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著者は「大東亜戦争」の末路についてこう述懐する。
「ホウレン草が不足したポパイみたいなもので、腕ばかり大きいが、心臓の負担が耐えられなくなった
格好だった」と。
第1線万能の戦争と補給重点の戦争の差異が作戦の推移とともに目だってきた。
第一線の補給のために、駆逐艦、潜水艦その他多数の優秀船が使用され、南方航路の護衛も配船も手薄 になった。配船護衛にはもっと力を入れ、飛行機の増産や乗員の養成も、このときから全力をあげて着 手しなければならなかった。
1942年(昭和17年)4月18日のドウリットルの日本本土空襲を、著者は陸軍省情報部から聞いて海軍省 に問い合わせたが、海軍側の秘密保持は厳重で、この頃から大本営報道部は陸軍より海軍につんぼ桟敷(差別用語はご容赦を、当時の原文のままなので)にされる。
こんなときに海軍主張で、軍令部(陸軍)反対の「ミッドウエイ作戦」が決定した。
日本本土空襲のB25、16機は、日本本土に爆弾投下後、中国に通り抜け、米艦隊(空母)はすぐに
反転していたが、この戦法を日本は知らなかった。
「ミッドウエイ作戦」
ミッドウエイを攻略する。そうすれば米艦隊がハワイから出てくる。そこを艦隊決戦で大打撃を与え る。そうなればハワイの攻略や米西海岸の脅威も可能と判断。そうすればこれで米の戦意をくじくこと ができる。
かくして日本の運命を決めた「ミッドウエイ海戦」は、次のようにして行なわれた。
5月下旬、日本本土を離れたことのない艦艇350隻、航空機1千機、将兵10万の大艦隊は、征途に 上がった。虎の子の油は、平時の1年分を消費する大遠征だったのだ。
ところが、ミッドウエイ攻略を、米は日本の暗号解読をして、密かに待ち構えていたのだった。まさに 日本「諜報戦」に敗れるところとなった。
(ミッドウエイ海戦の敗因)
1)諜報の敗れ
2)戦場の偵察に手落ち(偵察が手薄)
3)兵装のやり替え(爆弾の装着)
4)米機動艦隊が好機を捉えて、急降下で奇襲成功
〇日本軍にとって、空母4隻と多数の熟練したパイロットを失ったことは、最大の痛手だった。
そして大本営海軍部及び指導的位置にあった作戦部は、この損害を極秘にし、損害はきわめて軽微と 発表した。著者曰く、「このときから大本営発表の信用は、地に落ちたのである」。
この後の海戦で、日本海軍は、敵艦ホーネットを轟沈、エンタープライズ大破の大戦果をあげるが、
すでにこの頃から敗戦の一途をたどることになる。
*この写真は、樺太西海岸、恵須取(エストル)支庁所在地の恵須取港。ソ連軍の艦砲射撃、空爆、上 陸があった港。
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