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中国人の作った古めかしい木造の棟割長屋風の商店のある区域を抜けると、主要道路に
ぶつかる。
その道路を渡ると、瀟洒な木造の家屋が眼に入ってくる。
まるで アガサ・クリスティのおばあさん探偵 ジェーン・マープルの住むセント・
メアリ・ミード村に出てくるようなイギリスのビクトリア朝風な木造建築である。
マラッカ王国を征服したイギリスは シャム王国に 通商を迫り、1855年 シャム
王国との間にボウリング条約を締結する。
これは シャム側が イギリスに対して治外法権を科せられた不平等条約だった。
イギリス人のみならず、イギリスの植民地からやってきたインド人に対しても
治外法権が適用され、彼らが 罪を犯しても タイの法律では裁くことが出来なかった。
そのため バンコクの治安の悪化に 拍車をかけることになったのである。
同様のことをフランスもシャム王国に強要し、そのことが原因で、
タイ人のヨーロッパ人に対する引け目が生まれたのかもしれない。
そんな時代の名残をこの建物は象徴しているようだ。
増え続けるイギリス人、インド人にとっては バンコクは天国のような場所だったのである。
そのイギリス様式の木造の建物は 今はこの地域の役所として残っている。
ここから再び運河に向かい、運河沿いの歩道に下りてゆくと バーン・ラムプー運河の
由来を書いた案内板がある。
このバーン・ラムプー運河、そしてそれに続くロップ・クルン運河が出来る前の
ラッタナーコウシン王朝の初め頃は、街を囲む外壁があり、外側は 市外地だった。
疫病などが流行して、多くの死者が出れば 外壁の外に遺体は打ち捨てられたようだ。
その街の外壁に沿って、運河が造られたのである。
バーン・ラムプー運河の始まりになる運河の中には 昔、運河を埋め立てようとした
工事の杭がそのまま打ち捨てられている。
先の方では何やら 大掛かりな工事も行われているようだ。
運河の歩道に沿って歩いていくと、意外と新しい建物が並び、建物の並びのところどころに
ゲストハウスやホテルもある。
外国人旅行者の溜り場であるカオサンロードにも近いあたりで、カオサンロードは
運河の向こう側に位置する。
更に歩道を歩き続けていくと、運河に架かる太鼓橋のような橋があり、その橋を越えると
チャオプラヤ川河畔の公園に出る。
ここにも大砲を備えた城砦がある。
公園の中を抜け、チャオプラヤ川の岸辺に近づく。
のんびりと悠々と川は流れている。
川の対岸には 昔の貴族の屋敷が見えるが、半年前とは違って、
お化け屋敷のようだった建物のペンキが塗り替えられ、装いを新たにしている。
一体に何に使われることになったのだろう。
この建物は フランス、イタリア風な建物である。
ラーマ5世の時代には イタリア人の建築家が バンコクにある建物の建築を
手がけている。
昔は 学校としても使われていた時期もあったという話も聞いた。
ツーリストのあまり行くことのない対岸のイーカン地区であるが、昔ながらのバンコク庶民の
生活が色濃く残っている地域で、昔懐かしい東京の下町を思い出させるような場所である。
チャオプラヤ川の川面を吹く風にあたり、日中の暑い陽射しで火照った身体に涼を与える。
この時期、昼間歩き回れば、水分が抜け、ダイエットにはなるが、ちょっときつい。
すぐ近くのチャオプラヤ川に接する運河の入り口付近では 近所の子供が
気持ちよさそうに水遊びを楽しんでいた。
バンコクの学校は 今は 新学期までの長期休暇である。
昔から 庶民の子供たちにとっては 川や運河は 暑い夏をやり過ごす
楽しみの場所だったのだ。
少しでも運河の水の汚れを消し去り、水の都 バンコクのイメージを回復して
ほしいものである。
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東南アジアの子供たち、明るいですねー
話しかけるとニコニコ笑いながら応えてくれます
そして澄んだ目で見つめてくれます
心がほっとします
白い砦、綺麗ですよね〜
行ってきました(その時は涼しかったです=1月)
2009/3/19(木) 午後 2:05 [ sto*es*_88 ]
バンコクも 昔に比べると 子供を見かけることが
少なくなりました。
外で遊ぶ子供より 学校から帰ってきても
ゲームセンターなどで時間を使う子供が多くなったせいでしょう。
だんだん日本に近づいてきました。
子供の写真を撮るのが難しくなりましたよ。
水上バスの終点近くの白い城砦からチャオプラヤ河岸の城砦
まで 運河沿いに歩くと楽しいのですが、大通りを歩くと
普通の街並みで 人々の生活が見えてきませんね。
ラーマ1世の初期の時代には 運河のある場所は
街を護る外壁だったようですよ。
2009/3/19(木) 午後 6:36 [ hikaruno ]