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      ブータン  ブータンの帯 ケラ      1980年代


 ブータンの帯 ケラも1980年代に入ると その品質も落ちてくる。
 ケラの形状が 今までのような幅広の両面縫い取り織りの技法から、
 カード織りのものに変わっていき、従来の形のものは 観光客への土産物に
 なっていったからだ。

 このケラもそうした流れを受けたものである。
 黄色の地の経緯糸は インドからの工場生産の木綿糸、織り込み模様には
 インドからの工場生産のアクリル毛糸が使われ、糸も染めも工場任せのものに
 変わっている。

 紋様の織り込みも 決まったパターンが連続しており、創意工夫が感じられない。
 王族や身分の高い富裕層の特別注文がなくなり、幅広のケラは 観光客用のものに
 なり、 簡単に手早く織るというのが 当然のことになっている。

 この織物のケラを見ただけで ブータンの織物の魅力は半減してしまっている。
 織り手と注文主である着る人との関係は 失われ、お金を得るためだけの織物に
 なってしまっているのである。



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 カトマンズにやって来てから 早20日近い日が流れてしまった。
 カトマンズに到着した頃は 雨期前の真夏の酷暑の最中で 暑さは日に日に
 増すばかりだった。
 雨期入りしたと思ったら、雨が降ったのは この4.5日間で 1時間の土砂降りが
 1度あったきりで その後は 雨なしの毎日である。
 地下水からモーターを使って汲み上げるわずかばかりの水で どうにか最悪の水不足の
 生活をしのいでいるが、いつまでこんな生活が続くのやら。

 私の住んでいるあたりは 特に水事情が悪いらしく、政府の水道の水の供給は 
 20日以上途絶えたままである。
 しかし、私の家から1キロばかり先の地区では 2日に1度は 何時間か、水道の水が
 供給されているという。
 そのあたりの人間にとっての悩みは 庭の木々にやる水が 充分ではなくなっていると
 いう贅沢な悩みである。
 全く不公平で不公正なネパール社会である。

 私の住んでいる地域では 間借り生活の人たちが多く、水浴び、洗濯のための水はおろか、
 飲み水すら事欠く有様で バグマティ川近くの地下水を求めて、1キロばかり歩き、
 水を運んでくるというのが日課になっている。
 朝夕の食事の仕度前などは バグマティ川岸辺の水場には 長い列が出来、自分の番が
 来るまで待つのも フラストレーションの1つになる。

 私は一人暮らしだから、1日3杯のバケツの水があれば、どうにか生活していけるが、
 水浴びは毎日というわけにはいかない。
 3,4人の家族で一部屋を間借りして生活している貧しい人たちにとっては、
 水を確保するのは 至難の技である。
 洗濯や水浴びであれば バグマティ川の岸辺近くにある井戸や水場で行えばいいが、
 食事のための水や飲み水は 部屋まで運んでくる必要がある。

 力もお金もない貧しい人たちには 何かにつけてしわ寄せが来る。
 政府官僚や政治家たちには 特別の水道のパイプラインが用意され、
 水に苦しむ生活からは無縁である。
 政府の高級官僚や政治家たちは 民衆、庶民たちとともに苦しみを分かち合うと
 いう姿勢はない。
 これはどうも世界共通の現象で 山を越えた海の向こうの小さな島国でも同じこと
 らしい。
 先進国でも発展途上国でも 多かれ少なかれ 政府や政治家たちの姿は同じである。

 水との戦いに明け暮れていると どうしても眼が空の方を向いてしまう。
 空の様子から 雨の気配を感じとろうと思うからである。
 私の住んでいるパタンでは キルティプールという小さな町のある西方面の空に
 雨雲が発生すれば 雨になると言われている。
 東のほうに雨雲が発生しても バクタプールあたりに雨をもたらすだけで、
 パタンの町には 雨は降らない。
 西の空を眺め、東の空を眺め、朝の空を眺め、夕方の空を眺め、雨の気配に期待を
 寄せる。
 キルティプール方面の西の空を眺めることが 習慣のようになってしまったが、
 東の空に雨雲を見つけることはあっても 西の空に雨雲を見ることはない。
 東の空の方向には インドのカルカッタがある。
 モンスーンは カルカッタあたりまではやってきているらしいが この山に囲まれた
 カトマンズ盆地まで本格的にやってくるには まだ時間がかかりそうだ。

 カトマンズと同じように インドでも 北インドでは 村人たちは旱魃に
 苦しめられているという。
 インドでも インド政府は 富裕層の住む都市部ばかりにお金をかけ、
 地方の村々のための水対策には 力を入れていない。
 民衆や農民たちは ひたすら自然のもたらしてくれる雨の恵みを待つより
 仕方ないのである。

 今日もカトマンズの空を眺めてみたが 今日は朝から晴天、
 雨は期待出来そうにない。



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    ブータン  ブータンの帯 ケラ   1960年代後半 〜 1970年代


