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 9月も10日を過ぎる頃になると 夕暮れ時になると 気温も下がり、外へ
 散歩に出たくなる。
 近頃は 雨もよく降り、それがバンコクの暑い季節を和らげてくれているようだ。
 日本の気候のように 秋の訪れを感じることはないが、気温の変化が 人の身体に
 季節の変化を感じさせてくれる。
 やはり、1年中で 1番 降雨量の多い9月である。
 この頃では 1日に1度は雨が降る。

 部屋にいつも置いてある果物が切れてしまったので、センセーブ運河の向こう側に
 ある下町の市場のある通りに 買出しに出かけた。
 チェンマイ産の柿を求めて 探していたが、この前まで路上の至るところで売られて
 いた柿の姿はない。

 市場の裏側にある路地を通って 市場の表通りへと出ることにした。
 夕暮れ時の薄闇から 夜の闇に変わり始めた路地裏の縦割り長屋では、そろそろ
 夕食の時間を迎え、皆 家の中に引きこもり 夕餉の用意に向かっている。
 老夫婦が長椅子に寝転がり、休息のときを迎えている。
 静かな 静かなひとときである。

 表通りからやって来ると この路地裏の世界だけは 昔と変わらぬままの時間が 
 夕暮れ時になるとやってくるらしい。
 路地を抜け、市場に入り込んでみると ここも同じように 心に染み入るような
 時間の流れがあり、物を商う形は 数十年前と少しも変わっていない。
 肉屋、八百屋、総菜屋、雑貨屋 その古めかしい商いの形は 人間と人間、
 売り手と買い手の直接の交流の世界が残っている。
 夜の闇の中に 裸電球の光で浮かび上がって来る世界は 昼間の世界とは別のものだ。
 衣食住を大切にして 生活し、生き抜いている人々の素顔が そこにはある。
 心の健康が その顔には 当たり前に浮かび出ている。
 素顔のままで生きることが出来る世界、それがバンコクの下町の姿だ。

 ここにやって来ると 私もほっとする。
 見栄を張って、無理することのない世界がここにあるからだ。
 貧しいその日暮の庶民に寄り添った暖かい世界が ここには生き続けている。
 たとえ 収入が少なくても この市場通りにやってくれば、どうにか生活出来るものだ。
 一袋半額になった惣菜、夜になると安くなる果物や野菜などの生鮮食品、工夫すれば、
 少ない収入でもどうにかなる。
 ここには 贅沢という言葉はない。
 生きるために必要なものを 出来るだけ安く買い求める場所である。
 昔の日本もそうだったのだ。
 貧しいものを支える場所が 至るところにあったのだ。
 そんな優しさのある世界だったはずなのである。
 このセンセーブ運河の近くの市場通りのように。 

 私も一袋半額の10バーツの惣菜を2種類、そして 小さなよく熟れた西瓜の半分を
 提げて、家路に向かうことにしよう。


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 イスラム教徒 チャム族の集落 バーン・クルアを歩いていると 密集した集落の
 所々に 古い木造の家屋が点在しているのが わかる。
 建ててから 百年以上経ているものもある。

 家々の密集したこの集落の中の古い木造の家屋だけを残して、この集落を
 思い浮かべてみると 百年前のこの集落の姿が浮かび上がってくるような気がする。

 今のベトナム南部に チャム族の王国 チャンパ王国が出現したのは 7世紀頃らしい。
 その当時は イスラム教を信仰しておらず、インド文化の影響を受けて、ヒンズー教や
 仏教を信仰していたと云われている。
 そのチャンパ王国のチャム族がイスラム教徒に改宗し始めたのは 11世紀以降の
 ことで 17世紀以降のチャンパ王は イスラム教徒であったことが知られている。
 15世紀から18世紀にかけて べト族(ベトナム)の侵攻により、チャム族の一部が
 カンボジアに脱出し、タイに住むイスラム教徒 チャム族は カンボジアから更に
 移住した人々である。

 アユタヤ王朝時代にも 多くのチャム族が住み着き、1767年のミャンマーによる
 アユタヤ攻撃の際にも アユタヤ軍の一部として戦った。
 アユタヤ陥落後は バンコクのトンブリに移住したが、一部のチャム族は アユタヤに
 祖先の霊がいるという理由で アユタヤに帰って行った。

 バーン・クルアのチャム族は チャックリ王朝のラーマ1世が 18世紀末に
 カンボジアを攻撃した際 捕虜として、あるいはカンボジアの政情不安による
 難民として移住してきた人々である。
 彼らも アユタヤに移住したチャム族と同じように、タイの王家に忠誠を尽くすことを
 約束したことから、バンコク郊外、現在の地 バーン・クルアに住むことを許された。
 又、ラーマ3世の時代にも シャム王国がカンボジアとベトナムを攻撃した際に
 連行されたチャム族も このバーン・クルアに住むことになった。

 今では想像もできないが 2百年近く前のバーン・クルアのチャム族は 主に農業に
 従事したが、その中でも漁民や船大工の伝統を守るものもいて、造船技術を活かし、
 シャム王国の水軍の傭兵として働き、バーン・クルアの前のセンセーブ運河の商業的、
 軍事的な役割を果たすことになった。
 ジム・トムプソンで有名になったタイの絹織物も チャム族の絹織物の技術が基礎に
 なっている。

 バーン・クルアの集落の中に残る古い木造家屋は ふんだんに木材を使い、
 その装飾にも凝ったものが多い。
 それは バンコクのバーン・クルアに移住し、運河での商業の担い手として 
 富を築きあげた結果なのだろう。
 
 2百年前は このバーン・クルアの地も バンコク特有の沼地であったに違いない。
 旧王宮から5キロも離れていないが 当時は人気ない場所で、土地を開拓して農地に
 変えていったに違いない。
 交通といえば、センセーブ運河の水路だけ、運河沿いに建てられた点在する木造の家屋、
 その後ろには 田畑が広がり、農作業に従事する。
 それが時代と共に 家族・親族が増え、イスラム教徒の新たな住民たちが カンボジア、
 南タイからもイスラム教徒がやってくる。
 森の村と呼ばれていたこの地も いつのまにか 密集した集落に変わってゆく。

 ベトナム南部に7世紀に建国されたチャンパ王国の末裔たちの放浪・流浪の歴史、
 バーン・クルアに住むイスラム教徒は 皆 兄弟であるという思想、それが今でも
 集落の人々の心には生き続けている。
 こんなところが 同じ密集した集落でも 人の寄せ集めのスラムとは違うところで
 ある。
 土地が歴史を持つということは 人々が共通の生活文化を持ち、それを維持し続ける
 ことから生まれてくるものだ。
 それが この集落に安定と落ち着きを与えている。
 実に興味深い集落である。



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