近代戦史と国際情勢の研究、考察

旧北方領土(樺太、千島列島)の史実伝承

生活環境

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 慌しかったが、充実感があった。
 昨年暮れ、太極拳の検定資格試験に合格して、今年初めての大会に参加して演武した。
 県各地から参加した大、中グループの統一された鮮やかなユニフォームと比較すると、私たち小グル  ープは急遽参加の意思が明白に判るようなまちまちの衣装だった。
 出場総数は3000人ほどで、私たちのグループは、統一されたユニフォーム(ブルーとブラウン)の 2組約70人に挟まれた形で、舞台正面真中の位置で演武することになる。
 4周上部の観覧席にはやはり3000人近くの観衆が見下ろす形で身を乗り出し、時折フラッシュの
 閃光がまぶしい。
 少し緊張したが、グループ全員の統一された演武の様を見ながら快感も感じる。我々3グループは演武
 直前の位置決定だったが、先生の感想のように、全員息の合った演武ができたようだった。
 でも統一された両側のグループのユニフォーム姿には少しインフェリを覚えるが、(我々のグループ  は、ユニフォームはまちまちで少数でも、全員が検定資格合格者だぞ)と劣等感をカバーする。
 太極拳は、健康維持目的のグループが多いので、検定資格認定者の数は意外に少ないのだという。

 終了してから先生たちと飲食街へ行き、数人が先生なじみの店で剣を買う。来年から剣を始める由。
 私は以前、他の太極拳グループで剣を少し習っていたので、持っているので買わなかった。

 有名人がよく来るという中華料理屋で30分以上並んで焼きそばを食べ、感想を話す。
 電車で帰途につき、N駅パーキングに預けていったクルマで、仲間4人をそれぞれの自宅周辺まで送  る。少し疲れたが満ち足りた一日だった。

 翌々日は囲碁教室で、高段者の先生に「次の一手」をばっちりと仕込まれる。つくづくと納得した。

 そして油絵。15号の「白ゆりと静物」が完成し、感無量。プロの先生の手が加えられると、絵は
 俄然、魔術師のような精彩を放つ。(やはりプロは天才なのだ)と感動し、凡人の悲哀を感じる。
 全身に心地よい疲労を感じながら、先生の「いづれみんなで画廊へ出品しよう」の声を聞く。

 ふと樺太の抑留生活が頭に浮かぶ。
 長距離の移動を禁止された束縛生活の中で喜びはなかったのかと言われれば、それは否定しない。
 色々とあったが所詮は生命、財産、人権の保障のない異国・サハリンでの生活。自分たちの将来さえ
 どうなるのか不明だった。だが、生活の中の小さな喜びはたくさんあった。
 洋梨はソ連人が樺太に持ち込み栽培するようになり、私たち日本人は「これは美味い」と満足して食べ た果物だった。壜に入った杏の砂糖漬け、これも日本人の口には合った。
 寒い冬はいくら外出前にストーブで暖めてもすぐに冷えてしまうゴム長靴のかわりに、ソ連製フェル  トの靴は軽い上に暖かくて重宝だった。ソ連風に足にぐるぐると布を巻きつけて履くと足が冷えなかっ た。
 私が今幸せを実感しているのは、なによりも祖国日本で生命、財産、人権、自由を保障され、ささやか ながら趣味や道楽に専念できる環境で生活している自分たちの姿なのだ。(完)

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 *写真は樺太・鵜城港
 
 いま私は油絵の教室に通っている。やがて1年になるが、その前は水彩画やパステル画も習っていた。
 カメラ(含デジカメ)にも興味があり、これまた先生に習っていた時期もある。
 若い頃、シナリオ教室に通ったこともある。文章教室には行ったことはないが、文章表現、上達には大 いに興味、関心があり、関連する書籍を10数冊は読破した。
 そのせいでもあるまいが、その頃からボツボツと商業雑誌の投稿欄や原稿募集欄に入選するようにな  り、千円単位の賞金や入選料をうけとるようになり、投稿の魅力に取り付かれた時期があった。
 
 これらの趣味に没頭するようになった発端は、すべてが樺太にあった。
 私は物心のつき始めた4歳のとき、教員だった父の赴任先樺太に渡航し、それから10年間を樺太で育 った。札幌生まれのドサンコだが、北海道の記憶はまったくなく、後に樺太引揚者として北海道に帰国 してからも、4年後には上京したので、生まれ故郷の北海道にはうといのだ。

 樺太では日ソ国境から75キロ南下した西海岸の炭鉱町・塔路(とうろ)と、さらに50キロ南下した 鵜城町幌千(ほろち)村の2箇所で暮らしたが、塔路は1945年(昭和20年)8月16日(終戦の 翌日)、ソ連軍の武力上陸を受けて、多数の犠牲者(含自決者)を出した。
 
 1944年(昭和19年)春に幌千村に移転した私たち一家は、幸いにしてその惨劇に遭わずにすんだ が、知人や級友たちの多数が死傷した。

 樺太に侵攻したソ連軍の攻撃は1945年8月25日すぎまで続き、私もソ連軍の直接の攻撃(戦闘機
 の機銃掃射)や自決直前その他の生命の危機を10回ほど体験し、1949年(昭和24年)夏、帰国 したが、その地獄、修羅場の体験を同胞・日本人に伝承する目的で、上述した文章の上達や絵画の勉強 を始めたのである。

