バンコク 食べ物

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 バンコクは、すっかり雨期に入り、空を雨雲が 覆っている。
 夕方近くなり、散歩がてらに、夕食のおかずを買いに行くことにした。
 今日は 裏道を通らずに 表通りを通って、下町の市場に行くことにした。
 表通りは、パヤタイ道路、頭上には、戦勝記念塔アヌサオリ・チャイへと向かう
 BTSの高架線が走っている。
 このあたりは、再開発地域らしく、古い建物が壊され、新しいビルが、建てられている。
 日本人の団体旅行客の良く利用するアジアホテルを左に曲がっていくと、このあたりで
 唯一の下町らしい界隈に入っていく。
 この下町の中には、もうバンコクでは 珍しくなった昔ながらの市場が残っている。
 市場がスーパーマーケットへと変貌していくバンコク都心部では、貴重な市場だ。
 10年以上前 東北タイの地方都市 コンケンに住んでいたとき、毎日のように利用していた
 田舎の市場と同じ雰囲気で、その当時のことが懐かしく思い出されてくる。
 その頃は、市場で買い物をしては、自炊を楽しんでいたものだ。

 この市場の中を抜け、通りに出るあたりに、よく利用する惣菜屋が軒を並べている。
 並べられている惣菜を指差し、15バーツ分、20バーツ分と言うと、値段にあわせて、
 ビニールの袋に詰めてくれる。店によって、惣菜を売り出す時間帯が異なっていて、
 商いも終わりに近づくと、安く売り出すようになる。
 今日は、そんな惣菜屋に出くわし、袋詰めになった惣菜を一袋10バーツ、3品で30バーツ、
 まだ売り始めたばかりの惣菜屋で、20バーツ分の惣菜をつめてもらい、
 計50バーツ分の夕食になった。
 この惣菜屋が固まっている地域には、細い路地がたくさんあり、バンコク庶民たちの
 生活場所である。

 ものが安いというのが、下町の条件である。
 スーパーマーケットと違って、売り手と買い手が顔を合わせての付き合いだから、
 なじみになる機会も多い。
 こんな気さくで 気の置けない場所が、いつまで成り立つのかはわからない。
 今のバンコクの発展の流れとは、異質な世界がまだ残っていることは、感動ものだ。

 ビニール袋に入ったおかずをぶら下げて、帰りはイスラム教徒の住む集落を抜け、
 運河沿いに歩いて部屋に向かった。

 今日の朝、いつもの路上の果物売りが、ライチを売っていた。いくらかと訊くと
 1キロ40バーツだという。新種のライチで種が小さく、甘い品種のライチだ。
 カトマンズでは、インドからの種ばかりの酸っぱいライチが、同じような値段で
 売られていた。ネパールでは食べるのを我慢していた甲斐があった。
 この新種のライチ、出始めの頃は、百バーツ近くした。しかし、農家がこの品種を
 多く栽培するようになってからは、値下がりの一方である。
 果物農家は、大変である。優れた品種の果物を作りながらの値下がりだ。

 この甘い新種のライチは夕食のデザートだ。
 肉団子と血入り豆腐と野菜のスープ、ファク・ブンとひき肉の炒め物、鶏の臓物入りの
 野菜炒め、骨付き肉ときのこの酸っぱいスープとなかなか豪華な夕食になった。
 やはり、なんだかんだといっても、タイでは、安くて美味しいものが 簡単に手に入る。


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 カトマンズに初めて訪れたのは、25年前のことだ。
 その頃は、路上の物売りといえば、数知れていたものだ。
 よく見かけたものをいえば、道端で売られているチアーと呼ばれるミルクティーの露店、
 バソンタプールの旧王宮広場でバウン族のおばあさんが売っていた揚げドーナツ、揚げたては 
 美味しいが時間がたつと、硬くなり丈夫な歯が必要だった、夕方近くなると広場の隅っこで
 商いを始めるモモ屋さん、そんなもので、あとはアッサン広場の果物や野菜売り、
 香辛料売りぐらいのものだった。
 大半の食べ物は、店を構えているところで売られていた。

 ところが、バンコクはといえば、20年前には、すでに屋台天国で、どこに行っても
 屋台は隆盛を極めていた。今よりもその頃の方が、路上の屋台は多かった気すらする。
 しかし、バンコクの屋台文化は、いつ頃から始まったのだろうか。

