バンコク 運河の辺の街

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 チャム族の住むバーン・クルアの集落の中を歩いていると ここに住む人々相手に
 商売をする行商人によく出会う。
 ゴザを売る人、野菜、肉を売る人、安い服を売る人、昔ながらのお菓子を売る人と
 いろいろである。

 今日も 一人のインド人が バーン・クルアに住む女性に 木綿の半パンツを
 売ろうと 商いに精を出していた。
 タイにやって来て それほど日が経ってないらしく、タイ語はほとんど話せない
 インド人だった。
 年齢もそれほど行っておらず、まだ30歳にもなっていないようなインド人だった。
 私から見れば、年老いた老人女性が履くには 派手なパンツを 一人の老女が
 XLのサイズでは小さい、XXLはないのか、もしXXLがあれば、買うから持ってきて
 ほしいと身振り、手真似で説明している。

 インドによく行っていたためか、インド人の姿を見かけると
 つい話しかけたくなってしまう。
 ヒンディ語を使って、その行商のインド人に話しかけると、集落の人々は驚いている。
 このインド人、インドのウッタル・プラデシュのゴラクプールの町から
 やってきたらしい。
 インドからやって来て、バンコクでこんな小さな商いをしていて、
 生活は成り立つのだろうかと心配になる。
 タイのビザはどうしているのだろう。

 第2次世界大戦前は イギリスとの通商条約によって イギリスの植民地の住民も 
 容易にタイに移住できた。
 その頃に住み着いたインド人の親戚の伝手を利用してやってきたのだろうか。
 バングラディッシュ、インド、ミャンマーの人々の姿をバンコクでは よく見かける。
 よく眼にするのは 彼のような小さな商いをしている人たちだ。
 夕方近くに 酒を飲ませる屋台にやってきては 豆類を売っていたり、ティッシュを
 売っていたりするといった商いであるが、生活するだけの収入を得ることが出来るとは
 到底思えない。

 しかし、どこにいてもインド人はたくましい。
 どうも東アジアや東南アジアの人間に比べると はるか生き抜く力が強いように
 思われる。
 インド人に対抗できるのは 東アジアの中国人ぐらいのものである。
 アジアでは中国人の勢力が強いが、アフリカとなると、インド人の勢力が勝っている。

 話は 木綿の半パンツを売るインド人の話に戻るが、14,5枚のパンツを袋に入れ、
 商いをする若いインド人、プラトゥナームやボーベーの衣料の卸売り市場で 
 安く仕入れ、パンツ1枚売れば、20バーツから50バーツの儲けがあるのだろう。
 昔であれば、小さな路上の商いから始めて、だんだん大きな商いにしていく
 というのが 夢なのだろうが、もうそういう時代ではなくなっている。
 いろんな民族、他国人の入り乱れるバンコク、それぞれが生き抜くために 知恵と
 身体を使っている。

 若いインド人の商いの場所から 再び前に向かって歩き始めると、向こうから 
 カンボジア国境のスーリンからやってきたような色の黒い行商人がやってきた。
 顔つきを見ると カンボジア人のようである。
 彼も頑張っている。



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 何度もチャム族の集落 バーン・クルアに通っていながら、いつも何かしら
 小さな発見がある。
 バーン・クルアの運河沿いの道には 住民たちの植えた草花であふれている。
 運河の水は すっかり汚れてしまっているけれど、それでも暑いバンコクの気候の
 中では、運河沿いの道は それなりに涼しく、人々は屯している。

 その道筋に 木で囲った家が目に付いた。
 涼しげで テーブルでも置けば、食堂にでもなるが、そうでもないらしい。
 何度か、この家の前を行きかううちに そこが 自宅でクッキーやパン、ケーキを
 作っている場所であることがわかった。
 ちょっと太り目のタイ人女性が お菓子やパンを作っていることがわかった。
 控えめでありながら、とても人当たりのよい女性だったので、家の前に並べられている
 数少ない種類のお菓子をいくつか買うことにした。
 朝食は 面倒なので ネパール産の紅茶とクッキーや菓子パンで済ませることに
 しているからだ。

 買って、家に帰って食べてみると 意外と美味しいのである。
 クッキーなどは ナッツ、バター、シナモンがしっかり使われていて、
 5個入り10バーツは高くない。
 作り手の控えめで誠実な性格が お菓子にも反映されているようで 
 安心して食べることが出来る。
 どこかの店の注文で作っているらしく、残りを店の前で売っているようである。
 日によって 売られているものが違っている。

 少し話をしてみると、イスラム教徒のチャム族の女性だった。
 タイのイスラム教徒との通婚を繰り返すうちに チャム族の血も薄くなっていると
 言うが、入り婿制度の残るチャム族の結婚の形は、チャム族の生活習慣を残していく
 ようだ。
 アジアのイスラム教徒独特の柔らかさがあるし、女性の地位も高いようだ。
 外から見ている分には イスラム教徒であることはわからない。

