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もうかれこれ、22年前の12月のことである。カトマンズで知り合ったケララ州のインド人と親しくなり、彼と一緒に、彼の故郷に行くことになった。
チケットの手配は、すべて彼に任せ、まずは、バスで ネパール・インド国境 カーカルビッタへ行く。16時間のバスの移動である。
カルカッタへ行くのだから、ビルガンジの国境を利用して、ムザッファルプルから鉄道で、カルカッタに行くのが普通であるが、彼は、シルグリからツーリストバスを利用してカルカッタへ行く方法を取ったのである。
別段、それはそれでいいのであったが、二人して、ネパール側のイミグレーションを無事に超え、次は、インド側のイミグレーションに向かい、手続きを始めた途端に、イミグレーションのオフィサーから、クレーム、
― 君、君のパスポートには、ダージリン・パーミッションがないではないか。
インド国境を越えることは許可できない。
私は、ダージリンにいく場合のみ、ダージリン・パーミッションが必要だと思い込んでいたのだ。これは困った。仕方がないので、同行の彼には、カルカッタのサダル・ストリートのパラゴンホテルで会おうと約束して、私のほうは、とぼとぼと、もと来たネパール側イミグレーションへと引き返したのであった。
ネパール側のイミグレーションのオフィサーに事情を話すと、カーカルビッタから1時間ぐらい行った所に、別のイミグレーションがあると言う。
行き方を詳しく聞いて、乗り合いバスを乗り換え、乗り換え、やっとの思いでそのイミグレーションへと辿りつく。
イミグレーションとは、名ばかり、小さな掘っ立て小屋のような建物の中にのんきそうな警察官が、一人いるのみである。
ネパールとインドの境には、細い小川が流れているばかり、パスポートを見せ、事情を話すと、OK、行きなさいという。行きなさいと言われても、インド側のイミグレーションが見当たらない。
インド側のイミグレーションはどこかと聞くと、遠くを指差して、あの白い建物だと答える。小さな橋を渡って、インド側へと足を進めていく。
インド側のイミグレーションものんびりしてもので すんなり入国スタンプを押してくれる。
しかし、しかしである。私が今、自分がどこにいるのか、皆目、検討はつかないのである。地図もなければ、案内書もない。
わかっていることはと言えば、カルカッタに行くことだけだ。
オフィサーに訊くと、外にいたリキシャに バス停まで私を運ぶように言ってくれている。インド人もなかなか親切なのである。そして、そこから、バスで、カルカッタ行きの列車が到着する駅に行くことになるようだ。駅の名前を教えてもらったが、今は、もう、覚えていない。
すし詰めのローカルバスに乗って、駅へと出発だ。
ここまでたどり着くのにもう、夕方近くになっている。
バスは、ひたすら、インド平原を走っていく。大きな夕陽を追いかけて。あたりは、どんどん暗くなり、村々の夕食の用意の火が、ちらちらと燃えているのが見える。
このあたり、まだ、電気は来ていないのだ。このあたりといっても、このあたりが、どのあたりかは全く知らない。
真っ暗だった周辺が、段々明るくなり、街に入り、駅に到着。
駅でカルカッタまでのチケットを買う。時は、午後8時過ぎ、列車到着は、午後11時、この夜は、インドといってもやたらに寒い夜だったのだ。
着るものがない。
というのは、あの同行のインドの友人、故郷のお土産に、やたら中国製のビーチサンダル、万年筆を買い込み、国境でのタックスを嫌がり、私の衣類は、彼のかばんの中へ、私のザックの中はといえば、彼の中国製のビーチサンダルと万年筆ばかり、着る物はないのだ。
周りのインド人たちは、皆、ウールのショールをはおり、寒さから、身をまもっているのに、がたがた震えているのは、私ばかり、列車到着までまだ3時間もあるのだ。
やっと来た列車に乗り込んでも、寒さは変わりなく、眠れたものではなかった。
夕方、やっとハウラー駅に到着、17時間の長旅だった。タクシーに乗り込み、大急ぎでサダル・ストリートのパラゴンホテルへたどり着くと、パラゴンホテルの前で、彼は待っていたのである。こっちの苦労は何も知らないで。
今であれば、どうであろう。無事にカルカッタまで行き着けるだろうか。その当時は、まだまだ、インドものんびりしていたのだ。何事もなく、無事に着いたのは、運がよかったのだろうか。
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