バンコク 運河の辺の街

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 イスラム教の断食の月  ラマダンが 今日で終わった。
 断食は昨日の日没と共に終わっていたようだが、今日は ラマダンが終わったことを
 祝う日のようだ。

 ― 毎年あるラマダンの断食はイスラム教では、「信仰告白」「(日々の)礼拝」
  「(貧しい人々へ)喜捨」「(生涯で一度の)メッカ巡礼」と並んで「五行」と呼ばれる
  信者の義務の一つである。
  ラマダンはイスラムでは「聖なる月」である。この月の22日夜にムハンマドが
  最初に神の啓示を受けた日とされる。
  イスラム教の聖典「コーラン」には「コーランが下されたのは、ラマダンの月である。
  この月に在宅するものは、断食しなければならない。
  病気の者または旅行中の者は、別の数日間に行うべきである。 ―

 この約1ヶ月に渡るラマダンの間も 何度か イスラム教徒 チャム族の集落 
 バーン・クルアへ行ったが、外から見ている分には ラマダンであることは 
 よく わからなかった。
 集落に住むイスラム教徒のチャム族の人たちに言われて、気がつくくらいだ。
 食べ物は 普通に売られているし、人々の生活にもあまり変化はない。
 断食といっても 毎日、日没とともにモスクからコーランを朗唱するアザーンが
 始まると同時に、みな一斉にイフタール(断食明けの食事)をとり、日が昇ると
 断食が日没まで行われることの繰り返しで 家庭の中まで入り込んで 食事の様子を
 見ない限り、断食の様子を眼にすることはない。
 又、子のイスラム教徒 チャム族の集落 バーン・クルアには 仏教徒である多くの
 東北タイ イサンからの出稼ぎの人々が 間借りをして生活している。
 彼らは イスラム教徒ではないから 断食をする必要がない。
 昼間でも 集落の中で 食べ物屋の屋台を開いているし、その屋台で食事をしている。
 顔つきだけで イスラム教徒であるか、仏教徒であるか判断するのは 不可能である。

 今日 朝7時にラマダンが終わったことを祝う祈りの集会がモスクであると
 集落の人が言っていたが、いくらなんでも朝の7時は早過ぎる。
 朝8時を過ぎて、集落 バーン・クルアのモスクに行って見ると まだ祈りの
 最中だった。
 このバーン・クルアの中には 三つのモスクがある。
 バーン・クルアの集落は 三つの地域に分かれており、地域ごとに一つずつ モスクが
 ある。
 北バーン・クルア、西バーン・クルア、南バーン・クルアに分かれているが、
 南バーン・クルアにあったモスクは 西バーン・クルアの近くに移されたようだ。
 私は 二つのモスクの場所は 知っていたが 南バーン・クルアから移したモスクの
 場所は 今日 初めて知った。

 どのモスクにもそれぞれの地域のイスラム教信者が集まり、ラマダン明けの祈りを
 捧げていた。
 祈りの場所は モスクの中では 男女別々の場所だった。
 大人も子供も それぞれイスラム教徒の正装に身を包み、敬虔な姿で 祈りを捧げて
 いた。
 この祈りの時間が終わると、少ししてから 信者が集まっての会食がある。
 どのモスクも午前10時からと決まっているようだ。

 私がいつも通りかかる北バーン・クルアのモスクは 顔馴染みの人もいるので 
 中を覘いてみると 大勢の人々が集まって、会食のために座り込んでいた。
 共に食事を取ることで 地域の信者同士のつながりを深める意味もあるのだろう。
 料理を作るのは 女の仕事のようだが、料理を配膳するのは男の仕事である。
 ご飯、肉カレー、果物、甘いお菓子などが 丸いお盆の上に並べられ、それを何人かで
 分け合って食べている。

 私にも食べていけというお誘いがかかったが、ラマダンの断食をしていない私が
 参加するのは 彼らの宗教を冒涜するような気がして 遠慮をした。
 ここに集まっている人たちは 1ヶ月の断食の苦行を祝って 集まっているのだから。

 このようなラマダン明けの行事を見ていても 地域のイスラム教徒同士の連帯の強さを
 感じる。
 このバーン・クルアの集落の人々にとっては 血がつながっていなくても 
 皆 兄弟姉妹であるという意識がある。
 イスラム教をいう信仰の中には 血縁を超えた信者同士の深いつながりを感じさせる
 ものがある。
 その協力体制が 今尚 信者を増やし続ける力になっているのだろう。



