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 私が タイとの係わりを持つようになって22,3年の月日が流れた。
 最初の頃は ネパール・インドへの行き帰りに タイに1,2週間立ち寄るというのが
 タイ滞在の形で 大抵は 中華街にあるジュライホテルに泊まるか、そこに飽きれば、
 プラトゥ・ナーム辺りの1泊3,4百バーツに泊まることもあった。

 何日かバンコク市内のホテルに泊まると チェンマイ・チェンライ、あるいは
 東北タイのコンケン、ウドン、ノンカイへ行き 布の仕入れをして、再びバンコクに
 帰り、時間があれば、パタヤ辺りに足を伸ばして、のんびり過ごすというのが 
 タイでの滞在のパターンだった。
 だから 食事といえば、屋台中心で それでもその前の3年はネパール・インドでの
 生活が長かったから、バンコクの屋台で食べる料理は何でも美味しく感じられた。
 カレー味から開放されたという思いが強かった。

 タイとの係わり、特に人間関係が出来上がってくるに従って、タイへの滞在期間も
 長くなり、最初にアパートを借りて住み始めたのが バンコクから180キロばかり
 離れたカオヤイ国立公園の近くの町 パックチョン この町には3年近く行き来した。
 気候的には涼しく、過ごしやすい場所であったが、20年前のパックチョンは 
 何もない田舎町で 市場に行っては 肉だの野菜だのを買ってきて自炊をした。
 当時は 豚肉の値段も 1キロ4,50バーツという安さ、プラー・ニン(テラピア)
 というタイで人気のある魚も 1キロ10バーツだった。

 パックチョンでアパートを借りるまでの数ヶ月は バンコクで知り合った知人の
 実家に居候し、パックチョンの郊外にあるタイの田舎の生活を知ることが出来た。
 料理は七輪、料理に使う水は 雨期のときに汲み置いていた水、水浴びの場所は
 野外、水道などパックチョン郊外のこの村には まだ来ていなかった。
 家の庭に井戸も掘ってみたが 乾期になると 水がひやがり、役に立たなかった。
 それでも カトマンズの水不足、不便さには慣れていたので パックチョンでの
 そんな生活も気にならなかった。
 テレビも冷蔵庫もガスも水道もない生活、別に驚きもなく すっと受け入れることが
 出来たのは やはりまだ若さの持つ体力が残っていた証拠だったのだろう。
 知人の母方の祖父がいたが バナナ、マンゴ、ジャックフルーツなどを育て、
 草を編んで屋根の材料を作っていた。
 当時 65歳ぐらいだったから、今は 90歳近くなっているだろうが、この家を
 去ってからは 会うこともなくなった。
 20年の歳月は あっという間に過ぎ去ってしまった。

 その後 パックチョンの町の中心近くに借りたアパートも水掛け式の浴室、
 台所に出来る小さな部屋と12畳ぐらいの部屋で月千バーツ
 (当時のレートで5千円程度)だった。
 フラット・タムルアッドと呼ばれ、警察官の持ち物だった。
 乾期の冬場のパックチョンは 涼しく、冷水での水浴びに慣れるには時間がかかった。
 それでも パックチョン郊外の村での生活に比べれば、部屋に水は来ていたし、
 プロパンガスとコンロはあったから、格段に便利な生活になったし、市場も店も
 近くにあり、普通の町の生活に近づいた。

 パックチョンに滞在し、布の仕入れに 冷房バスを使って 東北タイのコンケン、
 北タイのチェンマイへ出かけ、そして 都会の香りを吸いにバンコクに出かけたもの
 だった。
 パックチョンに住んだといっても 1ヶ月近く滞在すると 再び日本へ あるいは
 ネパール・インドへインドに出かけ、再び パックチョンに戻ってくるという3年間
 だった。
 この3年間の時々のパックチョンでの生活で 日本人に出会うことは1度もなかった。
 異国で生活するためには その地で生活する人々の生活をありのままに受け入れること
 から 始まる。
 そのためには 好奇心を失わず、人々の行動を観察することが 重要な第1歩であり、
 こうした姿勢が 犯罪に巻き込まれずに20年以上 生活出来た理由かもしれない。



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 未使用の野蚕シルクの3枚組みの布をばらばらにして、洗濯機で洗い、糊抜きを
 してみた。
 アイカプール、メンスィ・マタ、ルンセルマ、これらの布を使って 女性用民族衣装
 キラや男性用民族衣装 ゴが作られる。

 未使用といっても 20年前に購入したものだから、今 織られているものに比べれば
 仕事は確かだし、丁寧である。
 残念なことに1980年代に入ると、野蚕のシルク糸を染めるのに 科学染料が
 使われるようになっている。
 それでも 野蚕シルクは 今のものに比べると 数段 質が良い。
 幅50cm前後 長さ 230cm前後の布である。

 この布を部分的に使って ベストやジャケットを使ってもユニークで面白いと思うし、
 袱紗や高価で格調の高い陶器の包む布や袋物にするのも似合っているように思うが
 どうだろう。
 益子焼きの陶器にはぴったりの布のような気がする。
 貴重な茶器をくるむには厚地で柔らかく最適である。