 ベトナムにあったチャンパ王国の崩壊の後、カンボジアへ、そしてシャム王国の
 アユタヤ、そして このバンコクへという流浪の歴史を持つチャム族であるが、
 豊かな文化を内包する民族でもある。
 彼らの作る料理は きわめて東南アジア的であり、インドの香辛料の味付けは
 ほとんどない。
 違いといえば、豚肉を用いないというだけである。
 1500年前には ヒンズー教徒として出発したチャム族も 今はイスラム教徒である。
 古い昔に 東南アジアを訪れたインド人は ヒンズー教徒だったのだ。
 その後、ペルシャやインドから商いのためにイスラム教徒が多く訪れるようになるに
 従がって、イスラム教徒へと改宗していったのである。

 食生活だけを見るなら、完全な東南アジア人である。
 そんなチャム族の女性の作るお菓子も抵抗なく美味しく食べることが出来る。


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 バーン・クルアの集落の中の人間模様を眺めていると、戦後60年の間に日本人が
 失ったものは何かと考えさせられる。
 人間が共生するとはどういうことなのか、その形や姿が見えてくる。

 日本の昔の下町の路地裏の世界も 密集したこの集落も よく似ていたはずである。
 迷路のような狭い路地、開け放った扉の向こうには 人々の生活が見える。
 プライベートというものが 限られており、隠し事のない社会を感じさせてくれる。
 隠す気もないし、隠すことも出来ないような集落の形だ。

 大半の人は 顔見知りであるし、近所同士での会話も多い。
 集落の奥に住んでいる人たちは 運河沿いの道に出てきて、座り込み、涼み、
 集落の仲間たちとの会話を楽しむ。

 子供たちの顔を見れば、親のこともすぐにわかるくらいにつながりも強い。

 幼少期を過ごした田舎でもそうだった。
 大体、1キロ四方に誰が住んでおり、職業は何で、子供は何人いるということなど、
 親たちは みんな知っていた。
 だから、知っている大人のいるところで 悪いことなど出来なかった。
 法律によって、人間の行動を規制するというより、地域の持つ人間関係で、人間の
 行動を規制するという面が大きかった。
 多少の悪さは 大目に見るという寛大さもあったような気がする。
 この頃のように 何かあれば、すぐに警察に連絡するというようなこともなかった。
 地域で解決できることは 地域で解決するというのが 当たり前だったような気もする。

 このバーン・クルアもそうなのだろう。
 大人たちは 子供たちの小さな頃から、眼をかけ、度を過ぎた行動をすれば、
 集落のみんなで気をつけるという姿勢が まだ充分に残っているようだ。

 集落の路地の中を歩いていると、細い路地にゴザを敷いて、昼ごはんを皆で一緒に
 ご飯を食べている人たちの姿もよく見かける。
 こうした人たちは 東北タイから出稼ぎにやって来て住みついた人たちが多い。
 写真を撮らせてもらうと、ビールがどうだ、おかずはどうだと勧めてくる。
 少し、騒がしい東北タイの人たちであるが、全く隠し事がなく開放的である。
 この辺は バンコクの中国系タイ人とは ずいぶん違う。
 彼らは とても警戒的である。そして打算的である。
 タイ人といっても いろいろなのである。
 庶民と上流階級、中流階級では 人間関係も随分違うし、バンコク周辺の住民と
 東北、北タイの人間の意識も違う。
 私からすれば、バーン・クルアのように庶民たちの住む場所の方が気楽で
 気を使わなくて済む。
 何にも増して 笑顔がいい。
 どんなに貧しくても 皆とともに生活を楽しむ、そういう生活の余裕、心の余裕を
 感じさせてくれる。
 気取らないところがいいのである。

 集落の人々の心が 抑圧的で、警戒心が強ければ、
 猫だって、こんなに無防備な姿をさらけ出して 眠り込んでいることなど出来ない。


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 今日は 昼ご飯用の惣菜を買いに チャム族の住む集落 バーン・クルアへ出掛けた。
 今日は すっかり晴れ上がり、地面に浸みた雨水が どんどん蒸発しているようで
 やたら、蒸し暑く、ただ歩いているだけで汗が 吹き出してくる。
 運河沿いの陽の当たる道をどんどん集落の果てに向かって歩き続ける。

 集落の西の端には 小さな広場がある。
 その広場から集落の中へと入っていく細い路地に入り込み、今度は北に向かって
 歩き続けていくと 集落の北の端に到達する。
 そこが目的の総菜屋が集まる区域である。
 昼飯時や夕飯時には、ここに集落の人々は集まってくる。
 運河沿いにも 総菜屋は散在しているが、ここのようにまとまって集まってはいない。