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 バーン・クルアの集落に行くと いつも 猫の習性というものに対する先入観を
 変えなくてはならない。
 猫というのは 警戒心の強い動物で 見知らぬ人間に対しては なかなか慣れない
 動物だと思っていたが、バーン・クルアの猫は どうも特別のようだ。
 私の住んでいるマンションの前の通りにも 野良猫たちが居ついているが、
 この猫たちは警戒心が強く、近づいて行くと すぐさま逃げ出してしまう。

 ところがバーン・クルアの猫たちは 近づいていっても逃げようとはしないし、
 簡単に身体を触らせ、撫でてやると警戒心もなく、気持ちよさげにしている。
 集落の中にいる猫の大半がそうである。

 イスラム教徒が住んでいることで 犬を飼わないことも影響しているのだろうが、
 住んでいる人たちの安定した心や静かな物腰にも関係しているのだろう。
 この集落には よくやってくるのだが、住んでいる人たちも 大声を上げて、
 喧嘩をしている姿など見たことはない。
 集落の中が安定しており、人々の心も平穏さが保たれているということも 
 猫の習性に良い影響を与えているのではなかろうか。
 まるで犬のように人懐こい猫たちだ。
 だから、このバーン・クルアの集落にやって来ると 猫を撫でたり、
 声をかけてやるのが楽しみになっている。
 犬がいないから、私も 集落の中を 猫同様に安心して歩き回ることも出来る。

 それは人間も同じで、昔からの古い集落であるにもかかわらず、あまり閉鎖的な
 雰囲気はない。
 イスラム教徒でも 東南アジアのイスラム教徒は 人当たりが柔らかい。
 それに 内なるイスラムの信仰の強さはあるのだろうが 
 見た目には 強い自己主張を見せることはない。
 彼らの静かな性格に影響されてか、この集落の中に間借りをしている騒ぎ好きの
 東北タイの人たちも イスラム教のチャム族の静かな穏やかさに合わせて生活して
 いるようだ。

 そんな大人たちの中で生活している子供たちも 行儀がよく、荒れた行動を見せる
 こともない。
 素直に大人の言葉を受け入れる習慣が 自然に育っている。
 地域・共同体が 平穏さの中にある、生活している大人たちの心が安定していることは
 子供たちの育ちに大きな影響を与えるはずである。
 タイ人たちの住む近く集落には コンピューターゲームの店もあるが、
 この集落の中では 見かけることはない。
 子供の欲求にすべて応じるわけでなさそうだ。

 集落の中にあるモスクの指導の影響もあるのだろうか。
 生活の規範は モスクを中心とした教えの中から生まれてくるのかもしれない。
 イスラム教という教えが 精神的な生活や、集落の規範の支えにもなっているのだろう。

 明日は ラマダン(断食の月)が明け、それを祝う日になる。
 いつも見かけるチャム族の老夫婦の家の中では 多量の牛肉を切り刻み、明日の
 お祝いの日のための準備をしていた。
 大勢の親戚が集い、ラマダン明けを祝うという話だった。



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 イスラム教徒 チャム族の集落 バーン・クルアの裏側には 彼らの墓地がある。
 その墓地の入り口近くには 1本の火焔樹の大木が 聳えている。
 その大木の大きさからすると 百年以上あるいは2百年近くはこの地で根を下ろし
 続けてきた火焔樹の大木に違いない。

 ここがチャム族の墓地であることを知らなければ、ここが墓地であることには
 誰も気がつかないだろう。
 墓もなければ、その墓標になるものは一切ないので、見た目にはただの広場にしか
 見えない。

 バンコクの中には 多くのイスラム教徒集落がある。
 南タイのパッタニーからやって来たイスラム教徒の人々の住む集落、アユタヤ王朝
 時代に ペルシャからやって来たイスラム教徒の集落、南インドのマドラスから
 やって来たイスラム教徒の集落などが バンコクの中に点在している。
 集落のそばには 必ず彼らの墓地がある。
 彼らは 火葬しないから 墓地が必要なのである。
 この点は キリスト教徒も同じである。

 チャム族以外のイスラム教徒の墓地であれば、何らかの形の墓標がある。
 その形は違っていても 墓地の中には 死者の身元を示すものがある。
 身分の高いものにはそれに合わせた、身分の低いものにはそれなりの墓標がある。
 しかし、チャム族の墓地の上には 何も死者の名残を示すものはない。
 これは不思議なことである。
 それは ベトナムに住んでいた古い時代の土着宗教の名残だろうか。
 チャム族のイスラム教は アラーの神を信じると共に 祖先の霊も重要な信仰の
 対象である。
 疎遠崇拝信仰とイスラム教の交じり合ったもので、イスラム教以前には 
 ヒンズー教や仏教を信仰した時代もある。