 昨日のテレビのニュースで 殺人未遂で指名手配中の暴力団関係者の37歳の日本人が
 恐喝未遂でタイ警察に逮捕されたことを報道していた。

  ** 手配の組員、ついに御用…タイで逮捕→逃亡繰り返し **
     http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20091026-OYT1T00985.htm

 【バンコク=田原徳容】
 タイ警察は26日、元山口組系暴力団組員、宮崎和也容疑者(38)を恐喝未遂容疑
 などで逮捕したと発表した。

 同容疑者は日本で2006年に殺人未遂容疑で指名手配され、偽造旅券でタイへ逃亡。
 タイでは逮捕―保釈―逃亡を2度繰り返し、行方をくらませていた。

 捜査関係者によると、同容疑者は今年1月、バンコクでタイ人女性への恐喝未遂容疑で
 逮捕されたが、保釈後に逃亡。警察は9月、潜伏先のバンコクのアパートで発見、
 逮捕した。
 ところが、裁判所は同容疑者を再保釈し、今月12日に裁判所へ出頭しなかったため、
 再逃亡が発覚した。25日朝にバンコクで逮捕された。

 タイでは、裁判所が保釈の是非を検討する基準があいまいで、裁判官個人の裁量が
 大きい。
 同容疑者は実際の保釈金額の数倍を支払い、再保釈を認めさせた可能性があると
 みられる。
 同容疑者は06年5月、大阪府内で走行中の車を銃撃し、元組員ら2人を負傷させた
 として府警に指名手配されていた。
                   〜(2009年10月26日19時07分 読売新聞)


 私も 彼が住んでいたアパートのあるパトゥムワン地区に住んでいるが もしかしたら
 意外と近いところに住んでいたのかもしれない。
 タイには こんな偽パスポートを使って、日本から逃げてきている犯罪容疑者が
 多いのだろう。
 2年ばかり前にも タイに偽パスポートで入国していたパタヤの長期滞在者が 
 知り合いの不動産屋の老人からお金を奪う目的で その老人を殺害するという事件も
 あった。
 バンコクでFX為替取引をしていた日本人の青年が 知り合いの日本人の若者に
 お金を奪われ、殺害される事件もあった。

 この頃では 怖いのはタイ人ばかりでは このような日本人も怖い。
 テレビで 宮崎和也容疑者の姿を見たが、バンコクのカオサン辺りで 愛想よく
 話しかけられれば 偽パスポートを使って日本から逃亡してきている人間だとは
 誰も思わないだろう。
 私が住んでいる地域には中級のゲストハウスやホテルがあるが、歩いている日本人を
 見ると それっぽい人もいるから、気楽に声を掛けるのも怖い。
 夜 遅く飛行場から到着して 宿探しで困っている人を見かけると、手助けを
 したくなるが、近頃では 警戒されることのほうが多いので、だんだん声を掛ける
 ことも控えるようになってしまった。



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 野蚕シルクのキラの中でも 格子模様のものをセタと呼び、縞模様のものを
 ジャディムと呼ぶ。
 特にセタと呼ばれる茶色と黄色と黒の組み合わせの格子の布は 日本の丹前のような
 ブータンの男性用民族衣装 ゴによく用いられている。
 ブータンの子供たちも このセタで作ったゴを着ているが、この頃では インドの
 機械織りのセタに似せた布を使って ゴが作られるようになっている。

 セタにしてもジャディムにしても どちらかといえば 庶民のキラといえるだろう。
 野蚕のキラ ルンセルマ、メンスィ・マタ、アイカプールなどと比べると 
 織り上げるにも時間がかからない。
 日本でも縞や格子の布は 庶民の着物の柄だったはずである。


 数ヶ月ぶりに日本に帰ってくると 東京の物価が気にかかる。
 今は蜜柑の最盛期で 昨年に比べると幾分安くなっているようだ。
 瀬戸内海の小島の蜜柑農家で育った私にとって、1番身近な果物といえば 
 蜜柑である。
 秋になると 少しばかり色づいたまだ酸っぱい蜜柑をもいでは食べたものだ。
 蜜柑だけは 好きなだけ食べることが出来た。

 そのせいか どこにいても蜜柑があれば満足である。
 ネパールのスンタラというやたら種の多いネパール蜜柑、外の皮ばかり 厚くて
 中身が少ししかない。
 それに比べると インドの蜜柑は 甘くて酸味もほどほどにあって美味しい。
 ただ、ネパールにインドから輸入されているものは 熟れないうちに運ばれてくる
 せいか、インドで食べるほどは美味しくない。
 20年ほど昔は ニューデリーのパハールガンジの野菜市場周辺では 蜜柑を荷車に
 山ほど積み上げ、1キロ5,6ルピー(当時の日本円で5,60円)で売られていた。

 タイではソム・サイ・ナムプン(蜂蜜が入っているような甘い蜜柑)という銘柄の
 蜜柑が美味しく、チェンマイからやって来て そろそろバンコクでも出回る時期である。
 この蜜柑も安くなると 小さいものであれば、1キロ15バーツから20バーツ位の
 値段になる。日本円で約50円だ。
 この時期になると 私も2キロ、3キロとまとめ買いをして、暇があれば、
 むしゃむしゃと 蜜柑を食べている。
 日本では 安くても1キロ2百円以上、好きなだけ食べるというわけにはいかない。
 果物好きの私にとっては こと果物に関して言えば、天国のような場所である。
 日本の果物は 確かに手がかかっていて美味しいが 値段の高さからいって、
 心行くまで食べるというわけにはいかない。
 バンコクに行けばと ひたすら我慢して 指を加えて 見ているだけだ。
 早く、バンコク、カトマンズへ行きたい。



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