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カトマンズの街の中を歩いていると、働いている子供たちに良く出会う。
路上で物を売っていたり、ローカルな食堂で下働きをしていたり、
あるいは、手に技術を身につけようとする子供たちだったりする、
皆、12歳前後の子供たちだ。
彼らはもうこの年頃から、生きることを身につけていくのである。
路上、作業場、食堂は、彼らの生きることの学びの場である。
今 日本では学力低下、世界の学力テストの順位が下がったなどと、
新聞、テレビで騒いでいる。
応用力がなくなった、どうにかしなくてはと官民一緒に騒いでいる。
人間の能力というものが、学校で身に着けることが出来るという幻想からだ。
今の日本では、子供たちが 大人と混じって、
社会から 生きる力を身に着けていくことは皆無だ。
子供が知る大人といえば、家族と学校の先生、塾の先生ぐらいのものだろう。
こんな社会の中で子供たちは 何を学び取っていくのだろう。
したたかな生活力は、どこから生まれてくるというのだろう。
ネパールでは、生きることは食べることだ。
これは子供たちにとっても無縁の世界ではない。
親が貧しければ、あるいは親がいなければ、食べることを背負わなければならない。
それは不幸なことであろうか。
長い目で見れば、幼い時から生きる力、生活力を身に着けた子供は、その力によって
彼らの人生を支えていくであろう。
したたかに大人とともに生きていく生活は楽ではないかもしれない。
それでも得るものは多いはずだ。
日本を支えてきた原動力もこうした子供の世界、社会で生きてきた大人によって
支えられてきたのではなかろうか。
甘さしか知らない子供は、甘さしか知らない大人しか生み出さない。
政府にとって、企業にとって都合のいい人間を作り出すだけでは、
日本の未来はないだろう。
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『生活する子供』というタイトルで趣旨を想像しつつ拝読。
貧しさゆえに「したたかな生活力」が身につく子ども達が夢見る未来は、どんな夢なんでしょうか?
「お金持ちになって・・・」は世界共通として、そのあとに続く言葉が違うような気がしますが。アセアン各国の子ども達の絵画展を見た時、その絵に描かれている内容の違いに驚きました。
2007/12/8(土) 午前 11:05
そんな大きな夢ではないと思いますよ。
毎日、3食食べることが出来て、安心して住める場所がある。そして、家族をつつがなく養うことではないでしょうか。
こういう国ではもっとお金がほしいというのは、お金を持っている人間の夢です。
あるいは良い教育を受けたと思っている人間は、そのプライド故に
手仕事を嫌い、一発千金を夢みています。
つまらない教育は、幻想だけを与えます。
2007/12/8(土) 午前 11:19 [ hikaruno ]
もう、一日中水道工事の音でうんざり、でした
さて、日本もすっかり、市場原理信奉者の国になってきています
勝ち組が正義、負け組みが悪・・・
私の甘い情感でこれを取り込んで、突き進めるのかと考えたり、
間違っているのだから、と立ち止まったり
生き残りゲームが始まっている事は、この田舎町もご同様・・
1枚目の写真の中央の少年、石原裕次郎のそっくりさん(晩年の)
に似ています、たくましい面構え、この子達を統率しているのかしら
2007/12/8(土) 午後 6:35
路上で物売りをしている少年たちはたくましいですね。
私立学校に通っている甘ちゃんとは一味違いますね。
こういう子供たちを見ると、すぐに可愛そうと同情する旅行者、
彼らは金持ちになれなくても、したたかに生きていくでしょう。
大人は、すぐに学校に押し込めようとして、彼らのしたたかさを
奪い取ってしまう。
2007/12/8(土) 午後 6:45 [ hikaruno ]