 チャム族の持つ辺りの柔らかい東南アジア的な特徴は そんなところから来ているの
 かもしれない。
 死んでしまったものに上下の差はつけない。
 人は 皆 平等であるという思想の表われなのだろうか。
 上下関係の厳しい社会では 人と人の関係は 権威的で威圧的であるが、
 チャム族の集落で出会う人々を見ていてもそんな様子は見られない。
 挨拶すれば、すぐに笑顔で答えてくれる。

 それは ベトナム、カンボジア、タイと流浪を繰り返してきたチャム族の生活の
 知恵なのかもしれない。
 バーン・クルアの集落の中に 多くのイスラム教徒を受け入れ、今では東北タイから
 やって来た出稼ぎの仏教徒たちも 自然にイスラム教徒のチャム族の集落に溶け込んでいる。
 こうしたチャム族の持つ受容性を見ていると 私の持っているイスラム教徒の
 イメージが崩れてしまう。
 イスラム原理主義者から見れば、受け入れられないチャム族のイスラム教であるが、
 こんな柔軟なイスラム教もあっていいのではと思えてくる。

 チャム族の結婚の形も 入り婿制である。
 そのために 女の地位も高い。
 だから、集落の共同作業には 女たちも積極的に参加するし、商いにも精を出す。
 この男女間に差別がないことも 影響しているのかもしれないように思う。
 死んでしまえば 先祖の仲間入りをすることが重要なことで 墓などどうでも
 いいのかもしれない。

 2百年近くに渡って、コノバーン・クルアの地に生まれ、生活し、年を取り、
 死を迎え、先祖の仲間入りをする。
 その先祖の生まれ変わりのような火焔樹の大木が 墓地にあり、彼らの歴史を
 眺めている。
 ごく当たり前のことが 無理なく行われ、自然に生活の営みが続けられている。
 それが バーン・クルアの集落の姿であり、それが 彼らの墓地の形に表われて
 いるのだろう。

 ベトナムのチャム族からカンボジアのチャム族、そしてタイのチャム族とその流れを
 追いかけていくと 面白い興味深いことが山ほどありそうだ。
 彼らの顔の変容を見るだけでも 楽しそうである。



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 9月も10日を過ぎる頃になると 夕暮れ時になると 気温も下がり、外へ
 散歩に出たくなる。
 近頃は 雨もよく降り、それがバンコクの暑い季節を和らげてくれているようだ。
 日本の気候のように 秋の訪れを感じることはないが、気温の変化が 人の身体に
 季節の変化を感じさせてくれる。
 やはり、1年中で 1番 降雨量の多い9月である。
 この頃では 1日に1度は雨が降る。

 部屋にいつも置いてある果物が切れてしまったので、センセーブ運河の向こう側に
 ある下町の市場のある通りに 買出しに出かけた。
 チェンマイ産の柿を求めて 探していたが、この前まで路上の至るところで売られて
 いた柿の姿はない。

 市場の裏側にある路地を通って 市場の表通りへと出ることにした。
 夕暮れ時の薄闇から 夜の闇に変わり始めた路地裏の縦割り長屋では、そろそろ
 夕食の時間を迎え、皆 家の中に引きこもり 夕餉の用意に向かっている。
 老夫婦が長椅子に寝転がり、休息のときを迎えている。
 静かな 静かなひとときである。

 表通りからやって来ると この路地裏の世界だけは 昔と変わらぬままの時間が 
 夕暮れ時になるとやってくるらしい。
 路地を抜け、市場に入り込んでみると ここも同じように 心に染み入るような
 時間の流れがあり、物を商う形は 数十年前と少しも変わっていない。
 肉屋、八百屋、総菜屋、雑貨屋 その古めかしい商いの形は 人間と人間、
 売り手と買い手の直接の交流の世界が残っている。
 夜の闇の中に 裸電球の光で浮かび上がって来る世界は 昼間の世界とは別のものだ。
 衣食住を大切にして 生活し、生き抜いている人々の素顔が そこにはある。
 心の健康が その顔には 当たり前に浮かび出ている。
 素顔のままで生きることが出来る世界、それがバンコクの下町の姿だ。