 集落の中の商いは 最初は運河沿いに発達したのだろうが、市場に近いこの場所の方が
 今は集落の中の商いの中心になっているようだ。
 商いといっても小さな商いで 日常生活の中で使うこまごまとした日用品の商いと
 惣菜などを扱う屋台などである。

 この集落のこの北の端にある惣菜を売る屋台の集まる場所は 集落の人々の交流の
 場所でもある。
 みんなが安く食べることが出来るように 値段も安い。
 集落の外にある総菜屋の屋台では、惣菜を持ち帰りようにビニールの袋に入れて
 もらうと 大体が20バーツであるが、ここでは15バーツである。

 私も昼飯用に 惣菜を3種類 買ってきた。
 筍(たけのこ)のスープ、鶏のひき肉を混ぜ合わせた揚げ物3個、そして煮卵3個
 合わせて45バーツである。
 ご飯は家で炊くから、必要はない。
 ぱさぱさのタイのご飯はお断りである。
 スーパーに行けば、北タイのチェンライ産の日本米が 1キロ50バーツで手に入る。
 一人暮らしであれば、余程食べたいものがない限り、こうした総菜屋で惣菜を買って
 部屋で食べるのが1番である。
 私もすっかりタイ風になってしまったようだ。

 下町のような雰囲気のあるバーン・クルアの集落、気さくで心の置けない場所だ。
 集落に住む人相手の商売だから、値段をごまかすこともないし、いい加減なものも
 売っていない。

 こんな雰囲気の中に身を置くと ほっとするところがある。
 どこか同じ世界に共生しているという気もしてくるのである。
 こちらもぎりぎりの生活をしているし、ここにやってくる集落の人々も
 豊かでない当たり前の庶民である。

 サイアム・スクウェアーあたりに行くと 自分の貧しさが目立つようになってしまった。
 バンコクの中では この集落は 心に安心を与えてくれる。
 お金はあるに越したことはないけれど、だけど お金がすべてではないと。



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 バーン・クルアの集落の中を歩いていると 何だか 懐かしい想いが湧いてくる。
 私の幼少年期の田舎での生活と似ているせいかもしれない。
 あの頃から 何十年も年月は流れてしまった。
 もうあんなゆったりした世界は 日本にはなくなってしまっているだろう。
 子供も大人も老人もゆったり支えあって生きていた時代である。
 庶民という言葉が 生き生きとした意味合いを持っていた時代でもあった。

 バーン・クルアの集落に向かって歩いていくと 一本の広めの通りにぶつかる。
 この通りは イスラム教徒の集落 バーン・クルアの東側の端に当たる。
 この通り周辺には 仏教徒のタイ人や中国人が多く住む。
 この通りを越えてゆくと 木造の1軒の家に出会う。
 百年近く前に建てられた木造の家屋である。
 ちょっとアユタヤ様式の建築方法を取り入れた建物だ。
 2百年前に アユタヤから王族・貴族たちとやってきたチャム族の家系の人たちの
 家なのかもしれない。
 船の扱いに長けていたチャム族は 王族・貴族を船に乗せ、バンコクにやってきたの
 かもしれない。
 シャム王国は 船の扱いに長けたチャム族を シャム王国の水軍の傭兵として
 徴用したのである。
 この木造の家屋周辺には 古い木造家屋が多い。

 運河沿いのこの道筋には 小さな店が多い。
 このセンセーブ運河が出来た時代には 陸の交通網はなく、人や物資の輸送は
 この運河を行きかう船に任され、運河沿いに 商店が集中したに違いない。
 昔は 商店のような店の構えのような建物があるが、その名残か、数少ない商品を
 並べているだけである。
 店の中に掛かっている服の多さを見ると、洗濯屋でもしているのだろうか。

 運河沿いの陽の当たる一角を利用して、肉を乾燥させ、乾燥肉を作っている。
 日本なら、魚の干物でも作っていることになるのだろうか。

 路地の中を歩き回っていると 子供たちのための駄菓子屋兼おもちゃ屋がある。
 幼い子供たちのためのものらしい。
 昔の日本を思い起こさせるようなオモチャが並んでいる。
 贅沢な日本の子供なら、見向きもしなくなったようなおもちゃである。

 路地の中をうろうろと動き回っているうちに 集落 バーン・クルアの西の端まで
 来てしまった。
 このあたりは、バーン・クルア銀座である。
 食べ物屋、雑貨屋などが集まり、バーン・クルアの路地裏に住む人々は 
 息抜きにここに集まってくる。
 普段着の人たちが、1杯の冷たい飲み物、軽い食事にやってくる場所だ。
 惣菜だって、大半のものはここで揃う。
 のんびりとのんびりと、ゆったりとゆったりと 着飾ることなく、時間は流れている。
 これで十分である。
 人間が生きていくために これ以上のものが必要なのだろうか。



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