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ネワール社会にカースト制を導入したジャスティス・マッラ王の時代から、ヤクシャ・
マッラ王の時代までの百年、栄華を極めたマッラ王国だったが、ヤクシャ王の6人の息子による
後継者争いから王国は バクタプール、パタン、カトマンズと三つの王国に分かれてしまう。
ヒンズー教色の強いバクタプール、仏教色の強いパタン、ヒンズー教と仏教が混然としていた
カトマンズ、それは サッキャ、バジャチャーレ、ウダースを中心とした仏教徒の人口比の
多少によるものだろう。
一人の国王を中心に 国を支配していくという体勢が崩れ、マッラ王国の国力は分散していく。
バクタプール、パタン、カトマンズの三つの王国同士の争い、あるいは王国内での後継者争い、
それに群がる王国を支えていたシュレスタ・カーストの争いも頻発しただろう。
そうした不安定な時代が 三百年にわたって続いていくのである。
その間、カトマンズを取り巻く状況は急激に変化しているにもかかわらず、
三つの王国同士の争い、後継者を巡る支配階級内の争いに明け暮れ、カトマンズの外の
大きな変化には対応できなくなっているのだ。
インドではイスラムのムガール王国の成立、イスラム勢力との争いに敗れた
多くのインドからのクシャトリア(チェットリ族)の移住、そして
彼らによるネパールでの各地での支配体制の確立にも目を向けないまま
三百年の時が過ぎていくのである。
ゴルカを本拠地にすえたチェットリ族の豪族 トックリ・サハチェットリは 耽々と
カトマンズ進出を狙っている。
ゴルカ王朝の始祖、プリティビ・ナラヤン・サハは行儀見習いと称して、バクタプールに入り込み、
カトマンズ盆地の状況を探り、カトマンズ侵略の手立てを練るのである。
三百年、カトマンズの外の世界に眼を向けることのなかった三つの王国には訓練された
軍隊すらなかったのだ。
絶えず内紛に明け暮れていたカトマンズ盆地の中では、ネワール族のまとまりも失われていたのだ。
強固なカースト制を作り上げた支配下級のシュレスタ・カーストと被支配階級の溝は、
広がっている。
そんな状況を見て取ったプリティビ・ナラヤン・サハは兵を起こし、兵士として訓練した
グルン、マガール族を先頭に立て、1768年に兵力に欠けるカトマンズを いとも簡単に
征服してしまうのである。
チベット、インド貿易に従事していた仏教徒のサッキャやトゥラダ・カーストの人たちは
カトマンズの外で起こっている変化には充分に気がついていたはずである。
外国貿易に従事していたものが、カトマンズの外の状況の変化に無関心なはずはないのだ。
被支配階級にいた仏教徒たちは 権力の中枢にはおらず、ただひたすら貿易・商業、
そして 生産に従事していただけだ。
ヒンズー教を信仰する支配階級 シュレスタ・カーストの人間たちは 被支配階級で
あった仏教徒 サッキャ、トゥラダ・カーストの声などには耳も傾けなかっただろう。
皆、それぞれカーストの内側に閉じこもり、視野をどんどん狭くしていく。
カースト間の交流はなく、正確な情報を得ることも出来なくなっていた。
こんな状況では国家を苦難から救うことは出来ない。
今のネパールも別の形で同じ状況にある。
カースト間の交流の無さが、民族間の交流の無さに変わっているだけだ。
それが互いに理解しあうことを阻害し、国の発展を妨げ、混乱を生み出しているのである。
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はて..さて..このプログの画像や記事をよむまではネパールの事は何もしらんかったけど...私は世界歴史にはおおいに興味あります。特に中国は。
カトマンズを侵略したサハの狙い何でしょうか。カトマンズの価値は全然わかりません。搾取?ふくよかな土地?。貿易の中継拠点とも思えないし...。
画像にある寺院は仏教?仏教寺院なら破壊されずきれいに現在に残ってるのが不思議。ヒンズー教はよくしらないが牛など動物崇拝。宗教での争いはなかったんでしょうか?それとも仏教ヒンズー教は互いに共存共栄...許容範囲内?
アフガニスタンなどのイスラム世界では歴史的価値ある仏教彫刻などが破壊されてる。
2008/5/22(木) 午前 11:44 [ - ]
まず ネパールにやってくる人々が誤解していることは、マッラ王朝の王たち、支配階級はすべてヒンズー教徒たちです。
ですから、王宮周辺に建てられた寺院や主だった通りにある寺院は
ヒンズー教の神を祭った寺院です。
18世紀のカトマンズは、インドと同じくらいに文明の開化していた
地域です。土地も豊かだし、チベット貿易には地の利もありました。
過剰な生産物がなければ、これだけの王宮、寺院を立てることは出来ません。当時のカトマンズの人口は10万人にも満たなかったでしょう。
日本の現在の10万人の都市がこれだけのことが出来るでしょうか。
ネパールのゴルカ地方の片田舎に住んでいたインドからの移住者のチェットリ族の地方豪族にすれば、カトマンズはきらびやかな宮廷文化の花開いている場所です。
インドのマハラジャ文化に匹敵するものだったはずです。
イスラム勢力に駆逐され、ネパールに逃れてきたインドからの武士カースト チェットリにとっては、涎の出るほど、ほしい場所だったに違いありません。
2008/5/22(木) 午後 0:53 [ hikaruno ]
インドですら手に入れることの出来なかった桃源郷、カトマンズ
豊かな水、豊かな広々とした地味の肥えた土地、素晴らしい建造物、
ネパールの片田舎に住んでいたプリティビ・ナラヤンからすれば、インドで失った以上のものを手に入れる絶好の機会だったはずです。
イギリスの植民地化の脅威から、ネパール統一を目指し、カトマンズを攻略したと記述にありますが、後からのこじつけのように思われます。
ヒンズー教徒と仏教とはあまり争いません。ヒンズー教徒からすれば、仏陀は、ヒンズー教の偉大な神の9番目に現れた化身ということになっていますから。
イスラム教は 偶像崇拝を基本的には認めませんから、他宗教の偶像は破壊してしまうでしょう。
今のゴルカ地方を見ても、決して豊かな土地ではありません。
プリティビ・ナラヤン・サハの住んでいた屋敷跡を見ても、
粗末なものですよ。
大半のものは、ひえ、あわ、とうもろこしを食べていたという土地柄です。
カトマンズのバクタプールで 行儀見習いをしているときには、あまりの違いにびっくりしただろうと思いますよ。
2008/5/22(木) 午後 1:11 [ hikaruno ]
仏教徒の悲哀......少し意味がわかってきました。ヒンズー教がインド ネパールに勢力拡大。仏教徒は少なくなってきたんですね。私はチベット教は仏教じゃないと思います。仏教徒の多い国はタイでしょうか?。
2008/5/22(木) 午後 4:30 [ - ]
チベット密教も仏陀を信仰していますから、仏教です。
ネパールにはチベット仏教を信仰するシェルパ、タマン族がいます。
ダライ・ラマは 大僧侶、僧侶の総帥と考えていいのでは。
チベット人は、インドのブッダガヤに行くことをいつも考えています。敬虔な仏教とですよ。
カトマンズの仏教もチベットとインドの仏教に影響を受けています。
日本の仏教もチベットを経由して、中国から入ってきた大乗仏教です。
タイなど東南アジアは スリランカ経由のテラワーダ仏教です。
2008/5/22(木) 午後 10:09 [ hikaruno ]