 そしてその目的が成就できるまで健康でいなければならないと健康保持で始めたのが武術太極拳で、
 まもなくその表演大会が行なわれ、私も段級位認定資格者として初参加することになる。

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  樺太名物に山火事があり、また夏期の濃霧があり、冬期の角巻きがあった。
 1)5年間暮らした炭鉱町「塔路」から越後大野藩の会所遺跡がある「鵜城」町に移転のためハイヤー  で通った山道が、やっと山火事がおさまったばかりの通り道で、道路のあちこちの雪の中で、枝木が
  煙をあげてくすぶっていた。
  山火事の原因は、雷、自然発火、汽車の煤煙など色々あったようだが、盗材の証拠隠滅のための放火  も少なくなかったようだ。
  いずれにしても山火事による損害は莫大で、年間百万石もの材木が灰になった。そのため樺太の山々  には必ず火防線が作られていた。
  防火用の10メートル幅員の無林地帯のことだ。

2)夏期(7月下旬から8月中旬ごろまで)の濃霧は、早朝から昼頃までのことが多いが、それは
  まるで濃い牛乳のようだ。
  脱走船(焼玉機関ー発動機船)で西海岸を南下中、この濃霧のおかげでソ連戦闘機から一時的には
  身を隠すことはできたが、昼頃には急速に霧散してしまうので、発見されてしまった。

3)角巻きは冬の婦人に欠かせない防寒具のひとつだった。
  角巻き姿で歩く婦人の後ろにしたがう樺太犬の写真などはまさに樺太風景そのものだ。

*火防線と角巻き姿の婦人の写真は、望郷樺太/写真集(国書刊行会)より引用。

 審査日から約10日後に結果が判明すると伝えられた太極拳審査結果は、昨夕先生からの電話で突然
 知らされました。

 受験した5人全員が無事「飛び級」に合格したという嬉しい報せでした。
 
 最終練習日(審査日3日前)に先生から(2つの資格取得に練習をしぼって行なったほうがいいかもしれ ない)とアドバイスされていたわたしだったので、前述したように審査日当日朝までウイークポイント に自信が持てず、棄権も考えていたのです。
 そして先生もわたしが3級にパスするとは思っていなかったそうです。

 その夜、寝床でわたしは突然母方の守護霊を思い出しました。
 少年時代のわたしの命を幾度となく救ってくれた守護霊の存在をかたく信じてきましたが、命以外には 関与していないと思っていました。
 
 そして今日の嬉しい結果は、先生や自分の努力、直前までアドバイスしてくれた仲間のおかげもありま すが、どう考えてもそれだけではなく、絶対的な力が働いていたように感じます。
 審査員の前で驚くほどに冷静に、注意事項もはっきりと念頭に、自信をもって演武できた当日のわたし
 には、先祖霊がしっかりと乗り移って手取り足取り指導してくれたことを確信しています。

 お付き合いいただき、有難うございました。
 これからはまた北方領土に関して書いていきたいと思っています。
 

 

 11月12日(日)は、わたしの「大事の日」で、それは2日前にようやく終りました。
 それはとても長くてとてもつらかった。
 そしていまやっと穏やかな気持でホッとしていますが、まだ心身ともに疲れは残っています。
 この日は太極拳の等級資格審査の日でした。
 
 どうぞ興味と関心のある方はお読みください。

 じつはこの日、朝になっても演舞動作の上で自信の持てない個所が2,3あり、自宅で幾度となく
 練習を重ねたのですが、不安は残ったままでした。
  
 
 審査の重点は「とうろ(演舞の手順)」と「手足の所作」だということでしたが、もし途中で間違った 動きをすればそれですべてが終わりなので、そのときは片手をあげて審査員に合図して、速やかに退場 し、帰宅するように注意を受け、当日の朝を迎えました。
 
 わたしたち5人は、資格審査を受験するのは全員はじめてで、「飛び級審査」という3資格を同時に受 験し、全部がパスすれば3級資格を授与されるのですが、もし5級審査に失敗すればすべてが失格になる という厳しい審査で、審査の結果は1週間から10日後には、所属する太極拳クラブの先生宛に通知する ということでした。
 
 したがって結果が知らされるのは今月下旬頃になるのですが、いまのわたしは色々な心のわだかまりが とれて、すっきりとして結果を待つ心境になっています。

 振り返ると当日早朝4時ごろに朝風呂に入り幾度も考えたことは、(不安な心境で審査に望むよりは
 年内は懸命に練習に努力し、来春の審査を受けるのがベスト)で、恥ずかしながら今回は体調不良の  理由で「審査放棄」しようかでした。

 審査会場へ向かう電車の中や審査前待機時間に仲間にウイークポイントの個所を何度も教わり、その甲 斐もあり、審査会場では落ち着いてスムースに弱点個所を乗り越え順調な演舞が最後まで出来ました。
 自分としては予想以上の出来栄えでした。
 
 そうであった以上、たとえ結果がいかなるものであれ、受験を勧めてくれた先生のご好意や仲間の友  情に感謝し、いまは穏やかな心境で待機する樺太育ちのわたしです。
 
 最後までお読みいただいたみなさまには、25日前後には結果はお伝えできると思います。
 お付き合いいただき有難うございました。 

 


 

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