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 カトマンズにやってきてから5日目、まだ生活の形が整わず、
 自炊生活に入っていけない。
 ネパール産の日本米もまだ買っていない。部屋の片づけすら まだ済んでいない。

 それでも 昼近くなると 腹が空く。
 近所には 食堂の類がないので、5,6分ほど燃えるような暑い陽射しの中を
 バスの走る大通り近くまで 足を運ばなくてはならない。
 午後1時を過ぎれば、いつも行くネワール料理の店があるのだが、
 朝を食べていないので腹の空くのは 11時過ぎ、これだけは調整できない。

 それで 大通りに出る手前にある少し小汚いネパールレストランに行くことになる。
 パタン市民相手の廉価なメニューのレストランで、以前は ネパールモモ(蒸し餃子)
 だけの1品メニューだけだったが、4,5ヶ月前から 店を拡張して、大抵のものは
 出すようになった。
 近頃の物価高で 水牛肉入りモモが 20ルピーから30ルピーに値上がりしている。
 4ヶ月前は 1キロ140ルピーだった水牛肉が 200ルピーを超えている。
 モモの値上がりも致し方ないことである。

 外国人旅行者なら、不潔に感じて ここで注文して食べることが出来ないかも
 しれないが、昔からのカトマンズのレストランの有様を知っている私にとっては
 気にならない。
 20年前のカトマンズのレストランはこんなものだった。
 熱を通していれば、大半のものは大丈夫というのが 私の考えである。
 客の出入りが多くて、繁盛していれば、材料も新鮮なはずである。

 早速私が注文したのは 水牛肉入りネパールモモとミックスチョーメン(ミックス
 焼きそば)、モモのためには2種類のたれがある。
 1つは トマト味のものと もう1つはゴマと生姜味のものだ。
 少し辛めであるが、モモにかけるとなかなか美味しい。
 店によって このたれの味付けが違う。このたれの良し悪しが決めてだ。

 ミックスチョーメンには 野菜、鶏肉、水牛肉、卵、ソーセージが一緒に炒めてある。
 このミックスチョーメン、なかなかの味付けで美味しいのである。
 この焼きそばに モモ用のたれをかけても 味が引き立って美味しい。
 どうも病みつきになりそうだ。
 従業員のほとんどは タマン族のようだ。
 愛想のいい民族である。
 ネワール料理の店なら、ネワール族の人が作ることが多いが、中国風、チベット風の
 料理は タマン族が 料理人のことが多い。

 水牛肉入りモモとミックス焼きそばを合わせて 勘定は95ルピー 約130円だ。
 安いだけが取柄でなく、美味しいことも加わるから、嬉しい価格である。
 お金を出して、美味しいものを食べるというのは 誰でも出来ることだが、安くて
 美味しいものを食べるには生活の知恵が必要だ。
 こんなB級の食事をしていく中で 確実にカトマンズという街に適応していける。
 雑菌など恐れることはない。抵抗力がつくからだ。
 この雑菌に対する抵抗力がついたときに カトマンズは身近なものになってくる
 のである。


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          ブータン  野蚕シルクのキラ メンシィ・マタ    1970年 〜 1980年

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 1970年から1980年ごろにかけて織られた野蚕のシルクのキラ 
 メンシィ・マタである。
 本当はもう少し古いものかもしれない。
 紫がかった青が 少し気になる。
 藍とラックを掛け合わせて染めていれば、天然染料で野蚕のシルク糸を染めて
 いることになるが、定かでない。
 薄い桃色は 茜で染めているようだし、緑は 藍とウコンを掛け合わせて、
 染めているような色合いである。
 化学染料は まだ使っていないように思われる。

 布というのは 写真で見ているだけではなかなか わかりにくいし、見ているだけでも
 わかりにくい。
 見て、触るというのが 布を知るには 一番いい方法である。
 だから、私なども 出来るだけ触ってもらうようにしている。
 博物館などでは ガラス張りの向こうに布を展示して見せることが多いが
 それでは なかなか わかりにくいものだ。
 特に民族衣装のようなものだと、重量感、手触り、柔らかさなどを知ることが
 大切なことである。
 身につけたときのイメージを浮かべることが出来るからだ。

 ブータンの野蚕の手紡ぎのシルク糸で織られた布の肌触りの良さは、
 触らない限り、わからない。
 新しく織られたもの、何年にも渡って身につけたものでは 柔らかさ、手触りが
 全然違う。
 古い布は 着た人間の気のようなものが 乗り移っているようである。
 ブログというデジタルの世界では 五感を使ったアナログの世界を体験してもらえないのが
 残念である。


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 さらに上流に向かって 足を進めていくと スクムバシと呼ばれる密集した集落の
 入り口に出会う。
 
