バンコクの運河

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 ロップ・クルン運河沿いの歩道を歩いているうちに 突然道がなくなってしまった。
 前に来たときにはあった歩道が行き止まりになっている。
 仕方がないので 街中を歩くことにした。
 街の中を少しばかり歩いていると、燦燦と黄金色に輝く仏塔が 目の中に飛び込んで
 きた。
 以前には見かけたことのない光景だ。
 こんなところにあんな人目を引くような派手な寺があっただろうかと 
 近づいてみる。
 寺の塀に沿ってしばらく歩き続けると やっと入り口を見つけることが出来た。
 入り口の前には 大きく金色のタイ文字で ワット・ツリットサテープと書かれている。

 入り口から中に入ってみると 寺の中に置かれた長いすに大勢の人たちが座り込んで
 いる。
 火葬のためにやってきた人たちだろうかと横目に見ながら、
 黄金色の仏塔のある寺の中心へと入り込んでいく。
 中に入り込むと、新しく建造される寺の中心部らしく、大勢の人々が各々の仕事に
 合わせて仕事をしている。
 資材を運ぶだけの単純作業もあれば、大理石に彫刻を施している人たちも入る。
 寺の中心を飾る黄金色の仏塔や仏像を納めた御堂ももうほとんど完成に近い。
 古い寺の真新しい中心 人々を惹きつける重要な場所である。

 ふんだんに大理石が使われ、豪華絢爛たる寺の姿であるが、敬虔な仏教徒ではない
 私から見れば、この豪華さは信仰とは別物の何やら生臭い人間の業の象徴のようにも
 思えてくる。
 私のタイの寺に対する拒否反応のようなものが この寺に姿にある。
 豪華絢爛たる寺の姿に 信仰の御利益の大きさを求めようとするタイ人独特の信仰の
 形をうまく利用した僧侶たちの姿が透けて見えてくるのである。
 豪華絢爛さに惹かれて 参拝者が増えれば、それだけ寺への寄進による収入は増えるし、
 僧侶たちへの寄進も増える。

 タイの仏教信仰の中では タムブン(徳を積む)ことが重要なことであり、
 そのタムブンの量によって 来世の身分が違ってくる。
 僧侶や寺への寄進は 大きなタンブンにあたり、タムブンの量を増やしてくれる。
 現世で恵まれない人々は しきりにタムブンをして 来世に期待するのであるが、
 貧しい者たちの寄進の額は少なく、金持ちほどには 来世において立派な身分を
 手に入れることは出来ない。

 寺を造れば、一番大きな徳を手に入れることが出来るが そんなことが出来るのは
 王侯貴族か大金持ちだけである。
 貧しい人たちは なけなしの金を寄進し、ますます貧しくなるが、
 僧侶たちは反対に富んでいくという矛盾がタイにはある。
 タイの僧侶たちは 己の修行のために邁進すればいいのであって、
 社会福祉には目を向ける必要はない。
 自らの涅槃だけを求めればいいのである。

 バンコクの中にある寺の数の多さと僧の数の多さを見るにつけ、
 どれだけのお金が寺へと集まってくるのかと考えると呆然としてしまう。
 今出来上がりつつあるこの寺についても同様である。

 黄金色に輝く仏塔を見ても バンコク庶民の汗水たらしての日々の生活の中からの
 寄進から生まれたものだと考えると 有難さよりも別のものを感じてしまう。
 信仰の質より量とか形式とかを重要視するタイの信仰の姿が 垣間見えてくる。
 信仰の形式は 単純であればあるほど 人を集めるのかもしれない。
 日本の新興宗教だって、どこかタイの仏教の信仰の姿に似ているのかもしれない。


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 道路わきにある細い通路を抜けて、運河に沿った歩道に入ってゆく。
 運河沿いには棟割長屋のような建物が続いている。
 数ヶ月前には 運河の水の中から 補修工事のための古い木製のくいが突き出して
 いたが、それが取り除かれている。
 10年以上前に 運河を狭くする工事のためのくいであったようだが、工事は再開
 することなく、中止になり、見た目の悪いくいは取り去られたのだろう。

 数ヶ月前には 水位もなく、黒く澱んでいた水も 推量も増え、きれいになっている。
 バンコク都庁も このロップ・クルン運河、そしてこの運河に続くバーン・ラムプー
 運河の再利用を考え始めたのだろうか。

 棟割長屋のような建物の裏庭のようなコンクリートで固められた歩道を抜けると
 運河に沿った普通の道に出る。
 このあたりまで来ると 昔からの木造住宅が目立ち始め、運河周辺の装いも 
 庶民的な雰囲気が漂い始める。

