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今の日本の社会の中で 血縁関係、特に兄弟のつながりとは
どういったものなのだろう。
カトマンズの庶民の血縁関係、家族関係、兄弟とのつながりの濃厚さは
日本の比ではないように思う。
カトマンズのスクムバシ(スラム)の中や、貧しい庶民が住んでいる地域を
歩いていると 幼い弟や妹を背負っていたり、抱きかかえている子供たちの姿を
よく見かける。
幼い弟や妹を心から慈しんでいる様子がその姿から伝わってくる。
互いの温もりを通して伝え合う愛があるとすれば、
この子供たちの姿がその見本である。
兄や姉が 親が忙しい間、弟や妹の面倒を見るというのは
カトマンズ庶民たちの当たり前の姿である。
昔の日本の庶民たちの生活の中には こんな子供たちの姿があった。
兄弟姉妹愛というものが 大きな力を持ち、それは家族に繁栄をもたらすものだった。
貧しいものたちは 助け合わずには生きていくことが出来ない。
その基本が 家族愛なのである。
どんなに貧しくても カトマンズで 親殺し、子殺しの話を耳にすることはない。
親は子にとって絶対的な存在だし、兄や姉たちも自分たちの育ちの中で
力を尽くしてくれたことを 弟や妹たちは知っている。
スラムという最悪の場所に住んでいても 家族の心のつながりは 正しく機能して
いるのだ。
親が幼い弟や妹の世話をするのを見ながら、同じように弟や妹たちの世話をする。
子育ての方法を小さいときから自然に身に着けていくのである。
日本のように共稼ぎの家庭、一人っ子の家庭が増えていけば、小さいときから
幼いものの命を尊ぶことを学ぶ機会は失われてしまう。
命を育てるには 何が必要なのかを学ばないまま大人になってしまうのである。
親も子供も心のゆとりを失った社会では 愛を育てることも知らず、
凶悪な犯罪ばかりが増えていく。
人と人とのかかわりより、物とのかかわりに目が行き、お金に翻弄されてしまう。
スラムに住む子供たちの生活といえば、ないものだらけの生活である。
ぎりぎりの貧しい食事、粗末な服、おもちゃといえば、その辺で拾ってきたような
廃品、そんな生活の中でも 豊かな濃厚な家族愛はある。
物にあふれる日本よりはるかに濃厚な家族愛である。
自分が食べる前に 弟や妹たちに食べ物を与える。
幼いもの、力のないものに手を貸す、そんな人間として基本が スラムの中には
残っている。
ネパールの中産階級よりも 深い暖かい愛や思いやりがあるかもしれない。
ネパールの中産階級では 2,3歳になると 幼稚園や私立学校付属の幼児部に
いれる。
お金が許せば、寄宿制の学校にいれ、家庭の躾など二の次である。
勉強さえ出来れば 他のことはどうでもいいのである。
自分さえよければ それでいいという人間を生産するばかりだ。
助け合って生活することなど 何一つ覚えず 大人になっていく。
こうした人間が 政治家、官僚、実業家になっていく。
他人の痛みなど 感じることも関心を持つことも知らない人間が
社会の上層部に立つのである。
貧富の差が生まれるのは当然だし、それを是正しようとする人間もいない。
富を手に入れた人間は それを護ることばかり考えているだけだ。
それは日本も同じであるが、ただ、日本とネパールの違いは 貧しく虐げられて
いる人たちの間には まだ助け合いの心が残っていることだ。
豊かで濃厚な家族愛が 基本になりながら、スラムに暖かな助け合いを生み出して
いる。
スラムの中の子供たちの姿、様子を見ながら、そんなことを感じた。
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ネパールに初めて行った時の印象は、何よりも人間が魅力的だったことです。この写真の子供たちのように、美しい心を周りの人につなげていることに心を洗われる思いがしました。今の日本や先進国の現在ほど、すさんだ社会はないでしょう。このネパールの心を取り戻さなければなりません。
2009/7/27(月) 午後 3:08 [ aru*o26 ]
貧しいとか 豊かであるとか 人間らしさはそれ以前の問題です。
人と人の絆を断ち切ってきた大企業や政府こそ糾弾されるべきです。
ネパールのスラムに住む人達、子供たち、生きるために助け合って
います。
ネパールの中産階級は日本人と同じようになってきました。
2009/7/28(火) 午後 10:19 [ hikaruno ]