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カトマンズの街の中を 歩いていると、様々なタイプの人に出会うことが多い。
日本人の眼から見れば、何故こんなことをしているのだろうと思わせる人も多い。
しかし、カトマンズの人々から見れば、気にしている様子はない。
アッサンバザールの広場で セト・マチェンドラナートの祭りの時に
その神様の彫像をカトマンズ市民たちに見せていたことがあった。
神様の彫像が置かれている台の上に上っているのは、
ネワール族の仏教徒の上位カーストのサッキャ・カーストの人たちだ。
その台のまわりで、金糸入りのシャツを着て、やってきた人々に神様のそばに
撒かれている花びらを配っている人は、どういうカーストの人かはわからない。
周りのネパール人に訊くと、自主的にやっているのだと言う。
別に仕事というわけでもなさそうだ。
カトマンズでは、人々の生きていくための幅は大きい。
それは社会が 人々を受け入れる幅が広いということにもなる。
ヒンズー教の教義から来るカースト制は、人々の生活、結婚を縛り付けることはあるが
収入を気にしなければ、どうにか、自分に見合った仕事を探すことも出来る。
公務員、商売人、職人、事務職、農民、行員、露天商、数え上げれば、
こんなに多くの職業があるのか、驚くくらいだ。
働かずに、それなりに食べている人も同じくらいに多い。
貧しい(日本人から見て)ということを別にすれば、人々はのびのびと生きている。
カトマンズのそんな許容性のようなものが、先進諸国のがんじがらめの決まりに
縛られた人々をほっとさせる要因かもしれない。
社会には多種多様の人がいて当たり前ということが 自然に実践されている
社会なのだろう。
日本のように効率的なものが優先される社会の中で失われてきたものが
非効率な社会だからこそ 今なお残っている。
ネパールのように人間が自分の能力や性格に合わせて、
仕事や生き方を選ぶというのではなく、日本では人間の性格や能力を
社会や職場の必要とする能力に合わせて、変えていかなくてはならない。
昔のように小さな町工場で 人間関係を大切にしながら仕事するというような場も
少なくなっている。
そんな工場は、今では海外工場移転で、少なくなる一方だし、
経費節減のために効率ばかりは優先されて、人間らしい関係の中で仕事をすることも
出来なくなっているだろう。
他人のことなど考えるゆとりはないだろう。
変わり者であれば、いじめにあったりするだろうし、嫌がらせを受けることも
多いだろう。
そこまで行かなくても、コミュニケーションが成立せず、疎外感を感じることも
多いだろう。
確かにネパール人の仕事ぶりを見ていると、合理的ではなく、効率的でもなく、
真面目に仕事をしているのか わからないこともある。
何か家に行事があれば、すぐに休むことも多い。
雇い主も仕方がないと、当然のことのように受け入れている。
どんな社会が理想的なのかは、わからないが、ネパール社会のほうが
少なくともストレスは少ないようだ。
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