だが医者の注射や採血の腕前は看護士より劣る方が多い。入院中はド  クターが採血することもあり、何度も個所を変えられたりして青あざができたり、しまいにはたこがで きたり、ベージュに変色したりする。私も散々苦しんだ。そして大いに喜び、やっと希望を見出したの は、数日前のテレビニュースからだった。

 〇糖尿病の血糖値測定器の開発

 千葉大大学院工学部北村教授が血糖値の測定器を開発した。そしてその画期的なことは、血糖値の測定 で必ず必要だった注射針による採血がいらなくなることだ。その代りに測定器に手の指をかざすだけで わずか10分ほどで血糖値のデータが表示されるというのだ。しかも今年度内には実用化の方針だとい う。血管が細くいつも採血を苦痛に感じていた私と同じ立場の人たちもこの情報を聞けば、大喜びする ことは間違いない。そんなことから私の同類の方々にお知らせしたい目的で投稿した次第です。
 
 *この写真は、塔路・「三菱鉱山塔路病院」 三菱鉱山の経営で、塔路港にソ連軍が上陸したとき、こ  の病院看護婦たちは患者同行で逃避行途上で服毒自決した。大平鉱山は露天掘りで有名な炭山。

 

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