 この地域に入ると 中国人のおばさんのカキ氷屋が1軒ある。
 暑さしのぎに この店でカキ氷を注文する。
 数ヶ月前にもこの店でカキ氷を食べ、おばさんとおしゃべりをしたことがある。
 私のことをまだ憶えていたようだ。
 今は 道になっているが、昔はその道のある場所は運河であり、おばさんの家の軒先に
 船を留めることが出来たようだ。

 このあたりには 地元の人間相手の屋台やその日の食材を売る店が 建ち並んでいる。
 周辺は 木造家屋の集落になっており、このあたり一帯が 地元住民や東北タイから
 やってきて間借り生活をしている人たちの憩いの場になっている。
 こじんまりした昔ながらの市場もある。
 4,50年前のこのあたりは 運河を行きかう船とともにあった人々ののんびりした
 生活があったのだろう。
 バンコクの人口が 2百万人ぐらいだった時代の話である。

 運河沿いの人々の生活を眺めながら、足を進めていくと なんとも古めかしい木造の
 建物が 歴史上の遺物のように残っている区域がある。
 一時代前の木造の棟割長屋のように並んでいる商店、総菜屋や屋台、
 なんとも不思議な雰囲気の一隅である。
 あと何年かすれば、消えていってしまうような建物だ。
 運河に近いこの一帯では 何やら大掛かりな工事が始まり、大きなビルが建つようだ。
 開発の嵐は もう そこまで来ている。

 このあたりまでが ロップ・クルン運河で この先は バーン・ラムプー運河に名を
 変える。
 このロップ・クルン運河の説明掲示板によれば、1783年 ラッタナーコウシン朝の
 創始者であるラーマ1世の命によって、1万人のカンボジア人の戦争捕虜を使って、
 バーン・ラムプー運河の終点からマハナーク運河(センセーブ運河の一部)に交わる
 ラーマ7世橋まで そして 中華街を抜けて 現在のサファン・プット(仏陀橋)の
 あるチャオプラヤ川の岸辺までの長さ3426メートルのロップ・クルン運河を造り
 あげた。
 幅20メートル、深さ2.5メートルの運河である。

 当時10万くらいのバンコクの人口でカンボジア人の戦争捕虜1万人というのは
 大変な数である。
 クメール王国衰退に従って、アユタヤ王朝以来 カンボジアに戦争を仕掛けては、
 戦争捕虜をタイに連れ帰り、戦争奴隷として使役していたタイの歴史がここにある。
 タイとカンボジアの関係が しっくりいかない原因の一部は ここにもあるのだろう。



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 セン・セーブ運河の始発駅 パン・ファー船乗り場に着く。
 このあたりには タイのラッタナーコウシン王朝の18世紀の歴史が色濃く残っている。
 パン・ファー船乗り場周辺は セン・セーブ運河が 旧王宮を囲むオン・アン運河の
 外側に造られたロップ・クルン運河と交わる場所だ。
 チャオプラヤ川からバーン・ラムプー運河が掘られ、それにつなげてロップ・クルン
 運河が掘られ、中華街を抜けて、再びサファン・プット(仏陀橋)のあるチャオプラヤ 
 川へと至る。
 その中間で オン・アン運河とロップ・クルン運河を結ぶ二つの小さな運河も掘られた。
 王宮と旧市街を囲む二つの運河、オン・アン運河とロップ・クルン運河によって、
 ビルマの侵略の脅威に備えることが出来たのである。

 セン・セーブ運河の中華街方面には 金色に輝くゴールデンテンプルが聳え、
 その近くにはワット・サケットがある。
 ラーマ3世の時代には 疫病が流行り、その当時の市街地の外にあったワット・
 サケットの広場には 疫病でなくなった大勢の死者が投げ込まれたといわれている。
 ワット・サケットの周辺には 中国人の材木商の店が建ち並んでいる。
 米と材木は 昔からタイが外国貿易から得る王室の貴重な財源だった。

 又、ロップ・クルン運河の脇には ビルマ軍の侵略に備えて、大砲を備えた城砦もある。
 このあたりは ラーマ3世時代に開発された地域で 外国貿易で潤っていたラーマ3世
 時代に ラーマ3世に建てられた大きな寺院もある。
 ロップ・クルン運河の岸辺には ラーマ3世の時代から住み着いている音楽師たちの集落も
 ある。

