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山田長政がリゴットへ左遷され、その力を失い、暗殺されるまでの1年間、
シェイフ・アフマドはどうしていたのであろうか。
新たな権力者が プラチャオ・プラサートトーンであることが確実になるに従って、
策略家でもあるイスラム商人シェイフ・アフマドは、
策略家であるプラサートトーンとの関わりを深めていったに違いない。
貿易の利権を我が物にするには、すべてが整いつつあった。
山田長政左遷、暗殺にもシェイフ・アフマドの入れ知恵があったのかもしれない。
彼には、イスラム教徒同士のつながりをソンクラー、パッタニにも持っていたはずだ。
彼はアラビア人、ペルシャ人、マレー人、インド人などの貿易商を管理する大蔵省
右外務部の地位、
そして、中国、ベトナムを除く貿易商を管理する中外務の長でもあった。
アユタヤでの貿易を独占したいシェイフ・アフマドの思惑と、
日本人傭兵を一掃したいというプラサートトーンの思惑は
一致し、協力体勢が生まれてくるのである。
1629年 アユタヤ王プラサートトーンは、王位に就くと、
アユタヤで最も大きな外国人移住区日本人町と
チャオプリヤ川を上ってくる貿易船からの税を徴収していた日本人傭兵の
影響力をそぐために、貿易を王室のみに許可する専制貿易に変えていった。
王政の中枢に入り込んで、プラサートトーンとの協力体制を作り上げていた
アフマドにとっては、この変化はなんら影響を与えるものではなかった。
これからがアフマドの本領発揮なのだ。
1630年 アユタヤ管理の不手際から、日本の貿易船がアユタヤから
チャオプリヤ川を少し下ったワット・パナンチューンという仏教寺院の前に
強制的に停泊させられてしまう。
これには、アフマドの策略であったのではなかろうか。
日本の貿易船は出航できず、大変な損害になることを日本人町の商人たちは
心配し、中外務の長であるアフマドに抗議したが受け入れられなかった。
これに逆上した日本人は兵を集め、王宮を占拠し、
プラサートトーン王を人質にして立て篭もったが、
アフマドの指示の元に、日頃から日本人の台頭に不満を持っていた華僑、アラビア人
王の兵が集められ、義勇軍を結成して、日本人を王宮から追い出した。
このプラサートトーンとアフマドの策略に乗せられた日本人、そして日本人町は、
謀反の怖れありということで、徹底的に掃討され、
日本人町も完全に焼き払われてしまうことになった。
この結果にほくそ笑んでいたのは、アユタヤ王プラサートトーンとアフマドであった。
アフマドはこの日本人傭兵を掃討し、日本人町を焼き払ったことで、位を上げ、
プラサートトーン王とはますます親密になっていくのである。
これを機にアユタヤ貿易はイスラム商人と華僑の手に移っていくのである。
王宮の中で安定した地位を手に入れたシェイフ・アフマドは、
一族の将来を 3人の息子のうちの一人チェーンに託し、
1631年89歳の生涯を終えたのである。
アユタヤの地に根を下ろすという執念はいかほどのものであったろうか。
そのあくなき執念は、彼の子孫にも受け継がれていくのである。
シェイフ・アフマドの戦いは、始まったばかりなのである。
一方山田長政の子孫は、今は残っていない。
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こんにちは、
男性の野心というものは、アフマドさんぐらいになるとあっぱれ!なのかもしれませんね。
勝利というものを持続させるのは、至難のわざ、広い深い根回しと教育あってこそなんですもの。
それって、アフマドさんの願いというか、呪いのようです
お話としては、陰謀や執念がないとつまらないですが、
巻き込まれなくて良かった・・なんてピントはずれの感想です
2008/1/8(火) 午前 11:01
アフマドの野心はまだ終わっていません。その野心は、子孫たちに受け継がれていきます。
息子たちにどういう教育をしたのでしょうね。
子孫たちの話は次のお楽しみです。
2008/1/8(火) 午前 11:15 [ hikaruno ]
壮大な野心・・・もう、こうなったら
どろどろ、ぐちゃぐちゃでもかまわないです、心構えは出来ました
ところで、建物?ストーパみたいな形ですね
上は新しい建物に見えますが??
2008/1/8(火) 午後 0:33
上は最近のお寺です。古いものではありません。
下はタイのアユタヤにあるワット・プラ・マハタートの仏塔遺跡です。
2008/1/8(火) 午後 0:52 [ hikaruno ]
大変興味をそそる話です。シェイフアフマドの家系は15世紀あたりの、イランで、シーア派です。イスラム世界の少数派ながらタイイスラムの歴史では最も古い。さらに歴史的考察をお願いしたいところです。
2012/9/22(土) 午前 7:37 [ アリ ]
追伸失礼します。チェララーチャ・モントリ(タイのイスラムの総括)は、シェイフ・アハマドの家系から11代出てますが、それ以降は、タイ・イスラムのスンナ派に、その地位を簒奪されてます。昨今のタイマレーに対して、シーア派は同調する姿勢を見せません。仏教徒との共存に力を入れてるみたいです。
2012/9/22(土) 午前 7:45 [ アリ ]