 20世紀初頭まで、バンコクの交通はといえば、水運、運河を中心としたものだった。
 ラーマ5世の時代までは、まだ運河拡張工事が盛んだったのである。
 次の国王ラーマ6世の時代から陸の交通に 眼が向けられ始めるようになるが、
 本格的に陸上交通の整備が行われるようになったのは、第2次世界大戦以降のこと
 だろう。
 それまでは、運河の水路を利用した船でも物売りの方が盛んだったのだろう。
 生活用品、食料の流通は船で行われていたし、道も発達していなかったから、
 運河の水路を使う方がよほど便利だったはずだ。
 そうとなれば、路上の屋台はまだ発達しておらず、今 屋台で売られているもの食べ物は、
 船を利用して売られていたことになる。
 中華街やその近くのラーマ5世によって開通した鉄道の起点となるフアランポン駅周辺には、
 中国人による屋台の原点はあったのかもしれない。
 タイ人であれば、棹の両端に籠をぶら下げ、食べ物を売り歩いていたのだろう。

 古き情趣あふれる世界が、そこにはあったのだろうし、運河の水路を利用して、
 船を漕いで 食べ物、麺類、商品を売るのんびりした時代、古きよき時代があったはずである。
 バンコクの川向こうのトンブリ地区にあるまだ生き続けている運河に行けば、
 船を使って、ものを売る人の姿がある。
 果物、惣菜、生菓子、生活用品と売るものは様々である。

 バンコク側の運河といえば、すっかり水は 汚れ果て、水上バスは今なお走っているが、
 舟を漕いで、物売りなどは出来なくなっている。
 道路が整備され、陸上での屋台での物売りが盛んで、船を使っての物売りなど無用の世界に
 なっている。

 戦後、経済発展にあわせ、運河をつぶし、道路に変えていったことが、路上での屋台を
 発達を促すようになったのである。
 これは、タイ人式やりかたではなく、中国人式やりかただろう。
 昔ながらの運河を利用した商いの姿は、観光目的にバンコク郊外の水上マーケットに
 その姿を残している。

 東洋のヴェニスと言われた古いバンコクの姿を見つけることは難しくなった。
 便利さを求めれば、大切な別のものを失うことは避けられないことなのだ。
 便利さだけを追及すれば、都市はどういう姿になっていくのか、東京はそれの手本で
 ある。バンコクの街もそれを追従している。
 そのうち、バンコクから屋台そのものもなくなってしまうかもしれない。
 日本がそうであったように。


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 カトマンズとバンコクの屋台文化を考えるとき、宗教の違いが、屋台文化の発展に
 影響を与えていることが良くわかる。

 バンコクの場合、90%近い人が 仏教徒であり、食べ物に対しては、あまり制限の
 ない国である。
 肉食も、豚肉、牛肉、鶏肉と大半の肉は、食べても差し支えない。
 ただ、タイにはイスラム教徒もいるので、彼らの居住地区であれば、豚肉はご法度だ。

 カトマンズの場合は、ヒンズー教徒と仏教徒が共存している街である。
 本来であれば、ヒンズー教徒は、豚肉、牛肉、水牛肉は食べない。
 豚は穢れたもの、水牛は悪魔の乗り物、牛は神様であり、神様の乗り物ということで
 食べない。
 インドのヒンズー教では、ブラーマンは 菜食主義者で肉を食べないが、
 ネパールのブラーマン、バウン族は、ヤギ肉、魚肉は食べるようである。
 しかし ウッパディアと呼ばれるヒンズー教の祭儀を行うバウン族は、菜食主義者の
 ようだ。

 ネワール族の場合は、ヒンズー教徒であっても、水牛肉は食べる。
 食べ物について言えば、肉食、菜食とは別に、カーストの穢れの問題がある。
 低いカーストの人間が調理したものは、高いカーストのものは食べない。
 この辺のことは、高カーストのバウン族、チェットリ族では、食に関しては、厳しい
 制限がある。
 家族内においても、台所でご飯を炊く、ダールという豆汁を作るのは母親の仕事で、
 結婚前の娘は調理することは許されない。
 おかずを調理することは許される。
 カトマンズに住んでいるネワール族においてもそれに近い制限がある。
 低いカーストの人間は、台所に入ることは許されないし、低いカーストの調理した
 ダール(豆汁)、ご飯は食べないというのが一般的である。
 ただ、チューラ(乾し飯、炊いたご飯を平たくつぶし、乾燥させたもの)とタルカリ
 (野菜カレー)などであれば近いカースト同士であれば、問題はなかったようだ。