 私が向かったのはバーン・ラムプー側、船乗り場のすぐ近くに ラーマ7世の記念館が
 ある。
 タイの軍人による立憲革命によって、タイが絶対王政から立憲君主国になったときの
 国王である。
 アメリカ式の議会制民主主義を望んだラーマ7世は 立憲革命を実行した軍人たちが
 新しい憲法を発布しないことに業を煮やし、目の治療を理由に イギリスに行って
 しまう。
 困ったのは軍部で 新しい法律の発布には 国王の認可が必要である。
 そのたびに 国王の署名を求めて イギリスまで出かけていかなくてはならない。
 時の政府は タイに戻ることを懇願したが、頑として譲らず、結局、最後には軍部への
 抗議の意味をこめて、退位し、亡くなるまでタイに帰国することはなかった。
 そして、王位を 現国王の兄 ラーマ8世を譲ることにしたのである。
 タイの王室の権威が 最も弱まった時期の国王だった。

 それにしても 今日のバンコクは とにかく暑い。
 焼けついたコンクリートの道路、上からは容赦なく照りつける陽射し、
 日中の午後、歩き回るというのは きちがい沙汰のように思えてきた。

 しかし、以前に行った場所には 時折、行っておかないと すぐに変わってしまう。
 それほど、バンコクでは 開発が進んでいる。
 バーン・ラムプーの下町も例外ではなかろうかと やってきたのである。

 ラーマ7世の記念館の前の 広い道路を渡り、ロップ・クルン運河沿いの歩道に
 降り立つまでに、すっかり、汗がにじみ出てきて、Tシャツに浸み込んでいる。




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 暑い午後の陽射しの照りつける中を センセーブ運河の水上バス乗り場サファン・
 フア・チャンへ向かう。
 午後1時過ぎ、水上バス乗り場の手前の通路にある屋台の一帯では、昼飯時の忙しさ
 から解放され、商いをする人々は 三々五々に休息をとっている。
 この暑いバンコクの気候の中では 目一杯仕事をしていれば、身体が持たない。

 水上バス乗り場の渡し場の上にたてば、運河からの涼しい風が吹き抜けている。
 水嵩の増した運河では 3ヶ月前の黒く澱んだ水は一掃され、悪臭もなくなっている。

 このセンセーブ運河を走る水上バスは 旧市街にある乗り場パン・ファーから郊外の
 バンカピまでを結んでいる。
 私が 今日 乗るのはアパートの近くのサファン・フア・チャン乗り場から旧市街に
 ある乗り場パン・ファーまでだ。
 距離にすれば 大した距離ではない。
 水上バスに乗れば10分くらいの時間で終点に着く。

 150年以上前から 運河沿いに住み着いているカンボジアからやって来た
 イスラム教徒チャム族の集落にはさまれながら、水上バスは 走りぬけていく。
 このチャム族、アユタヤ王朝時代にはアユタヤにも多く住み着いており、
 アユタヤ王朝崩壊の折、アユタヤ王朝の貴族、王族たちとバンコクにやって来た。
 船を操ることに長けていた彼らは シャム王国の水軍の傭兵として活躍し、
 このバーン・クルアに住むことを許されたのである。
 昔は 美しかったと思われるチャム族の木造の家屋も もう崩壊寸前の有様だ。
 チャム族の中でも裕福な人々は もうこの地には住んでおらず、古い住居は 
 東北タイからの出稼ぎの人たちに賃貸しし、昔 美しかった建物も荒れる一方だ。

 そこを抜けると 衣料品の卸しの市場 ボーベイに近づく。
 運河の右側は衣料品市場、左側には 南タイのパッタニーから2百年近く前に
 戦争捕虜として連れてこられたイスラム教徒の集落がある。
 彼らは センセーブ運河の建設には 戦争奴隷として使われたのである。
 そのため、センセーブ運河沿いには 多くのパッタニーからのイスラム教徒の集落が
 ある。
 運河沿いの土地には タイのラッタナーコウシン朝時代の他国への侵略の歴史が
 刻み込まれている。
 19世紀前後のラッタナーコウシン朝の創始期には バンコクの人口は少なく、
 ラオス、カンボジア、南タイのパッタニー王国に戦争を仕掛け、戦争捕虜をバンコクに
 連れ帰り、王都の建設に 戦争奴隷として使役させた。
 王宮の建設、王宮をビルマの侵略から護る運河の建設は大きな課題だったのである。
 ラオスのビエンチャン王国などは そのために王都を シャム王国によって 
 徹底的に破壊されてしまい、王都ビエンチャンは それ以前の姿をほとんど残していない。

