バンコク 運河の辺の街

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 旅をする生活が長くなると、出会う人たちの顔が気になるものである。
 信用できる人間がどうか、一瞬のうちに判断することも必要になる。
 ネパールなどでは、50近い民族がおり、その上、カースト制まであり、
 顔を見て、民族を予測し、彼らの風俗・習慣を思い浮かべ、信頼度を  
 判断しなくてはならない。
 タクシー一つ乗るにしても、運転手が何族か予測し、
 このドライバーであれば、メーターをごまかす可能性があるなどと
 考える必要がある。
 
 バンコクでも同じだ。東北タイの人間か、中央タイの人間か
 バンコクの中国系の人間かとついつい考えてしまうのである。
 空港からのタクシーの場合は安全を考えてである。
 タクシーの運転手が、強盗に早や代わりすることもあるからだ。
 概して、年寄りの運転手は安全である。

 長い旅の中では危険なことも、何度かあったが、
 どうにか切り抜けてきたのは、人を観察する私の習慣によるかもしれない。

 このチャム族の集落においても、彼らの顔には興味が湧いてくる。
 ベトナム系の顔、マレー系の顔、カンボジア系の顔と、人々の顔は、
 様々の民族の要素を含んでいるようだ。
 イスラム教徒であることを基本に混血を繰り返した結果であろう。
 しかし、そうした結果を以ってしても、チャム族の人柄のよさが
 顔つきに表れているのは、不思議なものである。

 ここで紹介する写真を見て、皆さんはどう判断するだろうか。
 これらの写真の主人公は、古き良きタイを知る人たちでもある。
 そのコメントを楽しみにしています。


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 密集した街 バーン・クルア、子供たちの姿を見かけるのは、
 土日の学校の休みのときだけだ。
 狭い路地の中で自転車を乗り回す子供たち
 路地に座り込んで、集めてきた草花で色水ごっこをする子供たち
 駄菓子屋の前にたむろする子供たち
 家の前で近所のもの同士で遊ぶ子供たち
 こうした姿に、昔の日本の下町の子供たちの姿が重なってくる。

 カメラを向けるとはにかむ子、喜ぶ子、逃げ出す子といろいろだ。
 こんな密集した地域に住みながら、荒れた表情がないのは嬉しいことだ。
 この街が紡ぎだす穏やかさ、静けさが子供たちの中にも生きている。

 水を友としてきたチャム族の子孫である子供たちにとって、嬉しいことがある。
 運河の水が、年々きれいになり、運河の水の中で泳げるようになったことだ。
 5,6年前は、そのそばにいるだけで悪臭のした黒い運河が、
 彼らに遊び場所を提供してくれるようになった。
 まだまだ清い水の流れではないが、我慢すれば泳ぐことも出来る。
 チャム族の本領を発揮することが出来る。
 水は、川の流れは、何百年の昔から彼らの生活を支えてきたのだ。

 ベトナム、カンボジアを抜け、アユタヤ王朝での水軍としての働き
 今のラッタナコウシンの時代にも水軍としての働きを認められた彼らだ。
 そのチャム族の子孫たちに水の流れが帰ってきたのである。
 多少汚れた水であっても、何も言わず、
 大人たちは、笑みを浮かべて、子供たちの泳ぐ姿を眺めている。


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 狭い土地の中で密集して生活する運河沿いの町バーン・クルアの人々にとって
 路地の緑は、人々の心に潤いを与える大切なものである。
 この地を愛する人たちの草花、樹木に対するささやかな心遣いが
 街の人々を優しくする。
 運河沿いに並べられた植木鉢、路地裏を飾る観葉植物、わずかばかりの庭に咲く花々、
 自分のものでありながら、街に住む人たちのものでもある。
 木々や草花の観賞は、何も奪いはしないから。
 
 他の密集住宅にない心遣いがこの街にはある。
 そのような心遣いが この街に静かな穏やかさを与えているのであろう。
 このような心遣いは、努力なしでは成り立たないものである。
 人の移動の激しいスラムでは、成り立たない。
 スラムは、一時的な仮の住まいであって、そこを愛する心は生まれてこない。
 誰しも機会があれば、逃げ出すことを考えている場所である。
 この地 バーン・クルアは、
 チャム族の二百年の生活の歴史が色濃く残る場所なのだ。

