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 日本は寒さがぶり返しているというのに バンコクはこのところ うなぎのぼりの
 暑さだ。
 午後になれば 部屋にいても暑い、外へ出ても暑い。
 外へ出かければ、たとえ暑い中でも 気分転換になると パラカノンまで行ってみる
 ことにした。

 ラーマ1世通りに出て、バスの停留所で プラカノン方面に向かう48番の冷房なし
 バス、508番の冷房つきバスを待つ。
 BTSの高架電車もプラカノンの先 オンヌット駅まで行くが お金の節約のために
 バスを利用する。
 しばらくバスを待っていると 冷房なしの普通バス 48番のバスがやってくる。
 運賃は 8バーツである。
 今日は プラカノンでバスを降りずに オンヌットまで行く。
 プラカノンへ行けば プラカノン運河を走る水上定期船に乗り込んで、のんびりと
 運河の周りに広がる自然あふれる景色を楽しむことが多いのであるが、今日は
 スクムビット ソイ77の道側から 運河の方に歩いていくことにした。

 バンコクの街の中心部から見れば、昔はプラカノン運河の手前が バンコクの街の
 果てあり、場末にあたり、その向こうは全くの田舎だったのだろう。
 東京でいえば、江戸時代の隅田川の手前とその向こうといった感じだったように
 思われる。

 20年以上前 パタヤからバンコクに帰ってくると、このプラカノンあたりに入って
 くると バンコクに到着したという実感があった。
 今で はプラカノンのずっと先 バンナー辺りまで開発され、場末といった感じは
 薄れたが それでも プラカノン運河の船着場周辺の市場や古い木造住宅に 
 昔ながらのプラカノンの風情が残っている。

 プラカノン運河を越え、このプラカノンを過ぎると すぐにオンヌット スクムビット
 のソイ77の道にぶつかる。
 バスを降り、このソイ77の道を歩き始める。
 ソイ77の道の入り口周辺には 大型スーパーマーケットが建ち、モダンな建物が
 並ぶが 5分も歩けば、昔ながらの姿が残っている。

 ソイの脇に入った路地には 小奇麗になった市場がある。
 プラカノンの船着場にある昔からの市場に比べると 面白みがない。
 その市場の脇には たくさんの種類の銘柄の米が売られている。
 タイの米の値上がりは 激しく 大抵の米は 1キロ40バーツ近い。
 20年近く前は1キロ 14,5バーツだった米が、2倍、3倍以上になっている。
 タイで売られているタイ産の日本米が 1キロ50バーツから60バーツで売られて
 いるから 結構タイ米もいい値段である。
 市場の中の食料品の値段は プラカノンの古い市場より高めである。

 再び表通りに出て、熱い太陽の照りつける中を歩き続けていると プラカノン運河へと
 つながるような黒く濁った細い運河にぶつかる。
 この運河沿いに道が続き、その奥には集落があるようだ。
 こんな路地をみると ついつい奥まで行ってみようとするのが、私の悪い癖だ。
 運河沿いに続く細い路地を入っていくと、小さな古めかしい雑貨屋の前で 二人の
 年老いた男女が 世間話に花を開かせている。
 「この運河沿いに歩いて行けば、プラカノン運河に出るか」と訊くと
 「そうだ」と応えてくれる。
 運河の水は すっかり黒く汚れてしまっているが、運河の周りの木々は豊かで、
 タイの夏を告げるブーゲンビリアの花も咲き始めている。

 運河沿いの木々や草花を見ながら、あたりに漂う静けさに浸りながら、奥へと進んで
 行くと 道はなくなり、民家の庭に入り込み、犬が吠え掛かってきた。
 プラカノン運河までは至らず、ここが行き止まりだった。
 プラカノン運河への道筋を訊くが 寺院の中から行けると教えてくれるが、その寺院が
 見えない。

 再び、雑貨屋の前にいた二人の年老いた男女に訊くと 寺院への道を詳しく教えて
 くれる。
 曲がりくねった細い路地を歩き続けているうちに やっと寺院の裏に出、
 寺院の姿が見えてきた。

 この寺院は ワット・タイという名の仏教寺院である。
 バンコクでは どこでも見かけることの出来るような平凡な寺院である。
 プラカノン運河の定期水上船の上からはよく見かけていた寺院であるが、出発点から
 あまりに近く、この寺院に運河側から降り立つことはなかった。
 寺院の中の壮麗な火葬場の脇では この日の死者の火葬のためか タイの人々が
 集まっていた。
 日本の味気ない火葬場とは大違いだ。豪華絢爛な火葬場である。
 火葬場の後ろには大きな高い煙突が 聳えている。
 死者に対する畏怖が タイでは色濃く残っている。
 死者を蔑ろにすれば 死者は悪意を持って甦ってくるという恐れを
 感じているタイの人々である。
 死を蔑ろにする社会では 人間の生すら 蔑ろにされる。
 今の日本が その典型である。