 ここにやって来ると 私もほっとする。
 見栄を張って、無理することのない世界がここにあるからだ。
 貧しいその日暮の庶民に寄り添った暖かい世界が ここには生き続けている。
 たとえ 収入が少なくても この市場通りにやってくれば、どうにか生活出来るものだ。
 一袋半額になった惣菜、夜になると安くなる果物や野菜などの生鮮食品、工夫すれば、
 少ない収入でもどうにかなる。
 ここには 贅沢という言葉はない。
 生きるために必要なものを 出来るだけ安く買い求める場所である。
 昔の日本もそうだったのだ。
 貧しいものを支える場所が 至るところにあったのだ。
 そんな優しさのある世界だったはずなのである。
 このセンセーブ運河の近くの市場通りのように。 

 私も一袋半額の10バーツの惣菜を2種類、そして 小さなよく熟れた西瓜の半分を
 提げて、家路に向かうことにしよう。


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 イスラム教徒 チャム族の集落 バーン・クルアを歩いていると 密集した集落の
 所々に 古い木造の家屋が点在しているのが わかる。
 建ててから 百年以上経ているものもある。

 家々の密集したこの集落の中の古い木造の家屋だけを残して、この集落を
 思い浮かべてみると 百年前のこの集落の姿が浮かび上がってくるような気がする。

 今のベトナム南部に チャム族の王国 チャンパ王国が出現したのは 7世紀頃らしい。
 その当時は イスラム教を信仰しておらず、インド文化の影響を受けて、ヒンズー教や
 仏教を信仰していたと云われている。
 そのチャンパ王国のチャム族がイスラム教徒に改宗し始めたのは 11世紀以降の
 ことで 17世紀以降のチャンパ王は イスラム教徒であったことが知られている。
 15世紀から18世紀にかけて べト族(ベトナム)の侵攻により、チャム族の一部が
 カンボジアに脱出し、タイに住むイスラム教徒 チャム族は カンボジアから更に
 移住した人々である。

 アユタヤ王朝時代にも 多くのチャム族が住み着き、1767年のミャンマーによる
 アユタヤ攻撃の際にも アユタヤ軍の一部として戦った。
 アユタヤ陥落後は バンコクのトンブリに移住したが、一部のチャム族は アユタヤに
 祖先の霊がいるという理由で アユタヤに帰って行った。

 バーン・クルアのチャム族は チャックリ王朝のラーマ1世が 18世紀末に
 カンボジアを攻撃した際 捕虜として、あるいはカンボジアの政情不安による
 難民として移住してきた人々である。
 彼らも アユタヤに移住したチャム族と同じように、タイの王家に忠誠を尽くすことを
 約束したことから、バンコク郊外、現在の地 バーン・クルアに住むことを許された。
 又、ラーマ3世の時代にも シャム王国がカンボジアとベトナムを攻撃した際に
 連行されたチャム族も このバーン・クルアに住むことになった。

 今では想像もできないが 2百年近く前のバーン・クルアのチャム族は 主に農業に
 従事したが、その中でも漁民や船大工の伝統を守るものもいて、造船技術を活かし、
 シャム王国の水軍の傭兵として働き、バーン・クルアの前のセンセーブ運河の商業的、
 軍事的な役割を果たすことになった。
 ジム・トムプソンで有名になったタイの絹織物も チャム族の絹織物の技術が基礎に
 なっている。

 バーン・クルアの集落の中に残る古い木造家屋は ふんだんに木材を使い、
 その装飾にも凝ったものが多い。
 それは バンコクのバーン・クルアに移住し、運河での商業の担い手として 
 富を築きあげた結果なのだろう。
 
 2百年前は このバーン・クルアの地も バンコク特有の沼地であったに違いない。
 旧王宮から5キロも離れていないが 当時は人気ない場所で、土地を開拓して農地に
 変えていったに違いない。
 交通といえば、センセーブ運河の水路だけ、運河沿いに建てられた点在する木造の家屋、
 その後ろには 田畑が広がり、農作業に従事する。
 それが時代と共に 家族・親族が増え、イスラム教徒の新たな住民たちが カンボジア、
 南タイからもイスラム教徒がやってくる。
 森の村と呼ばれていたこの地も いつのまにか 密集した集落に変わってゆく。

 ベトナム南部に7世紀に建国されたチャンパ王国の末裔たちの放浪・流浪の歴史、
 バーン・クルアに住むイスラム教徒は 皆 兄弟であるという思想、それが今でも
 集落の人々の心には生き続けている。
 こんなところが 同じ密集した集落でも 人の寄せ集めのスラムとは違うところで
 ある。
 土地が歴史を持つということは 人々が共通の生活文化を持ち、それを維持し続ける
 ことから生まれてくるものだ。
 それが この集落に安定と落ち着きを与えている。
 実に興味深い集落である。



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