 国が安定しない中で シャム王国の民衆を使えば、その過度の使役から、不満を増大
 させることを恐れたのである。
 そこで連れてこられたのが、カンボジア人、ラオス人、パッタニーのイスラム教徒なのである。
 タイ王国のこうした暴力的側面も忘れてはならないことだ。

 何気なく眼を向ける異国情緒あふれる風景の中にも タイ王国の様々の歴史が
 刻み込まれている。
 それを知らず、センセーブ運河の水上バスに乗るのは楽しいというだけでは、
 異国にやってきて感じるものとしては 寂しい気がする。
 異国の風景の奥に 潜む歴史の陰を探ることも 旅に奥行きを与えてくれるだろう。


 バーン・クルアのチャム族については
 バンコク 運河の辺の街シリーズを参照のこと
 http://blogs.yahoo.co.jp/hikaruno_season/folder/1062952.html?m=lc&p=3

 タイのイスラム教徒については
 タイのイスラム教徒シリーズを参照のこと
 http://blogs.yahoo.co.jp/hikaruno_season/folder/1183119.html?m=lc&p=3
 



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 ワット・マハブットの寺の中も 充分に見て回ったので、帰りは 暑い通りを避けて
 定期水上船に乗って プラカノンへ出ようと思い、寺の船着場で 水上船を待つ。

 運河の対岸には 小さな水上集落がある。
 木造のバラックにも近い造りの家々だ。
 暑い午後、人々は 運河の涼しい風を求めて 岸辺近くでのんびりと座り込んでいる。
 どうも人々の様子を見ていると、ナンナークの家、ワット・マハブットとのかかわりで
 生活の糧を得ている人たちのようだ。
 ボートに乗って 岸辺近くで魚を採っている人たちは タンブン(徳を積む)のための
 運河に逃がしてやった魚を 再び捕まえ、寺の中で 参拝者に売りつけるようだ。

 ナンナークの話は 今から140年前の話だが、その頃は このあたりに住む人々も
 少なく、夜ともなれば、幽霊でも出てくるような暗い闇が支配していたはずだ。
 時代は ラーマ4世の時代、プラカノン運河が整備され、それに伴って人々が
 少しずつ入り込んできたのだろう。
 
 ワット・マハブットの近くで運河は二手に分かれ、目の前の運河は再びチャオプラヤ川 
 に向かい、もう一つは ペチャブリ方面へと向かい、センセーブ運河に合流するらしい 
 が、今ではそちらへ向かう定期水上船はなくなっている。
 運河が交通の要であった時代には、このあたりは 運河の要所だったのかもしれない。
 目の前の水上集落の人々は 船で行きかう人々に食事でも出していたのかもしれない。
 あるいは 運河の水の中に棲む魚を採り、生計を立てていたのかもしれない。
 水は澄み、洗濯も炊事もこの運河の水で事足りていたに違いない。
 目の前の水上集落の家々で生活している人々ののんびりした姿が 140年前の
 バンコク人々の生活へとつながっていくような気がする。

 流れゆく運河を眺め、人々の生活する姿を見ているうちに 30分以上も経って
 しまったが、定期水上船は やってこない。
 川面を吹き渡る風は 心地よいが 湧き出た汗は 乾かず、気持ちが悪い。

 船を待つか、歩いて再びプラカノンへ戻るか 迷っていたが、結局、暑い通りの中を
 歩くことにした。

 喉も渇いていたが、プラカノンの船着場の近くでいつものおばさんの作る氷菓子を
 思い浮かべながら、プラカノンを目指した。
 おばさんは いつもと同じ様子で 氷菓子を作っていた。
 しかし、おばさんの店も閉店に近く、カキ氷の中に入れる具の種類は 少なく、
 好みの具はなかったが、とにかく喉の渇きを癒す必要があった。
 おばさんの作った氷菓子を食べながら、やっと暑さから解放された気持ちになった。

 目の前の行きかう人々を眺め、あたりの昔ながらの雰囲気を残す街並みを眺める。
 こんな街並みの中に 日本人である私が 独り 氷菓子屋の椅子に座り込み、
 氷菓子を食べている。
 タイとのかかわりが始まって25年、こんな昔ながらの雰囲気の残る場所に座っている
 自分のことを考えると 私の25年間の時の流れは どこに向かって進んでいるか
 わからなくなる。
 お前は とんでもない阿呆ではないかと 自分に向かって問いかけたくなってしまう。

 氷菓子屋の椅子から立ち上がり、あたりの光景に自分を馴染ませながら、バス停に
 向かった。 


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