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カトマンズ市内の喧騒や雑踏が、鬱陶しくなると、
カトマンズ郊外の村に出かけていくことがよくある。
カトマンズ市内のあわただしさの中に身を置いていると、
心の健康を保てなくなることがあるからだ。
カトマンズの中心部は、自動車、オートバイをあふれ、
用がある人もない人も、わずらわしいほどいる。
貧しい人もいれば、金持ちもいて、人々は生活に追われ、
段々 お金と物にに追い回され、自分の時間や生活を見失いつつある。
混乱にも近い有様だ。
そんな時は、パタンの端にあるザウラケルやラガニケルに行き、
カトマンズ郊外の村に行くマイクロバスに乗り込む。
そして、適当にバスを下り、村の中を歩き始める。
午後の村の中は、カトマンズ市内と打って変わって、ひっそりとしている。
村人は、自分たちの昔からの生活のペースを崩すことなく、
ゆったりと午後の時間を過ごしている。
日本人は、こんな光景をみると、ネパール人はあまり働かない、怠け者だと
見てしまう。
働くことが人生の目的のようになってしまった日本、働くことが美徳のようになって
しまった日本とは違った価値観が、村の中にはある。
それは、後進諸国といわれるアジアの国々の村でもそうだろう。
文明の利器(テレビ、冷蔵庫、ガス代、エアーコンディション、コンピューター、
携帯電話、オートバイ、自動車、快適な住宅など)を手に入れようとすれば、
それに見合うだけの収入が必要だ。
そのためには 働き続ける必要がある。新製品は次々と出てくる。
そんな日本人からすれば、不便な生活ではあるが、昔から習慣として、
そんな生活を続けていれば、ネパールの村人にとっては 当たり前のことなのである。
日本人はお金を得るために自分の時間を売っているようなものだが、
彼らは、自分の時間は、充分に確保しながら、生活楽しんでいるだけだ。
文明の利器、飽食や贅沢な食、快適な住居、流行のファッションにこだわらなければ、
お金はそんなに必要ではないだろう。
米、野菜は田畑で作り、足りなければ買う。
日本のように 米も野菜も 馬鹿高い値段ではない。
酒は自分の家で作る。外食はしない。果物は庭先に植える。
時間は 家族のためや一族の行事のために使う。
村人同士の結びつきを深める祭りも数多くあり、それも楽しみの一つだ。
3世代、4世代で住むというのは当たり前だから、老人問題もない。
医療も 高度な医療はないから、理想的な治療は受けられなくても
その状況を素直に受け入れるだけだ。
寿命は 神様の与えてくれたものだからだ。
だから、無理をして寿命に抗うこともしない。
幸福、不幸に対する捉え方が違うのである。
だから、時間を合理的に、効率的に使うという発想はない。
彼らにとって大切なことは、楽しく、自分たちのために時間を使うことにある。
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