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家を出て バグマティ川沿いの道路に向かい、そこから上流にあるパタンと
カトマンズに架かるバグマティ橋に向かうか、それとも下流に下って パタンと
カトマンズのテクに架かる黒い吊り橋に向かうかは その日の気分しだいである。
どっちを取っても 回るコースは同じで 反対回りになるだけだ。
この日は 上流のバグマティ橋を渡り、ラナ家の創始者 ラムバハドォール・ラナが
2百年近く前に建てたラーマ寺院、ナラヤン寺院の石畳の敷かれた参道を通り抜け、
ネパール軍の宿舎脇を通り過ぎると 6,70年前に ラナ家によって建てられた
公立学校の建物の裏に出る。
その裏道のわきで 食べ物を料理して売る屋台に出会った。
今まで見かけなかったものである。
そのすぐ近くでは 腹をすかせた学校帰りの中学生が 焼きそばをほお張っている。
屋台の店主は ポカラ出身のグルン族の若者である。
本来 料理をすることが好きなのだろう。誰にも習わず、料理は見様見真似で
覚えたという。
すぐ近くのスクムバシ(スラム)の中に 部屋を借りて住んでいるようだ。
話を始めた以上 何かを食べないわけにはいかない。
中学生の食べていたものと同じ焼きそばを注文することにした。
わずかばかりの野菜を加えた野菜焼きそばで 値段は20ルピー 約30円である。
フライパンを動かす手つきは なかなか器用である。
お腹がすいていなかったせいもあるが、味はそこそこで食べることは可能といった
感じだったが 出してくれたフォークを 親切にも 雑巾のような汚い布切れで
しっかりと拭いてくれたのには ちょっと閉口した。
たっぷりの量があり、食べ切れそうにもないので ちょうどそばにいた小さな子供が
如何にも食べたそうな顔をしていたので 分け与えることにした。
タパタリのいつもの店で モモ(ネパール風蒸し餃子)などを食べてきていたから、
全部を食べるのは苦しく、近くに小さな男の子がいたのは 幸いだった。
余程 お腹がすいていたのか 勢いよく食べてくれたのはありがたかった。
バンコクなら タイに移民してきた中国人たちは 屋台を出発点にして、商いを
始め、何年か後に 店を持つために努力を重ね、店を持つようになるが、
このグルン族の若者、将来に対する見通しを持っているのだろうか。
我流の味付けだけでは 次のステップは難しいかもしれない。
写真を撮ったり、話をしているうちに 焼きそばの代金を支払うのを忘れてしまった。
村から出てきた若者の遠慮深い性格からか、お金を要求してこなかったから 拙かった。
家に帰ってきてから、お金を払わなかったことを思い出し、後味の悪い思いをした。
昼の1時から夕方の5時まで 後ろにある公立学校の生徒相手に屋台を開いていると
聞いていたので、翌日 お金を払いに行ったが、金曜日は ネパールの学校は半日授業で
この日は 彼の商いも休みのようだ。
すぐ近くのスクムバシ(スラム)の入り口近くに彼の屋台が置いてあり、
近くの住民に彼の居場所を尋ねると 呼びに行ってくれ、奥のほうから彼が出てきた。
今日は学校が半日なので 商いは休みだという。
お金はいつでも良かったのにと言われたが、日本人の信用問題にかかわるから、
そういうわけにはいかない。
いつだって、人と人との関係の中では 誠実さを表わすことが大切である。
言われて払うのと 自分のほうから払いに行くのでは印象は違う。
このスクムバシには たびたびやって来るから、いい加減なことをしていれば、
住民の見る目が違ってくる。
彼に焼きそばの代金を支払い、すっきりした気持ちで家へと向かった。
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