 もし外で食べるということなら、それなりの料理する調理人のカーストのはっきりした店と
 いうことになる。
 屋台などという得体の知れない場所での飲食などとんでもないことになる。
 カーストの低いものとともに食事を取るということもありえない世界である。

 それが、20年以上前のカトマンズの世界であり、60歳を過ぎた年寄りたちの姿で
 ある。
 カトマンズから離れた村々では、仏教徒の住む村を除けば、今でも頑なに昔ながらの
 穢れの習慣は守られている。

 それがここ10年ですっかり様変わりをしたカトマンズである。
 バソンタプールの旧王宮広場あたりには、夕方になると、多くの屋台が並び始める。
 モモ(無私餃子)、ハンバーガー、各種ソーセージ(鶏、豚、水牛肉)のフライが売られ、
 若者たちは、当たり前のことのように、屋台の食べ物をぱくついている。
 バウン、チェットリ、ネワール、タマン、グルン、マガールと抵抗なく、すべての民族、
 カーストの若者たちが、群がっている。
 この屋台の商いの形は、どうも、バンコクあたりの屋台をまねているようだ。
 ヒンズー教のタブーには こだわりを持たなくなった若者たちの姿だ。
 新しいネパールの姿を予測させるものであるが、中年以降のネパール人の姿はない。
 こうした若者たちの姿を見ていれば、王制廃止、連邦共和制採択も、時代の流れの
 ように思われる。
 こうした若者たちが、今後 どういう信仰を持つのかは わからない。
 しかし、宗教に左右されることなく、自由に好きなものと食べるというのは、
 インドよりもよほど、先を進んでいる。

 こうした自由な若者の姿を見るにつけ、どう ネパールは変わっていくのか、
 まだ方向性は見えては来ないが、変わっていくことは変わっていくだろう。
 少なくとも、国王を、ビシュヌ神の化身である神王と見なさないことは 確かなことである。


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 カトマンズからバンコクへと生活の場所が移ると はっきりと変わってしまうものは
 食生活である。
 カトマンズでの食生活といえば、大抵が 自炊の毎日だった。
 野菜が安く、自炊する方が安上がりだったせいもある。
 バンコクではというと、ご飯は自分で炊くが、惣菜は路上の屋台から買ってくることが多くなる。
 バンコクは、このところ物価の値上がりが激しい。野菜なども値上がりし、ひとりで
 生活していると、高い野菜を買ってきても、使い切れず 無駄にすることになる。
 そのくらいなら、路上の屋台で惣菜を買ってくるほうが、安上がりなのである。
 ご飯の炊きおきがなければ、麺類を食べればよい。
 それよりも大きいことは、屋台の食べ物の種類の豊富さである。
 これは、ネパール・インド辺りと比べても大きな違いである。
 
 最近では カトマンズでも路上に多くの屋台が出るようになったが、埃舞うカトマンズ 
 の街中では、どうも食べる気になれなかった。屋台の回りもゴミだらけ、これでは、
 雑菌も一緒に食べるようで、利用する気にはなれなかった。
 路上の物売りから買って食べたものといえば、切ったばかりの切り売りの
 スイカぐらいのものである。切ったばかりのものであって、時間を置いたものではない。

 どうもカトマンズとバンコクの屋台の清潔感の違いは、水の豊富さの違いによるようだ。
 又、清潔を保とうとする国民性の違いもあるだろう。
 バンコクでは、屋台の持ち主が、責任を持って、屋台の周りの清潔さを保つ義務がある。
 ゴミの始末、道の清掃、屋台の商い終了後の清掃と 責任を持って行っている。
 これを怠れば、屋台の商いは、禁止されてしまう。

 カトマンズでは、道の清掃、散らかったゴミの処理は、清掃を生業とするカーストの
 人たちの仕事である。だから、このカーストに属さない人は、野外での清掃には手を
 出そうとしない。
 街の清掃を行う人も、大抵は、朝と夕方の2回だけであるから、その間の時間帯は、
 街はゴミだらけになる。
 又、彼らは、ゴミを集めるだけで、汚れた箇所を 水を使ってきれいにすることはない。
 とにかく、水不足のカトマンズである。水を手に入れることも簡単ではない。
 水を使って清掃しないから、カトマンズの街は、薄汚れた感じになってしまうのだ。
 通りの建物も同じである。古い建物に埃が 降り積もっている。
 ひとたび風が吹けば、これが舞い上がるのである。そして、それらの埃が、屋台の
 食べ物にふりかかる。
 こんなことは当たり前のことと思っているのか、今時の若者たちは、平気で屋台の
 食べ物をぱくついている。こうなると、習慣以外のなにものでもない。

