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ネパールの出稼ぎの草分け的存在は ラナ家専制時代に始まったイギリス軍への
グルカ傭兵である。
このグルカ傭兵によって ラナ家専制政治は 経済的に確立されたといってもよい。
しかし、グルカ傭兵によって 数多くのグルカ兵の血が流されたことも確かである。
今はグルカ傭兵の数も減り、中東、マレーシアへの出稼ぎが圧倒的になった。
特にここ数年の出稼ぎの増加には眼を見張るものがある。
グルカ傭兵といえば 山岳民族のライ・リンブー族、グルン族、マガール族が
主体であったが、出稼ぎはネパールのすべての民族に渡っている。
バウン族、チェットリ族、タマン族、タライ地方のインド系住民なども加わり、
全国民的な姿になっている。
出稼ぎの数が増えるに従って、賃金も下がり、カトマンズ生まれのネパール人に
とっては さほど魅力的なものではなく、大半は 自給自足に苦しむ山岳地方の
ネパール人が大半である。
その数は年々増え続け、空港にやってくるものの大半は出稼ぎのネパール人に
よって占められるようになっている。
賃金は 仕事の内容によるが、1万5千ルピーから2万ルピーが相場であり、
危険な仕事であれば、賃金が上がるが、命を落とす危険もあり、そうした出稼ぎの
ネパール人の事故死も多く伝えられている。
大半の出稼ぎ者が土地を担保に借金をして 渡航費用を捻出しており、もし 事故で
命を失うことにでもなれば、当人だけでなく、残された家族にも悲劇がやってくる。
カトマンズからバンコクへ向かう際、やはり空港は出稼ぎのもので
ごった返していた。
ほとんどが山岳地方の住民で 飛行機に乗るのも初めてといった様子だった。
年齢層は 20歳前後から30歳ぐらいまでの若者がほとんどである。
3,4年働かないと それなりのお金は貯まらない。
頑張れば、2,30万ルピー程度は稼ぎ出すことも出来るだろうが、
10万ルピーは渡航の費用で消えてしまう。
カトマンズに タライ地方やインド国境周辺からやって来て 野菜や果物を自転車の
荷台に載せて 行商している人たちがいるが、彼らが頑張れば、月1万から
1万5千ルピーを稼ぐ。
そしてうまくいけば、カトマンズで果物屋を開くところまで行く。
カトマンズで商売が出来れば、出稼ぎより 豊かな生活が出来るが誰でもできると
いうわけにはいかない。
大半の山岳地方の住民は 肉体労働で稼ぐより仕方がない。
カトマンズで肉体労働をしても月6,7千ルピーが精一杯で、出稼ぎにいけば
その倍稼げることは 魅力的に感じられるのだろう。
暑い中東諸国で たこ部屋のような場所に住み、ひたすら働き続ける。
そして仕送りに精を出す。
無事に3,4年の年季が終われば、再び、次の出稼ぎを求めてネパールを出て行く
ことになるのだろう。
昔は 出稼ぎの花は日本だった。
1年目は渡航の費用、2年目の稼ぎで カトマンズ郊外に土地を買う、
3年目、4年目で3,4階建ての家を建て、5年目でタクシー用の自動車を1台と
いうのが一つのパターンで カトマンズに帰って楽隠居できる。
こんなことは夢の中の夢になってしまった。
いてもほんの僅かな人々が享受しているに過ぎない。
夢を求めて出稼ぎというより、山で食うことが出来ないから出稼ぎに行かざるを
得ない、そんな状況である。
貧しさからの脱出を求めての出稼ぎであるが、一体何人の若者が貧しさから
脱出できるのだろうか。
お金のある家の若者たちは アメリカ、オーストラリア、イギリスへと留学し、
その後 安定した職を現地で得ることが出来、将来を考えての投資になっている。
貧富の差がその後の未来をも決定してしまう。
貧しい山岳地方の出稼ぎの若者たちを見ても 心の中で頑張れよと
声をかけるだけである。
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