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私が、初めてバンコクを訪れたのは25年前のことだ。
その時は、ネパールのカトマンズへ向かう際のトランジットで、
バンコクで過ごしたのは一晩だけで、翌日にはダッカ経由でカトマンズに向かった。
カトマンズを生活場所にしながら、インドへの旅を繰り返しながら、
再び、バンコクを訪れたのは3年後のことだった。
ドンムアン空港も 新しく近代的な施設を持ったタイの経済発展を
予測させるものだった。
空港の外に出て、流しのタクシーを捜し、向かったところは中華街の日本人旅行者の
溜まり場であったジュライホテルだった。
カトマンズやインドの安宿を経験していた私にとっては、違和感もなく、
居心地は悪くはなかったが、深夜になると、通りを走るトゥクトゥクの音の
うるささには閉口したものだ。
その頃の日本人旅行者の溜まり場といえば、中華街のカラッカダー・イーシップソン・
ロータリーの周辺のジュライホテル、楽宮旅社、台北ホテルに集中していた。
ジュライホテルがその中でも1番部屋数も多く、宿泊者は 日本人で80%近く
占めていた。
その頃のバンコクは、風俗に対する規制もなく、中華街には冷気茶室と呼ばれる
置屋が到るところにあった。
この場所は、昔はアヘン窟として使われていた場所で、中国本土から出稼ぎに
やってきたアヘン中毒の中国人労働者の集う場所だったが、アヘンの使用が
禁止され、それが、そのままの施設を使っての冷気茶室に変貌していったのだ。
冷気茶室の中は、小さな小部屋に分かれ、その部屋の中にはアヘン吸引者が
横になっていたような狭いレザー張りのベッドが置かれていた。
冷気茶室を目当てに来る日本人の長期滞在者も、短期滞在者も、ジュライホテルや
楽宮旅社にも多くいた。
中には 株取引をしていた人間もいたし、70歳近い年金生活者もいた。
食べ物が美味しく、フアランポン駅が近いこともあって、長期旅行者もこのあたりを
起点にして動き回っていた。
20年以上のバンコクがアジアの都市を象徴するようなカオスの街であったように、
このジュライホテル周辺の人間模様は それを写す鏡のようだった。
バブル絶頂期の日本からやってきたものにとっては、未来に対する不安のようなものは
なかったし、ただひたすら享楽に耽る姿があっただけだった。
日本は経済成長で反映しており、そんな中では、どうやっても食べていけるだろうと
いう安心感には包まれていたし、お金が底をつけば、又、働いて、バンコクにやって
くればいいというオプティミズムがあった。
タイバーツは1バーツ、日本円で5円ぐらいであったが、物価は安く、
屋台のラーメンは一杯10バーツ、タイ人も今より質素な生活をしており、
貧乏旅行者も バンコクにのんびりと生活できる時代だった。
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