 チャム族であることの誇りとプライドは、
 この密集地域がスラムではないことを主張し、木々や草花を植え、
 心和む場であることに変えているのである。

 それも 他の地域から入ってきた出稼ぎの人々の生活場所が
 増えていくにしたがって、だんだん街も変貌を遂げつつある。
 借家人たちは、街を愛すべきものにしようという心遣いがないからだ。
 このことは、この街の悩みの種でもある。
 この街がスラム化していかないことを願うばかりである。


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 ベトナムでの17世紀のチャンパ王国崩壊の後に、カンボジアを経由し、
 二百年以上前に バンコクの地にやってきたチャム族、
 当時のシャムの国に忠誠を誓い、水軍としてチャックリ王朝に協力し、
 その報償として得た地 チャム族の地バーン・クルアにも 
 大きな変化が訪れようとしている。

 この地に長く住んでいたチャム族の同胞たちが、この地を離れ、
 別の地に住み始めたからだ。
 そして 街の外に住み始めたチャム族の家の持ち主が 
 貸家として、東北タイからの出稼ぎの人々に家を貸し始めた。
 古くからチャム族で占められていた共同体も、
 今では、チャム族は60%以下になってしまった。

 それだけなら まだいい。
 住み人を失った家がそのまま放置され、
 朽ちるに任せるままの姿も見せるようになってしまった。
 カンボジアから移り住み、
 永住の地として 二百年以上にも渡って 住み暮らしてきたバーン・クルア
 一時期は、ジム・トンプソンのシルクの生産地として脚光も浴びた。

 もう時代の流れには 抵抗できないのだろうか。
 静謐と安穏の空気は、滅び行く街の予兆であろうか。
 あと50年も経たないうちにこの街は、姿を変えてしまうだろう。
 50年も経てば、街のチャム族も少数派になってしまうだろう。
 その頃には、私もこの世にはいない。
 チャム族の街バーン・クルアの終焉を見ることがないことは、
 せめてもの幸いなのかもしれない。
 それまでは、この地のことを伝えていこう。


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 前々から、どうしてこんな場所にジム・トンプソンの家があるのか、
 どうしてこの地に住んだのか、疑問に思っていた。
 確かに運河沿いのこの地は、バンコクらしいといえば、
 そうともいえる場所ではあるが、決して便利な場所ではなかったであろう。

 このトンプソンの家の運河の対岸には、
 150年以上も前にカンボジアから移住してきたチャム族が住んでいた。
 チャム族は 織物を得意とする民族だ。
 この地には昔から織物で生活を支えていたチャム族の女たちがいたのだ。
 トンプソンが見たシルクとは、彼女たちの織るシルクだったに違いない。
 タイシルクではなく、チャム族のシルクなのだ。
 それが後世に タイシルクの名を与えられたに過ぎない。

 第2次世界大戦以後 ジム・トンプソンはアメリカの情報機関の一員として
 バンコクでの生活を始める。
 そして、バンコクのシルク布に魅かれて行く。
 トンプソンの最初の家を建てたのも、運河の対岸に住むチャム族だ。
 その頃のバンコクでは、チャム族以外にシルクを織るものはいなかった。
 トンプソンは、シルク布を織るチャム族の集落バーン・クルアの近くに
 住みたかったのだ。
 シルクの織姫たちと身近なところで 生活したかったのに違いない。

 タイのシルクは、運河沿いの集落に住むチャム族とジム・トンプソンの
 二人三脚の歩みの中で発展してきたのである。
 タイ族より古い歴史を持つチャンバ王国の末裔たちの文化、知恵に
 感動していたことは確かである。
 今だって、十分に魅力的な街なのだから。

 今でも、運河沿いの街バーン・クルアにはいくつかの機織工房がある。
 昔は、各家々に機織機があったが、今は、工房を残すのみである。
 古い工房の壁には、在りし日のジム・トンプソンと工房の主人との
 モノクロ写真が飾ってある。
 タイのシルクを世界に広めようと希望に燃えていたジム・トンプソンと
 工房の主人の姿がある。

 第2次世界大戦後から1967年までのジム・トンプソンと
 チャム族との熱いかかわりが、運河沿いのこの街にはあったのだ。

 1967年3月26日を最後に ジム・トンプソンの姿は消えてしまった。


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