|
パタンの旧市街地を歩いていると、心惹かれるような建物に出会うことがある。
この建物もそんな建物だった。仏教寺院という大げさなものではなく、近隣の
仏教徒たちが、仏教的な行事を催す建物だ。
レンガの古ぼけた色合いに惹かれたといっても良い。
入り口の木の彫刻もシンプルで仰々しくはないところがいい。
入り口をくぐって中庭に入り込んでみても、人影はない。
石造りの仏塔が静かに佇み、その存在感を示している。
正面には仏陀の像を納めたレンガ造りのビハールがある。
建物の横にプラスティックの容器が置かれ見苦しいが、我慢することにしよう。
ビハールという建物は宗教行事以外には使われないから、行事のないときには
ひっそりしている。この静けさがいい。
街の喧騒に疲れたときには、こんな場所に座り込んで身も心も休めるのも
良いかもしれない。
カトマンズ、パタン、バクタプールとカトマンズ盆地の中には、こうした仏教に係わる
建物が多い。それらは、一族のものであったり、地域のものであったりする。
お金を儲け、余分なものが生まれれば、こうした建物を建てる姿は、利害関係とは
無縁の姿である。
現在の金儲けの亡者が、お金のために金儲けをしている姿は、いかにも浅ましい。
お金を精神的な文化のために使うなど、日本の大企業の中にはない。
発展、発展、企業の発展を謳い文句に、従業員を奴隷の如く使い、人間らしい生活など
考えてもいない。
戦後 追い抜け、追い越せと、皆して 号令を掛け合ってきたが、今の日本の姿を
見れば、それが、幸福とは結びついていないことが良くわかるはずだ。
人を大切にしない社会は、若者を無気力にし、短絡的な凶悪犯罪へと向かわせる。
団塊の世代を出発点にした戦後社会のその結果が日本の今の姿である。
無批判、無関心、思慮のなさ、従順さが こうした社会を作り出したことに
誰も気がつこうとはしない。
自分は関係ないと思っているのである。
だから、責任逃れに 日本を離れ、海外ロングステイなどと夢見るのである。
こんな味気ない社会を残された若者たちは不幸である。
どう考えても昔の人のほうが賢かったようだ。
百年、二百年以上前の地域、一族の精神的支えになるものが、通りのあちこちに
存在している社会、何か行事でもあれば、顔を揃え、協力し合う。
形ばかりのコミュニティホールなど造っても、生き生きした共同体など
再生出来るはずもない。中味がないのである。
形ばかりを追いかけるのは、日本人の弱点であり、欠点である。
教育然り、地域共同体然り、だから、荒廃した心は どんどん考えられないような
犯罪を作り出していく。
人と人との心の絆が希薄になれば、犯罪を押しとどめる力は失われるのである。
親子、兄弟、親戚、近隣 すべてがその力を失いつつある日本だ。
そんな日本をもう一度見直すには、ネパールの社会、地域、人間関係は、
1つの手がかりになるのではと思う。
** 忘れないでね **
↓
にほんブログ村ランキングに参加しています。
*面白いと思ったら下のアドレスをクリック*
[https://www.blogmura.com/ にほんブログ村]
人気ブログランキングに参加しています。
*面白いと思ったら下のアドレスをクリック*
[ http://blog.with2%2enet/in.php?590199 ]
|