 この集落には 新旧二つの集落がある。
 1つは バグマティ川の岸辺から見ると、奥にある古い集落で 30年近く前には
 バラック建てのスラムから出発した集落が 形を整えたものと 去年の秋頃から、
 木箱をばらし、それを使って家を建て始めた新しい集落の二つが 共存している。
 互いに 政府の土地である河川敷の違法占拠であることには変わりない。
 新旧二つの集落同士で いざこざが起こるかなと見ていると、貧しいもの同士、
 協力はないもののお互いに受け入れあっているようだ。

 この二つの集落の入り口部分は 広場になっており、ここに物売りたちがやって
 きたりもするし、集落にすむ人たちのたまり場にもなっている。
 人間らしいのんびりした光景が 展開されている場所だ。

 去年の秋頃に出来始めた新しいスクムバシ(スラム)の方に歩いていくと、
 木造のバラック建ての家々が並んでいる。
 そんな家の前でここに住む女の子たちが 楽しそうに戯れている。
 「学校へ行く時間になっているが、用意はしなくていいのか」と問いかけると
 「もう少し経ったら、用意する」と答えるが 本当かどうかわからない。

 ここを過ぎると 集落の人々が 暑い陽射しを避けて、木陰に集っている。
 インド系の顔つきの人たちで 老若男女 家族のように座りこんで 
 朝ののんびりした時間を過ごしている。
 何度かバグマティ川の岸辺で見かけた子供もいる。
 南ネパールのタライからやってきて この場所に住み着いたイスラム教徒のようだ。
 貧しいのには違いないが 深刻さは感じさせない。

 ここを離れ、少し行くと、ポリアールというカースト、ネパールの人々の大半が
 ダマイ(縫製カースト)と呼ぶ低カーストの人たちが住んでいる一角がある。
 家の前の狭い空地にゴザを敷き、女たちが座り込んでいる。
 2週間前に生まれた赤ん坊に トウリ・コ・テールと呼ばれる菜種油を塗りつけている。
 赤ん坊の叔母さんに当たる女性が 赤ん坊の世話をし、母親はそのそばで楽しそうに
 我が子の姿を眺めている。
 話を聞くと、赤ん坊の母親はタマン族、父親はポリアール(ダマン)カーストだ。
 異民族間の結婚である。
 タマン族は仏教徒、ポリアール・カーストの人たちは ヒンズー教、だから奥さんは
 ヒンズー教に改宗している。

 スラムの前の道を1周すると 今度は 30年近く前に出来た古い集落の前を通り抜け、
 再び、集落の入り口にある広場に出る。
 その途中には 集落の住民の店がいくつかある。
 肉屋もあれば、食料品店もある。
 その前を通り過ぎて行こうとすると、一人のネパール人が声をかけてきた。
 その顔を見ると、前回ここにやって来たときに お茶をご馳走になったマガール族の
 男性だった。
 彼のひとり息子は 日本女性と結婚し、今は 日本でネパールレストランに勤めており、
 仕事は順調で、時々 日本からの電話があると言う。
 運転手の仕事をしていたが、事故で足を骨折し、今は仕事が出来ない状態だが、
 4ヶ月前から見れば、回復しているようだが、杖は必需品のようだ。

 貧しい人たちが 集まるスラムであるが、ここにいる限り、餓死することはないだろう。
 それぞれが、他の人々の生活に関心を持っており、毎日のように声を掛け合って
 生活しているからだ。
 日本のように市営住宅で餓死し、何ヶ月も放置されるなど考えられない共同体である。
 貧しいものたちは 肩を寄せ合って 助け合って生きていく以外に 生きていく方法はない。

 日本の国から 助け合って共生していく社会を奪ったのは誰だ。
 自分さえ良ければ、他人のことなどに関心を持たない社会を作ったのは誰だ。
 貧しさが 他人への関心を失わせるというのは嘘だ。
 ここ10年の日本の政治、風潮は 助け合いの精神を枯渇させていったことが、
 この集落を見ていると良くわかる。
 人と人とのつながりを断ち、皆をばらばらの寂しい存在にして置くことほど
 支配者にとって 便利なことはない。
 小泉政権の悪行の数々の付けを 今 日本国民は 嫌が負うにも負わなければならない。
 無知・無関心は 確実に生きる世界を惨めなものにしていく。
 そんな中で 力のない孤独な人々は餓死していく。
 そんな日本が 果たして文明国といえるのだろうか。


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          ブータン  野蚕シルクのキラ メンシィ・マタ   20世紀中期 〜 1970年代