 1960年代後半から1970年代初めごろにかけて織られたブータンの帯 
 ケラである。

 このケラの織り込みの紋様をよく見ると インドからの生糸とブータンの野蚕の
 手紡ぎシルク糸の両方が使われている。
 野蚕シルク糸で織り込まれた紋様は 藍染めラック染料のえんじのものがある。
 このケラの中心的な位置を占める紋様部分には 輝きのある生糸が使われている。
 高価な生糸を 目立つ位置に置きたかったのだろう。

 仕事ぶりは丁寧であるが、野蚕シルク糸と生糸の色合いのバランスが なんとなく
 頂けない。
 それは我々日本人の感覚で 当時のブータンでは 生糸は ブータンの人々の眼を
 奪ったのかもしれない。
 生糸を使うことで 確かに織物の豪華さは増している。
 ブータンの女性用民族衣装のキラ クシュタラやノシェムはハレの衣装であり、
 その衣装の大切なポイントは 帯にあったはずだ。
 身分制社会のブータンでは 身につける衣装の違いによって、身分の違いをはっきり
 させるには 高価な生糸を使った織物は 効果的であったに違いない。



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 バグマティ川に架かるパタンとカトマンズのテクを結ぶ黒い鉄製の吊橋の袂周辺で
 よくインド系の顔をした子供たちに出会う。
 この黒い鉄製の吊橋のパタン側の一帯は カトマンズのゴミ集積場になっており、
 そのゴミの山の中から お金に換えることの出来る廃品を集め、それを売り、生活の
 糧にしているインドからやって来たたくさんの家族が 住んでいる。
 子供たちはその家族の子供たちである。
 
 このあたりを散策していると 小さな公園の片隅や路上で 何人かのグループで
 遊びに興じている女の子たちに出会うこともある。
 その遊んでいる様子を写真に収めようとすると 彼女たちは写真に撮られることを
 嫌がり、すぐさま顔を隠してしまう。
 ネパール人の女の子たちは 写真に撮られることを喜ぶのに このインド人の
 女の子たちは違う。
 どこか他人に気を許さないところがある。

 インドでは 地方によっては 女たちが 見知らぬ男には決して顔を見せない
 習慣がある。
 インドのラジャスタンの村で女たちに出会うと 
 すぐに女たちは必ずベールで顔を隠した。
 ヒンズー教の女たちである。
 インドの片田舎のマルワリ商人の家に 食事に招待されても 
 女たちは客の前には顔を出さず、食事の世話は男たちの仕事である。

 そんな習慣を親から教えられているのだろうか、それともインドからカトマンズへと
 生活場所を求めて移動してくる中での過酷な体験が 見知らぬ他人に対する警戒心を
 強めているのだろうか。
 しかし、男の子たちは別である。
 彼らは写真を撮られることを嫌がらない。
 カメラを向けると必ず、お金を要求してくる。
 ポケットの中に飴玉があれば、上げることもあるが お金は決して与えない。
 飴玉は友好の印であるが、お金は労働の証であるから。

 黒い鉄製の吊橋を渡ると 橋の下でインド人の子供たちのグループが 
 夏の暑い陽射しを避けて、座り込んでいる。
 10歳ぐらいから14,5歳までの男女の集団だ。
 このあたりに住んでいる子供たちではなく、カトマンズで集めた廃品を担いで
 やって来て、廃品回収業者に 集めた廃品を売った帰りらしい。
 皆 インドのビハール州辺りからやってきているという。
 どうも 仲間と徒党を組んで カトマンズまで逃げ出して来て、仲間同士で一緒に
 生活しているらしい。
 まるで日本の戦後の浮浪児たちのようだ。
 野性味あふれる子供たちである。

 このあたりを歩いていると インド人の子供たちが多く、カトマンズであることを
 忘れてしまいそうだ。
 水を汲んで家に帰る子供たちは 頭の上に水の容器を載せて運ぶインド式である。

 向こうからは その先のスラムあたりに住み着いている子供たちが徒党を組んで
 やってくる。
 自分たちの身を護るためか インド人の子供たちは いつも徒党を組んで行動している。
 祖国を離れて住むには そのくらいの注意深さが必要なのかもしれない。

 ネパールのインド国境あたりの村では インドから人さらいがやってきて、
 村の子供たちをさらっていくので 親たちは警戒しているという。
 人さらいと間違われたインド人が 袋叩きにあったり、殺されたりすることも
 あるという。
 近頃、カトマンズでも物騒な出来事が多い。
 つい最近も裕福な女子大生が誘拐され、ばらばら死体の状態で発見された。

 異国に生きるインドの子供たち、警戒するくらいでちょうどいいのかもしれない。
 別の日に再び橋の下に行ってみたら、二人のインド人の女の子が 
 のんびり座り込んでいた。
 変な人が声をかけても気を許すんじゃないよ。



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