 これは水の豊富なバンコクと 水の不足がちな山の街カトマンズということもあるが、
 もう一つには、清潔、不潔の感度の国民性の違いにもよるだろう。
 それは、長い歴史の中で 水の豊富な国、水の乏しい国という違いから生まれてきた
 生活習慣の違いなのかもしれない。
 ただ バンコクは古くからの屋台文化の国、ネパールの屋台文化は、ここ10年くらいで、
 盛んになってきたものだ。
 人口増加の著しいカトマンズ、街の不潔さは増すばかりだが、屋台文化の発展が、
 病気を蔓延させる原因にならないかと心配になる。
 雑菌に対するネパール人の抵抗力は、他の先進諸国の人たちに比べれば、はるかに
 優れているとは思うが。


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 すっかり 雨期に突入してしまったバンコクだ。
 日本も九州地方は、梅雨入りに入ったと聞く。
 今日も重苦しい雲が、バンコクの空を覆っている。
 気温は上がらないが、湿気で蒸すような天気だ。
 こんな天気の中では、外に出かけるのも二の足を踏んでしまう。

 まあ、とにかく近くの屋台に 昼ごはんの調達に出かけることにした。
 最近は、ご飯を炊いていれば、近くの屋台から、惣菜を買うことにしているし、
 ご飯がなければ、これも又、近くの屋台で麺類を食べることにしている。
 今日は、豚足の煮込み(カー・ムー)を買ってきて、豆腐と青梗菜を加え、
 再び、煮込み、ご飯のおかずにしようと思ったが、いつもの店が、昨日も今日も
 休みである。
 仕方がないので、今日はいつもの東北タイ料理の店で、東北タイ料理を買ってくることにする。
 もう10年来の行きつけの店である。
 東北タイのロイエットからやってきている家族だ。
 
 朝の8時前から用意を始め、仕事が終わるのは8時過ぎという重労働である。
 夫婦と、奥さんの弟で切り盛りをしている。
 子供は息子、娘が一人ずつ、私は知り合ったときには幼かった子供たちも、中学生と
 小学生である。
 あまり愛想のない夫婦であるが、安い値段で、良質のものを売っている良心的な店だ。
 物価高にあえぐバンコクだが、この店だけは値上げをした気配はない。

 今日この店で買ったおかずは、カイ・ヤーン(鶏の足をハーブ入りの醤油に漬け込み、
 炭火で焼いたもの)、ケーン・カイ(タマリンドの酸っぱい実とハーブで味をつけた鶏肉スープ)、
 ミャム(豚肉のひき肉と炊いたご飯を混ぜ合わせ、発酵させたものを炭火で焼いたもの)、
 カイ・ヤーンは25バーツ、ケーン・カイは20バーツ、ミャムは10バーツ、
 しめて55バーツ(約180円)だ。
 東北タイの人はこれに蒸したもち米ということになるが、
 私の場合は、家で炊いた白米ということになる。
 ただ困ることは、東北タイ料理の唐辛子の辛さに慣れるまでは、お腹が緩みがちに
 なってしまうことである。
 胃や腸が辛さを受け付けてくれるようになるまでには、少し時間がかかる。

 もう一つの屋台は、小さな店で、やはり東北タイからやって来たおばさんが商いを
 しているが、焼き物とソムタム(パパイヤサラダ)ぐらいで、品数も少なく、時々
 利用するだけだ。ソムタムの味付けが、甘くて、私の好みではない。

 通りでは、1キロ15バーツで ランブータン(ゴ)も売っていたので、デザートに
 買う。
 売っていた女の子は、やはり東北タイのウボンからやってきている女の子だった。

 路上での商いの大半は東北タイからの出稼ぎの人々の仕事である。
 大きな商いは中国人、その日暮らしの稼ぎしか得ることの出来ない小さな商いは、
 タイ人、それも東北タイの人々の領分だ。
 皆、中学を出たか、出ないかの学歴しかない人々が 手にする仕事である。
 タイ バンコクでも生活の格差は、確実に拡がっている。
 これが、発展という幻想の真の姿なのである。


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