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インド マドラスからのタミル人の末裔たちの住む集落を抜けて、
チャオプラヤ川の岸辺に向かうと、消防署があり、
その横の広場には 朽ちかけた大きな建物があった。
ラーマ5世の時代の1890年にイタリア人の設計の下に建てられた
カスタムハウス 税関の建物である。
1850年頃から、タイはイギリス、フランスなどの列強の脅威にさらされていた。
ラーマ4世、ラーマ5世の時代である。
映画『王様とわたし』でも象徴されるように、
ラーマ4世の時代からタイの西洋化への道が始まるのである。
ラーマ4世は 王族・貴族を積極的にヨーロッパに留学させ、
王宮内にもヨーロッパ人の家庭教師を雇い入れ、王子の教育を任せる。
如何にしてタイをイギリス、フランスの植民地化から護り抜くか、
緊急の課題に迫られていたのである。
1855年イギリスとのボーリング条約、1865年フランスとの友好通商条約
イギリスはマレーシア側から、フランスはラオス、カンボジア側から迫ってきており
不平等条約にもかかわらず、嫌が応にも条約を結ばざるを得なかった。
ラーマ5世の時代には、フランスにはラオス、イギリスにはビルマ国境に近い領土、
南タイの領土の一部を割譲することになる。
日本もヨーロッパに国々と同様に1896年にタイと友好通商条約を結んでいる。
タイに列強が怒涛のようにやって来るそんな時代に建てられたカスタムハウスである。
外国製品の課税を認められない時代に、
このカスタムハウスはどういう働きをしたのであろうか。
チャオプラヤ川を 外洋からやって来る大型船、タイからの積荷を運ぶ大型船、
そしてその隙間を縫うように進む中国人華僑の小型船、そんな光景が眼に浮かぶ。
イギリス、フランス、ドイツ、アメリカが入り込んで来て、
タイに無課税で工業製品、繊維製品を売りつけていく。
タイの側が輸出出来るものはといえば、米だけだった。
19世紀後半の米の海外需要の拡大から、米は輸出用の換金作物になっていった。
ここで登場してくるのが、華僑である。
商売に長けている中国人は、米の流通経路である タイ農民からの籾仲買、籾輸出業、
精米を独占するようになる。タイ人は米作のみを行ったのである。
農村の隅々まで入り込み、籾の買い付けのみならず、繊維製品、日用品などの小売などを通じて、
農村に貨幣経済を持ち込むことになった。
そして、籾を担保にお金を貸し付けることも始めたのである。
これを基礎に製材、小売業、海運業、卸売業、貿易商として富を蓄え、
タイ経済の中枢になっていくのだ。
ここで悲惨な状況に追い込まれていくのが農民たちである。
貨幣経済に組み込まれたことで、借金を重ね、奴隷に身を落とすもの、
借金のかたに子供を奴隷として身売りする農民も出てくるようになる。
そんなタイのことを知り尽くしているこのカスタムハウスである。
外国への門戸開放で誰が利を得、誰が苦しみを増加させたかも知っているはずだ。
今120年を得たこの建物の中には、バンコク市の下級職員が住んでいる。
上級官吏はこんなところには住まない。
何の改良もされていない120年前の建物が住みよいはずはない。
観光名所の看板が出ていてもこれではしょうがない。
近くにありフランス大使館もカソリック教会も、そのメンテナンスは素晴らしいのに、
このカスタムハウスのなおざりな扱いには、驚いてしまう。
19世紀のイギリスやフランスなどとの不平等条約の屈辱が
このカスタムハウスに悪夢のように象徴されているとでもいうのだろうか。
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こんばんわ、美しくて、哀しい建物です
2008/2/6(水) 午後 6:28
どうもタイは王族の歴史に繋がるもの、そして仏教遺跡以外には
保存する意欲がないようですね。
誰も住んでいない朽ちかけた古い建物が、打ち捨てられているのが残念なことです。
2008/2/6(水) 午後 7:20 [ hikaruno ]
なかなか趣のある建物ですね。
イタリア風なのはご愛敬な気がしますが、タイも開国時には不平等条約を結ばされていたのですね。 そして、タイの農民がババを引いていたということですね。
タイが欧米列強との不平等条約を廃棄できたのはいつごろですか?
そして、どの様にしたのでしょうか?
2008/2/6(水) 午後 8:07 [ mario ]
1911年ですね。
憲法,法典(民法、商法、刑法)を整備することを条件に不平等条約を撤廃する条約をヨーロッパ各国と取り結び、憲法・奉天を整備した時点で撤廃になったようです。
その準備段階として、第1次世界大戦に参戦し、国際的な発言力を高めようとしたようです。
2008/2/6(水) 午後 8:36 [ hikaruno ]
そうですか。参考になりました。
それにしてもこのような趣のある建物を腐らせておくのはもったいないですね。
整備して、BKK歴史ツアーとか企画すればタイへの旅行の魅力になると思いますけどね。 都心での買い物や、ビーチ、ナイトライフはそろそろ飽きられるのではないでしょうか。
あるものだから整備すれば十分魅力を放つことができると思います。
2008/2/6(水) 午後 9:07 [ mario ]
まちがいました。ごめんなさい。
1920年9月1日、アメリカがタイとの新条約を締結して、治外法権の撤廃と関税自主権の獲得が達せられると、他のヨーロッパ諸国もタイの国内法が整備されれば不平等条約を撤廃するとの条約を締結せざるを得なくなり、1926までにヨーロッパ各国との不平等条約は改正されました。
2008/2/6(水) 午後 9:42 [ hikaruno ]