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 中華街の表通りは 商いの場所であるが、裏通りは中華街に住む人たちの生活の
 場所である。
 たくさんの人々の行き交う表通りに比べれば、どこかひっそりした静けさがある。
 表通りの喧騒から逃れて、路地の御茶屋に座り込んで、夕暮れ時をのんびりと過ごす
 年寄りたちの姿をよく見かける。
 商いの一線から退き、息子たちに商いを任せ、老後の時間を仲間たちと過ごす至福の
 時間といってよい。
 中華街に生まれ、中華街に育ち、中華街で結婚し、商いに精を出しながら、子供を
 育て、老後はのんびりと隠居の身になって過ごす。
 これが中華街の年寄りたちの理想の生き方なのだろう。

 裏通りにある年寄りたちの集まる御茶屋には 年老いた中華街の男たちの姿はあっても
 女たちの姿はない。
 息子たちやその嫁たちが商いに精を出している間、家のこと、孫の世話でも
 しているのだろうか。
 何だかんだと言っても 中国人社会は男社会である。
 アユタヤ王朝の時代から 7,8百年に渡って 中国から出稼ぎ、移住を繰り返し、
 このバンコクの地を中心に 経済的な勢力を広げてきた人々だ。
 現王朝のチャックリ王朝が バンコクのラッタナコウシン島に王宮を構えるまでは
 中国人たちはこの島に住み、貿易に従事していたのである
 その頃までのバンコクの住民の大半は中国人たちであったといっても嘘ではない。
 中華街が 本格的に出来上がっていくのは チャックリ王朝以降のことである。

 旧王宮のあるラッタナコウシン島と中華街を隔てているのは ポッド運河、
 中華街の広がりと共に オンアン運河が出来上がり、中華街の外枠を形成する
 パドン・クルン・カセム運河が造られていった。
 三つの運河に護られ、そして三つの運河を交通手段として発展してきたのが
 中華街である。

 この2百年以上に渡るタイの経済の歴史は この中華街の変遷の歴史でもある。
 本土中国から 夢を求めてタイのこの中華街を目指してやって来た中国人たちの
 成功の証が この中華街にある。
 それを支え続けてきたのが 中華街の裏通りの御茶屋で 茶を啜っている老人たちで
 ある。
 男たちは汗水たらして 外で働き、女たちは家庭を護る。
 血族を大切にし、先祖を敬うという生活文化は 今でも生き続けているのである。

 古い時代から中国本土から出稼ぎ、移住を繰り返す中で、再び本土へと帰って行った。
 中国人もいれば、肉体労働の苦しさからタイの地で命果てた無数の中国人たちも
 いることだろう。
 中華街は 出稼ぎの肉体労働の苦しさから解放されるための麻薬の巣窟でもあった。
 冷気茶室と呼ばれた売春宿は その前進はアヘン窟だった。
 アヘンが禁止され、残ったアヘン窟が冷気茶室という売春宿に変わっただけである。
 その売春宿 冷気茶室も 今は姿を消してしまった。

 何代にも渡り、この中華街に住み続けることが出来たというのは 成功の証でもある。
 中華街の密集した裏通りにある住居から出て、御茶屋で 憂さを晴らすというのは
 ここに住む老人たちの楽しみの一つだ。
 昔からの仲間との思い出話も弾む。
 無鉄砲な青春時代を もう一度 仲間と共に思い出す機会を この御茶屋の一角で得る。
 生まれ育った場所で 老後を家族や仲間たちと共に過ごすことが出来る、
 それは人生の、人間の幸福の一つと言えるだろう。



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 突然のスコールは 激しくなるばかりだ。
 大急ぎで 雨宿りの出来る場所を探す。
 十分に奥行きのある軒下でなければ、雨が吹き込んでくる。
 やっとのことで見つけた軒下は 銀行の前だった。
 そこでは 中華街ならどこでも見られる天津甘栗を焼いている露店があった。
 愛想の悪そうなおやじさんと使用人の若者の二人で仕事をしている。
 甘栗を焼くのは若者の仕事、焼き上がった甘栗を袋に詰めるのは親父さんの仕事だ。
 雨宿りの中、別にすることもないので 二人の仕事ぶりを眺める。

 雨は激しくなる一方である。
 傘など差していても役に立たないくらいだ。
 といっても 私などは傘を持って出かける習慣などないから、雨に遇えば、
 いつも 軒下で雨宿りするだけだ。
 亜熱帯のスコールであれば、1時間もしないうちに雨は上がる。
 30分ばかり雨宿りをしていると 雨もどうにか小降りになり、小雨を避けながら、
 歩き始めることにした。
 突然のスコールで 逃げ出していた屋台も少しずつ、商いの準備を始めている。
 まだ宵の口である。商いの時間はまだ十分に残っている。

 MBKセンターに向かう73番のバスの停車するバス停へと向かう。
 ヤワラートの通りは一方通行だから、ヤワラートにやって来るときは 73番のバスは 
 このヤワラートに停車するが、MBKセンターに向かうバスは 1本向こう側の通り
 チャロンクルン通りに停車する。
 ヤワラートの通りからチャロンクルン通りを結ぶ路地に入ると、懐かしいスキー
 (中国風寄せ鍋)の店、テキサスがある。
 昔は この店によく来たものだ。
 いつ来ても 人が一杯で この店の味の良さを証明していた。
 中華街が 外国人観光客用に装いを変えていく中で このテキサスも随分小奇麗な店に
 変わっている。
 昔、この店でスキー(寄せ鍋)を食べるときには シユーカーオ(中国風の薄い色の
 醤油)とライムを用意して、日本風のたれにして食べたものだ。
 このスキーを美味しく食べるコツは フア・プラー(魚の頭部分)を しっかり
 2,3皿注文して このフア・プラーでだしをとることである。
 バンコクには スキーの店が数多くあるけれど、この店で食べたスキーが
 1番美味しかったように思っている。

 テキサスの前を通り過ぎ、少し歩くとチャロンクルン通りに出る。
 チャロンクルン通りの向こう側に73番の停まるバス停がある。
 道を渡り終え、バス停に行く前に 腹が空いていることに気がついた。
 バス停の近くをうろうろと歩き回っていると、食べ物屋が集まっている場所の
 通路の真ん中で よく太った親父さんが 椅子に座り込んで 客の呼び込みをしている。
 どんな食べ物の店の呼び込みかと 親父さんの指差す方を見ると、その店は 
 カーオ・カー・ムー(豚足の煮込みのぶっ掛けご飯)の店だった。
 親父さんの容貌とカーオ・カー・ムーとの組み合わせが あまりにぴったりとしていて
 笑ってしまった。
 折角だと思い、この店でカーオ・カー・ムーを食べることにした。
 味も量もそれなりにあり、スープと氷水までついて30バーツ、何でも値段が
 高めの中華街の中にあっては 安いと言って良いくらいである。

 夕食代わりのカーオ・カー・ムーを食べ、満ち足りた気持ちでバス停に向かい、
 73番の冷房付のバスに乗り、家路へと向かった。



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