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バンコク 義理の息子

 
 3ヶ月振りに 義理の息子に会った。
 ストリートチルドレンだった彼を彼が9歳の時引き取り、小学1年から中学3年まで
 学校にやり、20歳過ぎまで育てた子供だ。
 私の40代は彼の養育のために ほとんどのエネルギーを注いだ。
 親に育てられたことのない彼を育てるのは、並大抵のことではなかった。
 私にとっては、苦労ばかりが思い起こされる。
 20歳過ぎても落ち着かず、仕事が長続きせず、絶えず仕事を変えている。
 彼も今年で27歳になるけれど、落ち着かないのは相変わらずだ。
 私としては、罪を犯す、犯罪に巻き込まれる、そんなことがなければいいと
 思っているが、今のバンコクでは、そんな誘惑は山ほどあるから、いつも気にかかる。

 彼を見ていると、乳幼児期を家族とともに過ごす大切さがよくわかる。
 彼を見ていると、人と人とのかかわりの中で、相手を信頼すること、
 信頼して我慢することが出来ない。
 そして、将来のことを見据えて努力することが出来ない。
 中国人と違って、タイ人の庶民にはそういうところはあるが、
 彼はその典型的なタイプで、それが私を悩ました一番大きな障害だった。

 母親はいても、子供にはほとんど関心がなく、絶えず連れ合いを変え、三人いた子供の父親は
 すべて別で、三人の子供のうち、長女は10歳で病死、長男は12歳で行方不明
 残っているのは、彼だけだ。
 私が彼を育てている10年以上の間も、洋服一つ買ってやるということもなく、
 たまに会わせると迷惑そうだった。

 9歳から10年以上に渡って育てると、まともに仕事をしているのだろうか、
 犯罪に巻きもまれていないだろうかと、どこにいても気になるから、
 今回も酒でも飲もうと呼び出した。
 その日はタイの上院議員選挙の日で、アルコールは禁止の日で 酒を一緒に飲むことは
 出来なかったが、まあ元気にやっているようで安心はした。

 家庭環境に恵まれない彼の将来を考えて、ピアノを習わせたが、ショパン、ベートーベンの
 初期のソナタ、シューベルトの即興曲ぐらいまでのレベルまではいったが、
 遊びまわることにばかり興味を持ち、結局は続かなかった。
 あと1,2年頑張れば、タイではピアノ教師ぐらいにはなれたのにと、いまでも悔しい思いは
 残っている。
 ピアノのレッスンのために日本にも何度か行き、費用もかかったし、労力も要したのだ。

 これからの彼の人生がどうなっていくのか、心配ではあるが、もう私の力ではどうにも
 ならないところにいる。
 部屋の片隅で、弾き手を失ったピアノが、寂しげにたたずんでいる。


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 バンラムプーのワット・サケットの中に プーカオ・トーン(Golden Mountain)という
 観光名所がある。周囲5百メートル、高さ77メートルの金色の仏塔だ。
 ラーマ3世の時代から造られ始め、ラーマ5世の時代に完成したと言われている。
 こうした観光名所はどこにでもあるようなものだから、取り立てて言うほどのものでも
 ないが、この仏塔に登れば、見晴らしが良いことは付け加えておこう。

 むしろ私の興味を惹いたのは この仏塔の周りに造られたタイ人たちの墓だった。
 日の当たらない場所に置かれた墓は、あまり気持ちの良いものではなかった。
 後で調べてみると、当時の城壁の外にあったこの寺院に ラーマ1世からの百年間に
 疫病でなくなった6万にも及ぶ人たちを葬ったという。
 ラーマ3世の時代には疫病が流行ったのか3万人の人々が葬られたということだ。
 しかしそれらの人々は墓標を持たない人々だ。
 薄気味悪さのようなものを感じたのは 疫病という不慮の死を迎えた人々の怨念でも
 感じたせいだろうか。
 どんな埋葬のされ方をしたのかと想像すると、少しばかり怖くなる。

 基本的にはタイ人は墓を持たない。火葬の後、1時期骨は保管するが、大きな仏教行事の際、
 川に流すか、山、森林に散骨するのが、中国人を除いて、タイの仏教徒たちの
 埋葬の形であるというが、東北タイや北タイでは、日本の墓と同じではないけれど、
 墓を造るようだ。立派な墓は、貴族や高僧のものだという。
 そうであれば、貧しい農民や庶民だって、本当は墓を持ちたいと願っているのではと
 思う。
 墓と造る必要がないというのではなく、ただ貧しいがゆえに、死者にかける費用に
 事欠き、墓が持てなかったということも考えられる。それが習慣化してしまったのでは、
 ないだろうか。
 身分制度を支えたサクディ・ナー制のアユタヤ時代からのプライ・タートの長い歴史が
 墓を持てない人々を生み出してきたような気もする。
 寺院の中に墓を持とうとすれば、日頃から多額の喜捨も必要だろうし、埋葬のための
 喜捨も並大抵のものではなかったに違いない。今だってそうだろう。

 身分が高く、裕福な人々の墓が、このプーカオ・トーンの周りにあり、その下には
 このプーカオ・トーンを支えるように名もない人々が埋葬されている。
 何か人間の業の深さを見ているようで悲しい気持ちになる。
 忘却は悲しみを和らげる一つの方法かもしれないが、埋葬の形が、身分や地位、
 そして財産の多少で決まるというのも、納得がいかない。

 私のような独り者にとっては、墓など意味のないものであるが、家族があり、
 その気綱を大切にするものにとっては 大きな意味を持つだろう。
 何か死者の墓標が必要になることはないのだろうか。


    ****
 
 非業の死を遂げた人の遺体は、火葬にすることはできない。また形式の如何を問わず、
 葬式それ自体、行うことが許されない。
 またこのほか、死者を火葬にしない事例には、幼児、妊婦などの例があげられる。
 昔は幼い子供の遺体は火葬より埋葬の方が多かった。
 イサーンの慣習では、齢10歳に満たない子供が非業の死を遂げたり、
 またコレラや天然痘などの疫病で一命を落した場合には、遺体の火葬を禁じ、
 即座に埋葬する決まりであった。
 埋葬後、掘り起こし、火葬にすることも禁じられた。もしそんなことをすれば、
 いかなる災厄が身にふりかかるやも知れない。
 曰く「寝ているピィーに余計な手出し」なのである。

 ちょっと外れるが、以前は貧乏人や罪人の遺体は遺棄され、禿鷹のついばむのに任せられた。
 わざわざ遺体を切り刻み、ついばむのを容易にすることもあった。
                                             ****
                             小泉康一 1993「葬儀:3.タイ」より




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