カトマンズ ネワールの街と文化

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 ラナ家独裁政治の中で ネワール族の生活はどう変化していったのだろうか。

 ネパールはラナ家のみにあるという独裁政治は、首相職を世襲制にし、カトマンズの
 至るところに ラナ家の息子たちのための豪奢な宮殿を建て、ラナ家の家系に
 つながる者たちで 官僚、軍隊の中での上級将校は占められ、イギリスへの留学の機会も
 A級ラナと呼ばれるシェムシェル・ラナ家直系のみに与えられ、民衆には教育の機会は
 与えられなかった。
 学校づくりが行われるようになったのも、ラナ家末期のことである。
 それまでは、他民族に対する徹底的な愚民政策を続けていたのだ。

 逆らうものには徹底した重罰を与え、気に入らないものは 意のままに排除していった時代だった。
 ラナ家の言うことが 法だったのだ。
 そして、ラナ家の地位を確実にするために、サハ王家が 妃を迎えるときには 
 必ず 妃は ラナ家からというルールも確立していったのである。

 イギリスには イギリス軍傭兵、グルカ兵として グルン、マガール、ライ、リンブー族を送り出し、 イギリスから 莫大な見返りを得ていたのだ。
 一体何人のグルカ兵が イギリス軍の戦いの最前線に立ち、命を落としていったのだろう。
 命を落としても、得るお金は、イギリス兵の何十分の一にも満たなかったのである。

 ヒンズー教至上主義を掲げたラナ独裁政治は ネワール族の仏教徒たちへの圧迫へと
 つながっていった。仏教徒の多かったパタンでは、サッキャ・カーストの仏教僧侶たちは、
 カトマンズ追放、ネパール追放の憂き目に合い、あるものはチベットへ、あるものはインドへと
 逃れていった。
 サッキャ・カーストの宗教施設バハイと呼ばれる建物から 僧侶の姿が消えたのは
 このラナ独裁政治の時代のことだった。
 毎年、パタンで行われる仏陀生誕節のお祭りの時には、その時代の悲しみを歌に託して、
 行列は、その悲しい歌を歌いながら、街の中を練り歩く。

 仏教徒たちは ラナ家の恐怖政治から逃れるために、ヒンズー教の儀式も取り入れるように
 なっていく。
 殺傷を禁じる仏教の教えとは裏腹に、ヒンズー教徒のダサインの祭りには、山羊、アヒルを
 生贄に捧げるようになっていく。
 ラナ家への従順を示すためである。
 ラナ家に逆らうことは、死を伴うくらい危険なことだったのだ。
 気に入らない相手を抹殺するには、ラナ政権に密告するだけで充分だったはずだ。

 イギリス様式の建造物に憧れるラナ家のものたちは、イギリス様式の宮殿、豪邸を建て、
 寺院といえば、インド様式の寺院が建てられ、ネワール族の仏教徒の工芸職人の仕事は
 先細り、ネワールの工芸文化は停滞していくのだ。
 インドのマルワリ商人に ネパールの商業活動に利権を与えることで ここでも莫大な財を
 得ていたのである。
 インド、チベット貿易の覇者だったネワール族は、ここでも力を失っていくのである。
 チベット貿易では、西のタカリ族が 台頭してくるのである。

 ネワールの農民カーストにおいても同じことである。
 ラナ家がここに家を建てると決めれば、容赦なく農地は、何の保障もなく取り上げられて
 しまったのだ。
 土地は個人のものではなく、国王のものだったのである。
 国王を幽閉し、実権を奪い取ったラナ家にとっては、何事も意のままであり、
 反逆すれば、死が待っているだけだったのだ。

 こうした当時の残虐性は、今でも警察、軍の中には残っているのである。
 つい最近まで続いた毛沢東主義共産党と政府の戦いの中で、毛沢東主義者の疑いをかけられ、
 軍や警察に拉致されたものの多くが、軍、警察による拷問、強殺によって、命を失っていったと
 いうのは周知の事実である。
 チェットリ族の下位カーストに対する残虐性は、今でも軍や警察内部に
 脈々と息づいているのである。


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宗教に関して知識は乏しいんだが...イスラム教は 右手に剣 左手にコーランと聞いたことがある。大昔から多国籍民族の侵略にさらされてきた地域にイスラム教徒は多いと思う。仏教は己の修行苦行で無我を悟る?ネワール族の衰退はこのへんかな?

2008/5/24(土) 午後 5:44 [ - ]

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今までのたくさんの画像を見ていて気付いたんだが...ネパールにインド人は多いと思うが だいたいの女性の服装は体に巻きつけている服をきている。男性はティシャツにズボン...われわれ日本人とかわらん服装だけど...これで普通かな

2008/5/24(土) 午後 5:53 [ - ]

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ユダヤ教もキリスト教もイスラム教もすべて、中近東の荒地のような場所に生まれた宗教です。だから、共通なところは多いはずです。
キリスト教はヨーロッパの豊かな土地に根付くことで、勢力を広げてきたようですね。農耕文化と合ったのでしょう。
イスラム教徒は商人として世界を相手にする中で、信徒の数を拡げて言ったようです。
シルクロードの道筋には多くのイスラム教徒がいます。
イラク、イラン、アフガニスタン、パキスタン、インド、中国の西方にも多くのイスラム教徒がいます。
東南アジアにもかなりのイスラム教徒がいます。イスラム商人たちが伝えたイスラム教です。
仏教も農耕文化の中で育ってきたようですね。
カトマンズは仏教が育つには理想的な環境でしたが、ヒンズー教を信仰するインドにあまりに近すぎました。

ネワール族の仏教が衰退していくのも、分け隔てのない仏教思想が、ヒンズー教を信じる支配層によって歪められてきたことにもよるのでしょう。
仏教徒の中にカースト制と持ち込んだことで、仏教徒同士のまとまりが、なくなってしまいました。
それが1番の衰退の原因でしょう。

2008/5/24(土) 午後 8:10 [ hikaruno ]

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カトマンズは、インド文化の影響を多く受けていますから、女性はサリーを着ることが多いですね。
男は、昔はネパール風のクルタ、スノワールを着ていましたが、この頃はワイシャツにスラックスという服装が主流になりました。

若い人たちは、ジーンズにTシャツが一般的になりました。
ここ15年ばかりで若者たちのヨーロッパ志向も定着してきました。
1980年代の日本のような現象です。
カトマンズには、ここ4,5年中国からの安い衣料がたくさん入ってきたのも原因だし、テレビなどの影響も大きいです。
ケーブルテレビを利用すれば、世界各国のテレビ番組を見ることが出来ます。契約料も月200ルピー程度で格安です。
ですから、テレビからファッションの影響を受ける機会が増大しました。

2008/5/24(土) 午後 8:26 [ hikaruno ]


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