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今から考えても 1980年代から1990年代初め頃までのバンコクの
性の狂乱振りは凄かった。
法的な規制はあったのだろうが、警察と風俗産業が手を取り合い、バンコクの
性・風俗を盛り上げているといった感じだった。
タイ政府も外貨を稼ぐことを第一に考え、そうしたものには眼をつむっていた。
そんなソドムのような世界を求めて、世界中から、そして日本からも多くの
人間が集まってきていた。
穏やかなのんびりしたカトマンズから3年ぶりにやってくると、
その刺激や欲望の姿にはさすがに驚いてしまった。
老若男女、そして子供まで性風俗の商いから、お金を手にしていた。
地方から、人々はバンコクへと、引き寄せられ、バンコクに集まり、バンコクには
数え切れないくらいのスラムが形成されていった。
バンコクにやってきても簡単に仕事を得ることの出来ない底辺部に生きる人たちは、
一番簡単にお金が手に入る道として、性風俗へと手を染めていた時代だった。
この時代に日本からやってくる人間といえば、現地の日本企業の関係者を除けば、
買春、女遊びを目的にやってきている人間が多かった。
まだまだ、その頃は、若い人たちの姿は少なく、30代以上の人間が多かった。
ジュライホテル、楽宮界隈を拠点にしているものと、北タイのチェンマイ、
チェンライを拠点にしている者に長期滞在者が多かった。
中華街のジュライホテル近辺を定宿にしている長期滞在者は、冷気茶室と呼ばれる
置屋から、1ヶ月の契約で女の子を借り受ける者もいたし、
チェンマイ、チェンライでも同じようにして生活しているものもよく見かけた。
そうしているうちに情が移り、身請けをして、結婚するものもいた。
日本の売春禁止法が出来る以前の世界がそこにはあった。
列車や長距離バスを利用して、北タイ方面を旅していると、タイの若い女の子を
連れている日本人にもよくあった。
タイの女の子と結婚し、女の子の実家近くに家を建て、農地を買った挙句、
体よく、家も土地も取り上げられたという話も良く耳にした。
日本人からすれば、情愛をかけたつもりでも、向こうからすれば日本人は
お金を引き出すための対象でしかなかったに違いない。
お金で相手を買うという関係から、それが信頼関係を伴う愛情に変えていくためには
余程の努力が必要だろう。
お金を与える、お金で買うということだけでも対等な人間関係は失われている。
又、いくら貧しくても、娘を置屋に売るという家庭は、そのことからしてみても、
家族関係・親子の信頼関係が壊れている。
性の欲望を満たし、お金の力で相手の自由を奪う関係は、いつか、その仕返しを
受けるのは当然だ。
日本人のみならず、外国人も、そうした事件に巻き込まれ、
タイ人女性の名で買った家、土地を奪われるという事件が
タイのニュースで頻繁に報道されている。
息苦しい日本から、心の開放を求めてタイにやってきても、
お金でしか 女性を惹きつけられないとすれば、悲劇は充分に用意されている。
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