 再び、ソイ77の大通りへと戻り、次の寺院へと歩き始めた。
 このあたり、運河沿いには歩くことが出来ない。



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 バンコクに初めて訪れたのは25年前であるが、そのときは一晩のトランジットで
 何一つわからないまま、バングラディッシュのダッカを経由して、カトマンズに
 向かった。

 それから3年後の22年前から タイとの深いかかわりが始まっていく。
 タイでは 鉄道よりもバス路線の方が発達しており、タイ国内の移動は バスに
 頼ることが多かった。
 数え上げれば 一体 何百回 タイの地方への旅にバスを利用したかわからない。
 冷房のついていないローカルバス、冷房付のツーリストバスと数えようもないくらい
 乗った。 
 コンケンやパッチョンに住んでいた頃は どこに行くにしてもバスの旅だった。

 ネパールやインドでのバスの旅に慣れていた私にとっては タイのツーリストバスが
 どんなに豪華に見えたものか。
 リクライニングシートは 本物だし、冷房は寒くなるほど効いている。
 車掌は ひっきりなしに飲み物のサービスをしてくれる、箱入りのおやつはくれる、
 途中の停留地では 食事のサービスはあるはで それは至れり尽くせりだった。
 ネパール・インド世界とこうも違うものかと 驚くことばかりだった。

 20年以上前のバンコクの東北タイ、北タイに行くバス乗り場は 有名なサンデーマーケットの
 真迎えにあり、冷房なしの地方行きのバス乗り場と冷房付のツーリストバス乗り場の二つに
 分かれていた。
 鉄道のあまり発達していないタイでは バスの旅のほうが一般的であり、そのバス路線は
 タイコク内を網羅していた。
 始めの頃は ネパールやインドでもバスの旅に慣れていた私は、冷房付のツーリストバスの
 ことなど思い浮かばず、バスというものが冷房がないのが当たり前だと思い、バンコクから
 東北タイへの旅は 冷房なしのローカルバスを乗り継いで、コラート、ウドンタニ、
 ノンカイへと向かった。
 
 あのサンデーマーケットだって、地方へと帰っていく人々の土産ものを売るバザールとして
 始まったのかもしれない。
 20年前は 今ほどの規模ではなく、簡単に見て回れる規模で、それほどごった返しても
 いなかった。



 コンケンーバンコク、コンケンーチェンマイ、コンケンーノンカイ、バンコクーパッチョン、
 パッチョンーコラートーブリラムースーリン、 バンコクーウボン、バンコクーチェンマイ
 ーチェンライーメーサイ、バンコクーウタイ、バンコクーパッチョン、バンコクーパタヤ

 列車もよく利用したが 回数からすればバスの比ではない。
 ベトナム戦争時代に物資の輸送ということから 22年前の当時から タイは道路が
 整備されており、夜間のツーリストバスであれば 百キロ近いスピードで飛ばし、
 平均時速5、60キロの列車よりはるかに早く目的地に到着する。

 こんな夜行のバスに様々な思いを乗せて、あるいはバスの背後に多くの想い出を残しながら、
 タイの国内を旅した。
 楽しい想いばかりではなかったバスの旅だった。
 そんな旅の中での バスの中で感じていた心の状態が 今でも鮮明に浮かび上がってくる。
 

 そんなときには こんな曲が 頭の中で鳴り響いていた。


      夜のバス
           作詞・作曲:井上陽水

  夜のバスが僕をのせて走る
  暗い道をゆれる事も忘れ
  バスの中は僕一人
  どこにも止まらないで風を切る

  バスの中はとっても寒いけれど
  君の嘘や偽り程じゃない
  君のくれた青いシャツを
  今日は着ていないだけ まだ暖かいよ

  君なら一人で明日を 
  むかえる事も出来る

  夜のバスが僕をのせて走る
  広い窓もただの黒い壁だ
  なにもかもが闇の中に
  ただ、夜のバスだけが矢の様に走る


  井上陽水  夜のバス
  http://www.youtube.com/watch?v=FGD_UCMPPgM


 この曲が 胸に響くようなバスの旅は もうはるかな昔のことだ。
 タイでは バスの旅には 多くの想い出がある。
 それだけ 心が動くことが多かったのだ。
 今では 快く夜のバスの旅を味わうためには 気力・体力も許してくれなくなった。
 強烈に求めていた自分の世界があったから、耐えられたのだ。


 
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