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自分でも一体何をしているのだろうという気持ちが湧いてくる。
日本から約5千キロ離れたバンコク、そして来週には7千キロ離れた
カトマンズへと向かう。
どの位 あと自分の命が残っているのかは分からない。
1月に帰国した時より 症状が好転していることに期待しているだけだ。
自分の未来を 短い時間単位で考えるようになると 世界に対する見方が
変わってくることに気がつく。
癌にかかる前は 漠然としてしか自分の未来を見ることはなく、世の中の動きに
自分も同調して動いているという気持ちで生活していた。
そういう気持ちがなくなると 世の中の出来事に対する関心が薄れてくる。
積極的に世の中で起こっていることを観察しようという気力がなくなってくる。
今 自分が眺めている世界を他人と共有しようをいう力が枯渇して来るようだ。
しかし、何か記録を残さなくてはという気持ちも反対にある。
今 自分の中で何が起こっているのか、何を感じているのか、伝えることは意味の
あることではと思うが どうだろう。
誰しもいつかは死ぬのである。
そして 世界との関わりはなくなってしまう。
人の思い出の中に生きているといっても それもいつかは失われて行くものだ。
このブログだって 書き手を失ってしまえば、いつかは消えてなくなってしまうだろう。
自分の書き残したものが 少しでも価値があるなら、少しは人の心に残っていくかも
しれないが、それもわずかの間に過ぎない。
今日もいつものように アパートの前の通りを移動する。
いつもの日本人が通りを歩いていると気がつく人もいる。
ラーメン屋のおばさん、東北タイ料理の屋台のお姉さんが声をかけてくる。
顔なじみの果物売りの行商のおじさんから果物を買う。
日常はちっとも変わっていないのに 変わってしまったのは私の日常である。
私の現実と彼らの現実が 遠く離れた出来事のように感じてしまう。
いつかは私も彼らの現実から消えていく存在である。
他人と違うのは 本当は短い長いという差に過ぎないのかもしれない。
皆 未来は事切れることなく続いていくものだという幻想の中にいるのも確かである。
私にとっては その幻想を信じることが出来なくなってしまったというだけである。
ネパールやタイのこと、もっともっと伝えていきたいことはあったが、
これも運命のなせる技である。
今尚、自分が生きている現実、その現実の中で知り得たことを伝えることだけは
出来るかもしれない。
ネパールのカトマンズ、今も私にとっては魅力的な場所であるが、来週5日間の滞在を
終えれば、カトマンズのことも私にとっては 思い出の場所になってしまう。
現実的な関わりが 失われてしまうからだ。
26年間 よく付き合って来たものである。
人生において 確実なものは 何もないのだ。
明日 何が起こるかは 誰も知ることは出来ないというのが 真実である。
私にとって 残されている未来が過酷なものになるであろうことが
見え始めてきている。
もう自分にできることは わずかしかない。
世の中の善意に期待するより、方法は残っていないようだ。
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