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カトマンズ郊外のパンガウンの村の中にあるレンガ造りの家の前の陽だまりで
母娘が座り込んでいる。
母親が、娘の髪の毛の中に生みつけられた虱の卵を取っては、
つぶしている。
こんな光景は、50年前の日本の田舎では、当たり前の姿だった。
竹で作った目の細かい虱取り専用の櫛を使って 虱の卵を髪の毛の間から、
すき出していた光景も記憶にある。
学校に 子供たちは 年に一度か二度、タオルを持って行き、DDTを頭に振り掛けられ、
持っていったタオルで頭を覆って、帰宅したこともあったことも思い出す。
50年前の日本の田舎の生活は、どんなものだったのか思い起こしてみる。
当時、テレビなど普及しておらず、情報を得る方法はといえば、
ラジオか新聞だけだった。
テレビが一般家庭に入ってくるのは、1960年半ば以降だ。
家庭には、ガスもなく、料理を作るには、マキと炭、カマドと七輪だった。
風呂といえば、井戸から汲み出し、風呂桶を一杯にするまで水を運ぶのは、
なかなかの重労働だった。
マキは山に行き、木を切り出し、家まで運び、それを適当な大きさに切り分け、
斧で割って作る。
生活のすべてが、まだまだ手仕事の時代だった。
その手仕事のいくらかは、子供たちの仕事だった。
子供たちは、学校を終えると、夕方近くまで遊び呆け、
家に帰ると決められている仕事をこなし、夕食のときを迎える。
夕食を食べ、風呂に入ると、もう午後7時過ぎ、ラジオを聴き、宿題を済ませると
もう9時近く、そうすると眠くなり、床に就き、朝起きるのは、午前6時、
朝食を食べて、学校へ行くという生活の繰り返しだった。
同じことの繰り返しのような生活だったが、退屈ということは、
一度も感じたことはなかった。
今の日本の生活水準からすれば、かなり低い生活だったのも確かだし、
食べ物もおなかが膨れれば、いいという程度で、美味しいものを食べるのは、
盆と正月ぐらいのものだった。
皆が貧しかったから、それが当たり前だったし、
だから、不幸ということはなかった。
着ているものといえば、お下がりや継ぎの当たったものだったし、
普段着であれば、それで充分だった。
山や海、畑や田んぼで遊ぶ子供たちに洒落た服など必要なかった。
何もない時代であったが、子供たちにとっては、生きているという実感はあった。
親が 子供たちに 玩具など与える時代でもなかったし、
祭りや正月にもらった小遣いで、縁日の安いブリキ製の玩具を買うぐらいのものだった。
周りの自然は、それ以上の玩具を与えてくれたのである。
大人は大人で、子供は子供で、与えられた分の中で生きていた。
だから、大人も余程のことがない限り、子供の生活に干渉することはなかった。
1960年代の日本の田舎はそんな時代だった。
だから、ネパールの村の生活ぶりを見ても、違和感はなかった。
むしろ、懐かしいをいう思いのほうが強かった。
貧しい、不潔、不幸という感情は湧かなかった。
そんな時代があり、そんな時代を経験してきたからだ。
50年前の自分の生活が蘇り、豊かなものに囲まれている生活が、
幸福の条件ではなかったことを思い出すからだ。
1970年代にはいると、日本人の生活は、便利な道具に囲まれ、新しいもの、
新しいものへと走り始める。
新しいもの、便利なもの、快適な生活を手に入れるために、ひた走りに走り始める。
その中で どれだけの幸福を手に入れたのか。
こんな時代の中で、子供たちは、幸福感、充実感を持って生活しているのか、
気にかかる。
大人も同じである。
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