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          ブータンの野蚕の手紡ぎシルク糸

 飽きもせず 野蚕シルクのキラ メンシィ・マタの紹介を続けているが、いろいろ
 見ておいたほうがいいとつもりで 読んでください。

 この野蚕シルクのキラも 20世紀中期から1970年頃までに織られたものである。
 野蚕のシルク糸の染色には 天然染料が使われている。
 この野蚕シルクのキラも ほとんど傷みがなく、保存状態がよいことから、裕福な家の
 女性のものだったのだろう。
 これを手に入れたのは 1980年代後半、カトマンズにおいてである。
 1980年代には インド・ブータン国境のアッサム州に接触のあるマルワリ商人が
 カトマンズに ブータンの布やアッサム、ナガランド、マニプルあたりの布をせっせと
 運び込んでいた。
 この時代には ブータン国内よりカトマンズの方が ブータンの古い布は
 多かったかもしれない。

 マルワリ商人は もともとはインド・ラジャスタンあたりに生まれた商人集団であり、
 インド各地、そしてインド周辺の国々で商いをしている。
 そして、ネパールの経済を握っているのは このマルワリ商人である。
 インドからネパールへの流通システムを築き上げており、インドからネパールへの
 物流は彼らの独占に近い。

 このブータン布のビジネスで大もうけをして、カトマンズに土地を買い、4階建ての
 家を建てたマルワリ商人もいる。

 1980年代は こうしたマルワリ商人が カトマンズにブータン布を運び、店を
 開いていた。

 その中のマルワリ商人に ブータンの野蚕手紡ぎ糸を運び入れてもらったことがある。
 20年前の話である。
 その野蚕の手紡ぎのシルク糸が 写真のものである。

 このキラも この糸を天然染料で染め、そして織り上げたものである。


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 バグマティ川のパタン側の河川敷を離れ、バグマティ川にかかる黒い鉄製のつり橋を
 渡って、バグマティ川の対岸のカトマンズ側へと移動する。

 橋を渡り終えたすぐ横に 岸辺へと下りるためのレンガ造りの階段がある。
 その階段を左に曲がり、川の上流方向に向かうと 2百年以上前にサハ家によって
 建てられた古いシバ寺院がある。
 その寺院の中に造られた小部屋には 何組かの貧しい家族が住んでいる。

 タマン族の女の子 スジータもその中の一人である。
 祖母と叔父らしい若者と彼女の3人で小部屋に住んでいるらしく、彼女の両親の姿を
 見かけたことはない。
 確か小学4年生になっているはずだが、今日はどういうわけか、学校に行く支度を
 していない。
 「どうして 今日は学校へ行かないの」と尋ねても はっきりした答えは返ってこない。
 彼女の部屋の隣には ネワール族の家族も住んでおり、母親は6ヶ月前に若い男と
 失踪してしまい、ビックラムという名の11歳の男の子を頭に その妹3人と父親の
 5人家族である。

 ここに住んでいる別の家族に子供たちのことを尋ねてみると、11歳のビックラムは
 その辺に遊びに行き、幼い妹たちは学校に行っていると言う。
 「母親は戻ってきていないのか」と尋ねると 
 「失踪したままで、帰ってこないだろう。居ても酒を飲み、若い男と遊ぶだけだから、
 居ない方が子供にとっていい。父親も母親がいることで 子供に関心を向けることは無かったが、
 今は 関心を持つようになっている。
 小さな子供たちも学校へ行っているし…」と話してくれるが、半信半疑である。
 母親失踪後の4ヶ月前の薄汚れた子供たちの姿を見ていると、
 それが事実のようには思われない。

 シバ寺院を後にして 川の上流に向かって歩き始めると、前方に12歳ぐらいの
 少年が廃品をいれたズタ袋を背に背負って歩いている。
 南ネパールのタライかその向こうのインドからやって来ている少年である。
 ネパールの国籍が無ければ、このカトマンズでは 教育の機会はない。
 家族と一緒に生活しているのだろうが、日々の生活費は 自分の手で稼ぎ出す必要が
 ある。
 こんな風にして 貧しい子供たちは 世の中のことを自分の目と身体で知り、
 たくましく成長していくのである。
 日本の戦後のどさくさの時期がそうであったように。
 向こうから同じ廃品集めをしている少年たちの集団がやってくる。

 後ろからは 近くの公立学校へ通う子供たちが、夏の暑い陽射しを避けるために
 黒いこうもり傘をさしながら、寄り添うようにやってくる。
 この少女たちも決して豊かな家庭の子供たちではない。
 このカトマンズでは お金に余裕があれば、皆 私立学校に行く。
 親さえ、我が子の教育に関心があれば、どうにか小中学校程度なら、我が子を学校に
 通わすことは出来る。
 公立であっても お金が不要というのでなく、私立より安いというだけである。
 お金に余裕が無ければ、公立さえ通わすことは難しい。

 大人の現実は すぐさま子供に跳ね返ってくる。
 どんな矛盾に満ちた世界の中でも 人は生きていかなくてはならない。
 ネパールは 矛盾に打ち勝つ強さを持った人間だけが 生きていくことが出来る
 厳しい世界なのである。



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