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開校50年ですって…早いものね〜
私の母校の中学校。
半世紀も経ったのですね。
私は、正式な第1回入学生で、入学式は体育館が未完成で、
廊下の4つ角に校長先生が立って、入学式を行いました。
2年生、3年生は、よその中学から編入です。
背が高いほうで、修学旅行ではたち位に見られましたよ。
好きな男の子もいて、フォークダンスは順番が来ると逃げ出しました。
純情、可憐な女の子だったかも知れませんね。(^_-)-☆
私の学年は、悪は少ない方でしたが、
その後に入った私の娘や息子の数年前は、
テレビでも放送されるほど悪名高い中学校になりました。
今は、大分良くなってきたと言われていますが、
これも、1つの若さの発散だったのでしょうね。
あなたはどんな中学生でしたか
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想い出
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想い出の小学校「開校138年」
車ではなく、歩いていると色々なものを発見
私の1年生の転校から、4年生までいた、小学校の前を通りました。
現在の宮城県白石市の片倉家の家臣たちによって、1871年開拓の鍬が下されました。
幾多の苦難を乗り越えて1872年学問所を開き、後の白石小学校になりました。
立派な門と「二ノ宮金次郎」さんの銅像は当時のままです。
近くによって写真を撮りましたが…優しいお顔で勉強をしている姿が懐かしい〜
開校138年のこの学校の象徴です。
体の弱かった私は、街の小学校から、この学校に転校。
「町っ子が来た!!」と人気者でした。
しかし…生まれつきの漏斗胸の勢か、4年生には胸膜炎に罹り、6ヶ月の休学をやむなくしました。
それでも、学芸発表会では「森の小人」でピエロに選ばれましたよ〜。
どれが私か解りますか
私の健康そうな大切な写真です。
その後、又転校で…修学旅行も体が弱くて行けませんでした。
今の私には考えられないでしょう〜。
健康を願って…今は並みの健康を手にしました。
願えば叶うんですね
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お友達と、お店の閉店ご挨拶です。
6年間、お世話になったこのお店。
家族は勿論、お婿さんの会社でも、お友達とも、利用させてもらいました。 マスターが、健康に自信が無くなってきましたので、
閉店する事にしたそうです。 とても残念なことですが、仕方がありませんね。 閉店祝いに、アレンジフラワー
私達は、飲み 「出し巻きたまご」「イカのごろ和え」「アボガドのサラダ」 「生マグロのお刺身=ちょっと食べてからパチリと」 おまけに、「お通し」と、最後の「とりめん」
食べてから気が付いて… マスター、ママさん、健康に気をつけて、長生きしてくださいね〜。
おいしいお料理と、お酒をありがとう御座いました。 お別れはとっても寂しいです。 |
時々、人生に疲れた時、こうしてお気に入りの写真を見ています。 すると、心がいやされます。 あなたにも…おすそ分け…
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毎年、年賀状を送って、早いもので半世紀。 2年前の2月5日に、1人住まいの先生(現在は87歳です)のマンションに会いに行きました。 この日の事は、以前、ブログにも紹介しましたが… 今回は、お年賀の返事がなく、2月に入ってパソコンで寒中見舞いを頂き、 「一昨年より体調を壊して入院」とありました。 とても気になり、お見舞い品の外に、小学校時代のクラス写真を持ち、 15キロほど離れた病院に、迷い迷いたどり着きました。 その病院は、高台の上にあるとても大きな老人専用の病院。 収容している患者さんは400人を越えるといいます。 普通の病院は、3ヶ月で退院させられますが、 ここの病院はそのようなことはありません。 その勢か、ベットはいつも満員状態です。 週に1度は、こうして元気な皆さんが集まって、 歌を歌ったり、ボール投げをしたり、歌手の歌を聴いたり、 楽しい、リクレーシヨンが開催されています。 私も、先生の後ろに座らせていただき、一緒に楽しんできました。 まるで、小学生に戻ったような気持ちになりました。 私の事を、忘れないで覚えていてくれた先生。 再会して、ハグして、涙を流して喜んでくれた先生。 持参した写真を、大きな虫眼鏡で喜んで見てくださった先生。 昨年は、ダウン症の子供さんを残して、娘さんが「くも膜下出血」で亡くなったとの事。 どんなにか辛かった事でしょう。 たった1人いる息子さんも、神奈川にいらして寂しい事でしょう〜。 しかし…多くのお友達に恵まれて、生きる気力を持ち続けている先生。
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